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「彼は19時4分から17分間と、20時14分から21分間、執務室を出て、廊下に出ていました。
喫煙のためだけの中座にしては長すぎと思うんです。きっと女に電話していたんだろうと思います。」
思い詰めた声の道代さんの声が低く響きます。
「昨日は、ご指定日でないから調査には入っていませんが、確かにここずっと彼は残業が続いているようですね。でも、永原さん(道代さんの姓です)。なぜ彼の行動をそんなに詳細に知っていらっしゃるんです?」

今回の調査に当たって、道代さんの様子がかなり変わっていることは判っていました。
一言で言えば・・冷静さがないのです。
前回の時は、失礼ながら「愛人」という立場の女性にありがちな感情的なところはひとつもなく、淡々と「三番目の女になりたくないんです」と、静かに話した道代さんには静謐な知性が感じられました。
ところが、今回はお話を聞いているだけで心が苦しくなるような「愛憎の池」に、首までとっぷりと
浸かっているようです・・・。

私たちの調査の前に、自分で付けまわしたり、相手女性の家を何度も見に行ったり、彼の携帯や手帳を盗み見したりで、あの冷静な面影が嘘のようです。



「彼の職場を訪問なさったのですか?」
答えは判っていましたが、まさか私から「覗いていたのですか?」とは聞けませんでした。


「いえ。いえ、あのう・・」さすがに、恥じているのか口ごもってはいましたが意を決したように
一呼吸おくと
「外から・・外からみていました。」と、小さいですがはっきりとした声で話されました。

「外からって・・・道を挟んだあの広場からですか?」

彼の職場は、官公庁ですから大きな広い通りに面して建っています。
まるで大学の時計台のような正面の吹き抜けの二階が彼の執務室です。
確かに、夜になって回りが暗くなったときには、その灯りのついた一角は、闇夜に浮かび上がった不夜城のように燦然と光り輝いてみえるそうです。
ですから、道代さんが向かい側の広場でじっと見ていても、廊下に出てきたのが彼か、そうでないかは一目瞭然でしょうと、担当調査員も後述しています。

でも、いくら暖冬とはいえ、昨夜のこの地はみぞれ交じりの雪が一時とはいえ吹きすさんでいたのです。
駐車して車をとめて建物を監視する場所は見当たらないと、調査員も言っていました。

想像するに、道代さんはお店を抜け出して、この寒空の下、じっとあの二階の廊下に目を凝らしていたのかと思うと、哀れと、一種の狂気を感じずにはいられません。

あの端正な横顔が雨と雪に濡れて、それでもなおじっと見つめ続ける道代さん。



「そのあと、彼女の自宅に回りましたら、車がありませんでした。どこかに行っていたのでしょうか?」
・・・・・・・・・ますます心が塞ぎます・・・・・たぶん彼女のなかでも「惨め」という言葉が
ぐるぐると回っていたことでしょう・・・・・・・


女の車はその後の調査で、新車に替えていたことが判明しました。
きっと、道代さんが付回していたことに気づいて交換したのかもしれません。

それにしても、調査はまだまだ続きますが、道代さんの心根に触れるたび、私の心も痛みます。
毅然として彼女の姿を知っているからこそ、痛みはいつまでも残ります。

そして一番の気がかりは、彼女の情報がいつも外れていることです。
どこかで、何かが違う・・・そんないやな予感が、澱のように溜まっていくのが判ります。

道代さんの夜明けはくるのでしょうか・・・・。
冬の空のような、重くて冷たい風が心の隙間を縫うように渡っていくのが迫ります。

by sala729 | 2006-12-13 18:58

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