母の日の私
2016年 05月 07日
今更ですが、明日は「母の日」です。
出勤途中のFMで、母の日に捧げるラップ・・なんて企画を聞いていて
ふと、我に帰りました。
母と呼ばれて幾星霜。
もう母を通り越して「ばば」と呼ばれる域に入りました。(笑)
そんな身で、臆面もなく母を称えるラップを聞いていると、なんとも
わざとらしく、嘘っぽく、偽善的で、聞いているほうが恥ずかしく
なるばかりです・・と、ここまで書いて「あら、いつもの鬼ババ節が・・」と
お笑いくださる方だけ以下をお読みください。
わたくしにはもう母はおりません。亡くなって20年近い年月が流れています。
ブログにもよく書きましたが、わたくしは母に批判的な、所謂「屁理屈
たれる娘」そのものでした。
もちろん、当時からそれは自覚しております。
しかしながら、自分が嫁して子を産んで、自分の両親と暮らすようになった時
わたくしはその母を、十分に利用して生きてきました。
わたくしが自分の思うよな「子育て」をするために、自分たち夫婦と子供の
生活や楽しみをエンジョイするために、経済的にも、体力的にも、時間的にも
母を利用し、母もそれに応えてくれました。
わたくしの母は、結構身勝手で、常識も知らず、世間的基準でいうなら
「近所のやなおばさん」的なところにいたと思います。
道で人にすれ違うとき、少し肩がふれただけで、振り返って見たり、
電車が入ると平気で列を乱したり、わが子のためとはいえ、座席に荷物を
放り投げて席取りをしたり・・わたくしはこれが大キライでした。
なのに・・です。普段こんなにも批判的なのに、わたくしは自分のために
母を利用して、喧嘩しながらも母もそれに応えてくれたのです。
今は時々思います。
もうちよっと優しくしてあげてもよかったかな・・(苦笑)
でも、ちよっとだけね。(笑)
今、自分が母の年に迫ってくると、たまにはそうも思うのですが、
自分が子供等に、優しくされるのはいやなのですよね。
わたくしは親になった時から死ぬまでが親の現役と思っていますから、
子供にこれみよがしに労わられたり、優しくされることは望んでいません。
「ホントに、うちの親は・・」と、呆れられる位、頑固で一途に生きていたと
願っていますから、歌のように甘い言葉で「感謝。ありがとう」なんて
言われると、戸惑います。
親は自分の意志で親になるのです。
感謝するのは親の方です。(言いませんけどね。本人たちには(笑))
こんな時代になって、子が親を見るために仕事を捨てて介護に入るなんて、
わたくしには、親不孝の極みにしか思えない。
マスコミは美談として流すけれど、そんなこと望む親が本当にいるのか?
自分の介護のために子が、生活を変える・・・
そんなために、子供を育てたのではありません。
あの、イライラとした時間。持て余す葛藤。子に手足を縛られたような
焦燥感は、心の奥に熾火のようにチロチロと蠢いています。いまでも・・
もしかしたら、子供がいなかったら、別の世界があったかもとは、今でも
思います。
でも、自分が思う子育てをしたという充足感の方が、勝っていることは
紛れもない事実です。
なのに、最晩年になって、子供が自分のために、生活を捨てて・・なんて
考えられないです。
極端な言い方ですが、手足が動かなくなって、目も耳も口も不自由になって
人様のお世話になるとしても、自分の子供にはお世話にはなりたくはありません。
その時はどうするか、わたくしは家族には伝えてあります。
その時、わたくし自身は、もう判断がつかなくなって、今と正反対のことを
いうかもしれないけれど、それに惑わされるな。判断のつくうちに言い残す
ことが真実と伝えてあります。
人は自分の最期を自分で看取ることはできません。誰かのお手を煩わせる
ことはよく判っています。
そうして、わたくし自身も何人か、看取ってきました。
でも、それでも子の手を煩わせたくはないのです。
「孤独死」結構。「死後何日目かで発見」大歓迎です。
人は一人で死ぬ。
そしてわたくしは、その時まで「親」でいたい。
子供が自由に、自分の仕事や生活を選択して、謳歌していく中に
「親」の存在が、欠片もない・・・というのが、わたくしの幸せです。
親が子供に与えられる最後の贈り物は「自由」と、わたくしは信じて
疑いません。
こんな偏屈なわたくしですが、何時の日か泉下の母と出会ったら、
「あんたはやっぱり、あんたやな。」と、笑って言ってくれたら
嬉しいかと思います。
理屈でなく、こんなわたくしを本能で理解してくれているのは、
この無教養で、無恥な母(ごめん・・)ではないかと思います。
今年の紫のカーネーションが、さっき商店街の真ん中で、綺麗な
箱に詰められて並んでいました。
家人の母にも送りましたが、うちの母にも送りましょう。
今日と明日は、忙しいので、週明けにね・・ごめん(笑)
・・・あんたはいつも、そんなもんよ・・・投げやりな
母の声が聞こえたような気がしました。
出勤途中のFMで、母の日に捧げるラップ・・なんて企画を聞いていて
ふと、我に帰りました。
母と呼ばれて幾星霜。
もう母を通り越して「ばば」と呼ばれる域に入りました。(笑)
そんな身で、臆面もなく母を称えるラップを聞いていると、なんとも
わざとらしく、嘘っぽく、偽善的で、聞いているほうが恥ずかしく
なるばかりです・・と、ここまで書いて「あら、いつもの鬼ババ節が・・」と
お笑いくださる方だけ以下をお読みください。
わたくしにはもう母はおりません。亡くなって20年近い年月が流れています。
ブログにもよく書きましたが、わたくしは母に批判的な、所謂「屁理屈
たれる娘」そのものでした。
もちろん、当時からそれは自覚しております。
しかしながら、自分が嫁して子を産んで、自分の両親と暮らすようになった時
わたくしはその母を、十分に利用して生きてきました。
わたくしが自分の思うよな「子育て」をするために、自分たち夫婦と子供の
生活や楽しみをエンジョイするために、経済的にも、体力的にも、時間的にも
母を利用し、母もそれに応えてくれました。
わたくしの母は、結構身勝手で、常識も知らず、世間的基準でいうなら
「近所のやなおばさん」的なところにいたと思います。
道で人にすれ違うとき、少し肩がふれただけで、振り返って見たり、
電車が入ると平気で列を乱したり、わが子のためとはいえ、座席に荷物を
放り投げて席取りをしたり・・わたくしはこれが大キライでした。
なのに・・です。普段こんなにも批判的なのに、わたくしは自分のために
母を利用して、喧嘩しながらも母もそれに応えてくれたのです。
今は時々思います。
もうちよっと優しくしてあげてもよかったかな・・(苦笑)
でも、ちよっとだけね。(笑)
今、自分が母の年に迫ってくると、たまにはそうも思うのですが、
自分が子供等に、優しくされるのはいやなのですよね。
わたくしは親になった時から死ぬまでが親の現役と思っていますから、
子供にこれみよがしに労わられたり、優しくされることは望んでいません。
「ホントに、うちの親は・・」と、呆れられる位、頑固で一途に生きていたと
願っていますから、歌のように甘い言葉で「感謝。ありがとう」なんて
言われると、戸惑います。
親は自分の意志で親になるのです。
感謝するのは親の方です。(言いませんけどね。本人たちには(笑))
こんな時代になって、子が親を見るために仕事を捨てて介護に入るなんて、
わたくしには、親不孝の極みにしか思えない。
マスコミは美談として流すけれど、そんなこと望む親が本当にいるのか?
自分の介護のために子が、生活を変える・・・
そんなために、子供を育てたのではありません。
あの、イライラとした時間。持て余す葛藤。子に手足を縛られたような
焦燥感は、心の奥に熾火のようにチロチロと蠢いています。いまでも・・
もしかしたら、子供がいなかったら、別の世界があったかもとは、今でも
思います。
でも、自分が思う子育てをしたという充足感の方が、勝っていることは
紛れもない事実です。
なのに、最晩年になって、子供が自分のために、生活を捨てて・・なんて
考えられないです。
極端な言い方ですが、手足が動かなくなって、目も耳も口も不自由になって
人様のお世話になるとしても、自分の子供にはお世話にはなりたくはありません。
その時はどうするか、わたくしは家族には伝えてあります。
その時、わたくし自身は、もう判断がつかなくなって、今と正反対のことを
いうかもしれないけれど、それに惑わされるな。判断のつくうちに言い残す
ことが真実と伝えてあります。
人は自分の最期を自分で看取ることはできません。誰かのお手を煩わせる
ことはよく判っています。
そうして、わたくし自身も何人か、看取ってきました。
でも、それでも子の手を煩わせたくはないのです。
「孤独死」結構。「死後何日目かで発見」大歓迎です。
人は一人で死ぬ。
そしてわたくしは、その時まで「親」でいたい。
子供が自由に、自分の仕事や生活を選択して、謳歌していく中に
「親」の存在が、欠片もない・・・というのが、わたくしの幸せです。
親が子供に与えられる最後の贈り物は「自由」と、わたくしは信じて
疑いません。
こんな偏屈なわたくしですが、何時の日か泉下の母と出会ったら、
「あんたはやっぱり、あんたやな。」と、笑って言ってくれたら
嬉しいかと思います。
理屈でなく、こんなわたくしを本能で理解してくれているのは、
この無教養で、無恥な母(ごめん・・)ではないかと思います。
今年の紫のカーネーションが、さっき商店街の真ん中で、綺麗な
箱に詰められて並んでいました。
家人の母にも送りましたが、うちの母にも送りましょう。
今日と明日は、忙しいので、週明けにね・・ごめん(笑)
・・・あんたはいつも、そんなもんよ・・・投げやりな
母の声が聞こえたような気がしました。
by sala729 | 2016-05-07 14:22