ツバメ騒動記
2015年 04月 27日
ほぼ20年ぶりに、燕さんたちが我が家に帰ってきました。
もちろん、当時の彼らではないでしょうが、当時と全く同じ場所に
巣作りをしはじめました。
これを見て一番喜んだのは、家人です。
彼にとっては初体験・・・。それはもう、誰よりもそわそわと
何度も見に降りては、戻りを繰り返し、わたくしが
「巣が落ちちゃったら可哀想だから下に受け皿作ってやらんとね。」と
言うと、あろうことか巣作りの真っ最中に脚立を取り出して、なにやら
ごそごそと動き回ります。
「何やってんのよ。それは巣ができてからよ。」と、わたくしが
声をかけでも、「いや、ネットで調べたら、天井から15センチのところに
巣作りするっていうから、このあたりに受け皿してやってたら、丁度いい」と
聞く耳を持ちません。
・・・・そりゃあ、燕夫婦も、危機感持ちますよ。
こう何度も見に来られて、しかも巣づくりの土台を作りかけたら、いつの間にか
下に受け台なんかができて・・・不審・・と、思われても仕方ありません。
15センチなんて、ネットすずめの噂話で、どんなに気を回してあげても
燕は燕の論理と生活体系で動きます。
人間の「お心遣い」など、なんの必要もありません。
それどころか、まさしくこれこそ「余計なお世話」です。
案の定、燕夫婦はその場の「巣作り」を中止しました。
家人の落胆は、それはもう見るに気の毒・・なわけありませんっ!
人がやめろと言っているのに、ネット雀に踊らされて、いらんお世話の
大安売りの結果がこれです。
ふつーに考えて、巣作りの真っ最中に脚立立てられて、柱に受け台なんて
作られたら、燕からしたら警戒情報!まっ赤、赤でしょ。
「こーへんようになった。」軽い関西弁までも、腹だたしく響きます。
「あなたのせいよ。どうしてくれるの。」
相手が落ち込んでいるからといって、同情するような私達の関係ではありません。
(そうだよね。むしろ余計責め立てるよね。と懲りない家人の独り言です)
「どーしてくれるって・・・どうしたら燕さん帰ってくれる?」
・・・・・・・ばしっ!!!
なに可愛い子ぶってるのよ。自分のした始末は、自分でつけなさいよ。
散々罵詈雑言を浴びせかけ、怒れる自らを落ち着かせようと、わたくしは
リビングに戻って、友人娘から送られて来たハーブティーを楽しむ
ことにしました。
そして一時間後・・・・
「おおっ・・・・」
凝りもせずに、庭先を見つめていた家人が、感嘆の言葉をしっかり口の
中に納めて、リビングにやってきました。
「見て。見てよ。見て、見て」
まるで、ちびの「ボク見て見て」口撃のようです。
「なによ。」
不承不承、階下に下りて・・・
「おおぉぉ・・・」
思わずわたくしも声が漏れました。
なんと、件の燕夫婦(状況からしてたぶん同じだと思います。顔の分別が
つきませんが・・・)が、隣の柱に巣作りを初めているではありませんか。
もうだいぶ、土泥を塗りたくり土台を作っていました。
「もう、余計な手出ししないでよ。自然は自然に任せよ。所詮、
ネットでは、自然の営みのホントは判んないだから。」
ひたすら、相槌をうち続ける家人。
リビングに戻るわたくしを尻目に、今度は1階の部屋からそっと
外を窺っておりました。
それでも、家に人がいたら作りにくかろうと、その日、わたくしたちは
たいした用事もないのに、一日自宅を空けて、夕方帰宅しました。
土台づくりは順調のようです。
一夜明けて、もうだいぶ慣れたのか、燕夫婦は、わたくしたちが外にいても
せっせと藁や泥を運んできます。
こうして巣づくりをして、卵を産んで孵して育てて、また季節になったら
帰っていくのですね。
ふと、古代ローマの哲学者、セネカの言葉を思い出しました。
「人生は短くなどない。与えられた時間の大半を我々が無駄遣いしているに
すぎない。」
せめて、ひと時は、この言葉を噛み締めて生きたいと思います。
もちろん、当時の彼らではないでしょうが、当時と全く同じ場所に
巣作りをしはじめました。
これを見て一番喜んだのは、家人です。
彼にとっては初体験・・・。それはもう、誰よりもそわそわと
何度も見に降りては、戻りを繰り返し、わたくしが
「巣が落ちちゃったら可哀想だから下に受け皿作ってやらんとね。」と
言うと、あろうことか巣作りの真っ最中に脚立を取り出して、なにやら
ごそごそと動き回ります。
「何やってんのよ。それは巣ができてからよ。」と、わたくしが
声をかけでも、「いや、ネットで調べたら、天井から15センチのところに
巣作りするっていうから、このあたりに受け皿してやってたら、丁度いい」と
聞く耳を持ちません。
・・・・そりゃあ、燕夫婦も、危機感持ちますよ。
こう何度も見に来られて、しかも巣づくりの土台を作りかけたら、いつの間にか
下に受け台なんかができて・・・不審・・と、思われても仕方ありません。
15センチなんて、ネットすずめの噂話で、どんなに気を回してあげても
燕は燕の論理と生活体系で動きます。
人間の「お心遣い」など、なんの必要もありません。
それどころか、まさしくこれこそ「余計なお世話」です。
案の定、燕夫婦はその場の「巣作り」を中止しました。
家人の落胆は、それはもう見るに気の毒・・なわけありませんっ!
人がやめろと言っているのに、ネット雀に踊らされて、いらんお世話の
大安売りの結果がこれです。
ふつーに考えて、巣作りの真っ最中に脚立立てられて、柱に受け台なんて
作られたら、燕からしたら警戒情報!まっ赤、赤でしょ。
「こーへんようになった。」軽い関西弁までも、腹だたしく響きます。
「あなたのせいよ。どうしてくれるの。」
相手が落ち込んでいるからといって、同情するような私達の関係ではありません。
(そうだよね。むしろ余計責め立てるよね。と懲りない家人の独り言です)
「どーしてくれるって・・・どうしたら燕さん帰ってくれる?」
・・・・・・・ばしっ!!!
なに可愛い子ぶってるのよ。自分のした始末は、自分でつけなさいよ。
散々罵詈雑言を浴びせかけ、怒れる自らを落ち着かせようと、わたくしは
リビングに戻って、友人娘から送られて来たハーブティーを楽しむ
ことにしました。
そして一時間後・・・・
「おおっ・・・・」
凝りもせずに、庭先を見つめていた家人が、感嘆の言葉をしっかり口の
中に納めて、リビングにやってきました。
「見て。見てよ。見て、見て」
まるで、ちびの「ボク見て見て」口撃のようです。
「なによ。」
不承不承、階下に下りて・・・
「おおぉぉ・・・」
思わずわたくしも声が漏れました。
なんと、件の燕夫婦(状況からしてたぶん同じだと思います。顔の分別が
つきませんが・・・)が、隣の柱に巣作りを初めているではありませんか。
もうだいぶ、土泥を塗りたくり土台を作っていました。
「もう、余計な手出ししないでよ。自然は自然に任せよ。所詮、
ネットでは、自然の営みのホントは判んないだから。」
ひたすら、相槌をうち続ける家人。
リビングに戻るわたくしを尻目に、今度は1階の部屋からそっと
外を窺っておりました。
それでも、家に人がいたら作りにくかろうと、その日、わたくしたちは
たいした用事もないのに、一日自宅を空けて、夕方帰宅しました。
土台づくりは順調のようです。
一夜明けて、もうだいぶ慣れたのか、燕夫婦は、わたくしたちが外にいても
せっせと藁や泥を運んできます。
こうして巣づくりをして、卵を産んで孵して育てて、また季節になったら
帰っていくのですね。
ふと、古代ローマの哲学者、セネカの言葉を思い出しました。
「人生は短くなどない。与えられた時間の大半を我々が無駄遣いしているに
すぎない。」
せめて、ひと時は、この言葉を噛み締めて生きたいと思います。
by sala729 | 2015-04-27 15:02