昼下がりの憂鬱
2016年 02月 18日
先ほど、とても不愉快な光景を目にした途端、猛然と怒りがこみ上げてきて
その気持ちのままにタイピングしておりますので、端々の過激な表現は
お許しください。
(みなさん知ってますよ。あんたがどれだけ過激なかくらいは。ながーい
お付き合いですから←家人の声)
わたくしはお昼ごはんをいただいたあと、急ぎの用がないと商店街を
散歩代わりに徘徊します。
運動にもなりますし、人間ウオッチングや、その時に出会う様々なことが
面白いので楽しい日常のひとつです。
さて、さきほどのことです。
デパートの北海道展にいって、海鮮コロッケやらカップケーキやらを買い込んで
帰途に就くため、商店街を二分する大きな交差点に立っていました。
向かい側には中学生と思しきミニスカートから見える足もかわいらしい女の子と
その連れらしいボーイッシュな女の子。その子は長いスウェットパンツに、
大ぶりのカーディガンみたいな上着を羽織っています。
するとわたくしの後ろで声が・
「あ、あれマナじゃん。」と・・
「ほんと、マ~ナ」と二人連れの声。どうも自転車に乗っているらしいです。
手を振ったのか、ミニスカちゃんが笑顔で手を振り返します。
後ろの自転車っ子も手を振っているのでしょう。
「隣は、ありさじゃん(仮名です)。」
「ほんとや。でも、ありさって可愛い名前なんやけど、顔はまんまゴリラやね。」
「ほんとやな。まんまゴリラ。」と、自転車っ子は笑転げながら会話しています。
この声はわたくしに届いていますから、他の信号待ちの人の何人かは、
聞いていると思います。
わたくしの怒りに火が点り、振り返ろうとする気持ちを抑えて、向かい側を
見てみました。
もちろん向かい側までに声は届きはしないでしょうが、笑顔のマナちゃんの隣で
ありさちゃんは、笑い顔でもない、複雑な笑みで時々、あらぬ方向を見たりして
待ち時間をやりすごしています。
そのうち信号が変わりました。
自転車っ子はわたくしを追い越して、向かいの二人とすれ違いざま
「マナ~バイバイ~。」と手を振り、
マナちゃんも満面の笑顔で振り替えしています。
でも、マナちゃんの隣のありさちゃんには声を掛けるどころか一瞥もしない。
まるで誰もいないかのような動作。
でも、それは自転車っ子だけでなく、マナちゃんも一緒です。
隣にありさちゃんなどまるでいないかのような動作。
ありさちゃんは・・・といえば
彼女もそこに自転車っ子もマナちゃんもいないかのように、あらぬ方向に
首を回したり、微妙な笑顔を作ったり、手もふらなければ、マナちゃんに
話しかけもしません。
・・・・これはいじめの端緒なのでしょうか。
あきらかにありさちゃんは無視されています。
わたくしがこの自転車っ子の親か身内であったら、自転車蹴飛ばしてますよ。
実際、交差点でしょうかとさえ思いましたが、寄る年波、自転車蹴飛ばして
交差店内で自分が転んだら、洒落になりません。
僅かに残っている理性がそれを止めました。
怒りが収まらないわたくしは、事務所につくや家人にそのことをぶちまけると
「よう、我慢した。僅かな理性を大切にしてくれ。」と、妙な褒められ方を
したことは・・・流しておきましょう。
同性の身で、相手を「ゴリラ」とは何事ですか。
かなり前から思っておりましたが、最近のテレビ等で女性相手にあからさまに
顔の美醜を指摘するアホ男ども。特にお笑い系に多いですけどね。
見ていて耐えられません。
家人は、女の子もそれが「売り」なんだから、一概に男を責められないとは
言いますが、それは芸でしょうか?
「ブス」とか「へちゃむくれ」とかを、女の顔に向かって言い募る男どもの
アホ面を、自分で鏡見てみろ!と、言いたくなります。
しかも、そういいながら、叩いたり蹴飛ばしたり平気でしています。
ちょっと前に、顔のこといじられるのはいやと、テレビを拒否した女性芸人
さんがいましたが、「よくやった。」とわたくしは思います。
顔の美醜は女性のお笑い芸人さんにとって、「得」なのかもしれません。
わたくしの浅い表現では次のようにしか言えないので、もしかしたら
とても気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれませんが、お許しください。
その上であえて言いますが
女性の顔を美醜で笑うあなた。
それは、例えて言うなら、手足がなくなった方を笑うのと同じではないですか?
このふたつがどう違うかわたくしに説明してください。
美しいか、美しくないかは、人生の精算時にはたいして差はないのです。
人は誰も年をとれば、それなりに皺も増え、色素もくすみ、90才でも100才
でも、そう変わらなくなります。
これは人生を経れば経るほど、実感としてその真意が判って来ます。
若いとき美人は得と思っていても、外見だけで判断されると有象無象の男たちが
やってきて、上辺だけで選ばれてしまう危険があります。
美人ではないと嘆いても、そのあなたを選ぶ男は、あなたの本質を見て
選ぶわけですから、たった一人であってもいいのです。
これは、残念ながらある程度の年にならないと、なかなか判りません。
でも、だからと言って、テレビの中で、女性芸人さんに
「ブス」とか「デブ」とか言い募って、あまつさえ笑いながら暴力を
揮う男性芸人さんたちを見て、またそれを見て笑転げる人たちを見ていたら
・・・・・もうこんな世の中、終わってもいいかも・・・とさえ思います。
前述の中学生も、こんなテレビ見てたのかなとさえ思います。
おババの妄想と笑われようと、もしもわたくしの身内や近しい人の中に
件のような自転車っ子がいたら、わたくしは迷わず自転車蹴飛ばそうと思います。
自分が転んでも・・です。交差点ではやめますが・・・。
そしてその親を捕まえて、被害者面して、懇々と説教垂れてやりますとも。
・・・やれやれ、我が家の平和のためにもどうぞそんな中学生は現れません
ように・・と、家人のつぶやく声がしています。
その気持ちのままにタイピングしておりますので、端々の過激な表現は
お許しください。
(みなさん知ってますよ。あんたがどれだけ過激なかくらいは。ながーい
お付き合いですから←家人の声)
わたくしはお昼ごはんをいただいたあと、急ぎの用がないと商店街を
散歩代わりに徘徊します。
運動にもなりますし、人間ウオッチングや、その時に出会う様々なことが
面白いので楽しい日常のひとつです。
さて、さきほどのことです。
デパートの北海道展にいって、海鮮コロッケやらカップケーキやらを買い込んで
帰途に就くため、商店街を二分する大きな交差点に立っていました。
向かい側には中学生と思しきミニスカートから見える足もかわいらしい女の子と
その連れらしいボーイッシュな女の子。その子は長いスウェットパンツに、
大ぶりのカーディガンみたいな上着を羽織っています。
するとわたくしの後ろで声が・
「あ、あれマナじゃん。」と・・
「ほんと、マ~ナ」と二人連れの声。どうも自転車に乗っているらしいです。
手を振ったのか、ミニスカちゃんが笑顔で手を振り返します。
後ろの自転車っ子も手を振っているのでしょう。
「隣は、ありさじゃん(仮名です)。」
「ほんとや。でも、ありさって可愛い名前なんやけど、顔はまんまゴリラやね。」
「ほんとやな。まんまゴリラ。」と、自転車っ子は笑転げながら会話しています。
この声はわたくしに届いていますから、他の信号待ちの人の何人かは、
聞いていると思います。
わたくしの怒りに火が点り、振り返ろうとする気持ちを抑えて、向かい側を
見てみました。
もちろん向かい側までに声は届きはしないでしょうが、笑顔のマナちゃんの隣で
ありさちゃんは、笑い顔でもない、複雑な笑みで時々、あらぬ方向を見たりして
待ち時間をやりすごしています。
そのうち信号が変わりました。
自転車っ子はわたくしを追い越して、向かいの二人とすれ違いざま
「マナ~バイバイ~。」と手を振り、
マナちゃんも満面の笑顔で振り替えしています。
でも、マナちゃんの隣のありさちゃんには声を掛けるどころか一瞥もしない。
まるで誰もいないかのような動作。
でも、それは自転車っ子だけでなく、マナちゃんも一緒です。
隣にありさちゃんなどまるでいないかのような動作。
ありさちゃんは・・・といえば
彼女もそこに自転車っ子もマナちゃんもいないかのように、あらぬ方向に
首を回したり、微妙な笑顔を作ったり、手もふらなければ、マナちゃんに
話しかけもしません。
・・・・これはいじめの端緒なのでしょうか。
あきらかにありさちゃんは無視されています。
わたくしがこの自転車っ子の親か身内であったら、自転車蹴飛ばしてますよ。
実際、交差点でしょうかとさえ思いましたが、寄る年波、自転車蹴飛ばして
交差店内で自分が転んだら、洒落になりません。
僅かに残っている理性がそれを止めました。
怒りが収まらないわたくしは、事務所につくや家人にそのことをぶちまけると
「よう、我慢した。僅かな理性を大切にしてくれ。」と、妙な褒められ方を
したことは・・・流しておきましょう。
同性の身で、相手を「ゴリラ」とは何事ですか。
かなり前から思っておりましたが、最近のテレビ等で女性相手にあからさまに
顔の美醜を指摘するアホ男ども。特にお笑い系に多いですけどね。
見ていて耐えられません。
家人は、女の子もそれが「売り」なんだから、一概に男を責められないとは
言いますが、それは芸でしょうか?
「ブス」とか「へちゃむくれ」とかを、女の顔に向かって言い募る男どもの
アホ面を、自分で鏡見てみろ!と、言いたくなります。
しかも、そういいながら、叩いたり蹴飛ばしたり平気でしています。
ちょっと前に、顔のこといじられるのはいやと、テレビを拒否した女性芸人
さんがいましたが、「よくやった。」とわたくしは思います。
顔の美醜は女性のお笑い芸人さんにとって、「得」なのかもしれません。
わたくしの浅い表現では次のようにしか言えないので、もしかしたら
とても気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれませんが、お許しください。
その上であえて言いますが
女性の顔を美醜で笑うあなた。
それは、例えて言うなら、手足がなくなった方を笑うのと同じではないですか?
このふたつがどう違うかわたくしに説明してください。
美しいか、美しくないかは、人生の精算時にはたいして差はないのです。
人は誰も年をとれば、それなりに皺も増え、色素もくすみ、90才でも100才
でも、そう変わらなくなります。
これは人生を経れば経るほど、実感としてその真意が判って来ます。
若いとき美人は得と思っていても、外見だけで判断されると有象無象の男たちが
やってきて、上辺だけで選ばれてしまう危険があります。
美人ではないと嘆いても、そのあなたを選ぶ男は、あなたの本質を見て
選ぶわけですから、たった一人であってもいいのです。
これは、残念ながらある程度の年にならないと、なかなか判りません。
でも、だからと言って、テレビの中で、女性芸人さんに
「ブス」とか「デブ」とか言い募って、あまつさえ笑いながら暴力を
揮う男性芸人さんたちを見て、またそれを見て笑転げる人たちを見ていたら
・・・・・もうこんな世の中、終わってもいいかも・・・とさえ思います。
前述の中学生も、こんなテレビ見てたのかなとさえ思います。
おババの妄想と笑われようと、もしもわたくしの身内や近しい人の中に
件のような自転車っ子がいたら、わたくしは迷わず自転車蹴飛ばそうと思います。
自分が転んでも・・です。交差点ではやめますが・・・。
そしてその親を捕まえて、被害者面して、懇々と説教垂れてやりますとも。
・・・やれやれ、我が家の平和のためにもどうぞそんな中学生は現れません
ように・・と、家人のつぶやく声がしています。
by sala729 | 2016-02-18 14:38