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今年も残り少なくなってまいりました。

正直、年とともに体力的な衰えは感じております。二夜続けての
夜更かしや徹夜が辛くなったとか、走ったり跳んだりは、もともと嫌いでは
ありましたが、最近は嫌いというより、出来なくなったというほうが正しい
くらいの有様です。
そしてよく、ものに躓きます。何もないところにです。しかも、それを
堪えきれない。つっ・・と、前なら躓いてもなんとか踏ん張れたのに、
それが出来ずにパタン。

しかも、物を手にしていたらとっさにそれを放り出して体を支える・・
そんな簡単なことができなくなっています。
鼻っ柱を床に当てて、「あら、私って鼻、高かったんだ・・」なんて
余裕は・・・ありません。あ、いたた・・・。。。


それに反するように、口舌のほうは、滑らかになる一方で、将来はどんな
嫌われ者ババァになるかが楽しみです(^^)
年を経て、一番よかったなと思うのは「言えることの範囲が毎年広がって
くる」ということです。
青二才や、生意気小僧を前に「何言ってるのよ。10年早いっ!」と、一喝
できるのも、この年ならばこそ。


そう考えると、出来なくなることも、出来る事もあって、プラスマイナスは
上手くできているということでしょうか。


私とて、世間の皆様程度には、自分の老後というものは考えております。
(いやいや、世間並みなんてことは絶対ないっ!と、家族は口を揃えて
言いますが・・)

それはともあれ、自分の最期は自分では決められないのです。
これは、世界中のどなたさまも同じです。
死は与えられたときに受け止めるしかない・・・と、思っています。
当然心残りもありましょう。
でも、それでも仕方がない。心残りのない死などあり得ないのです。

私の死生観はここから出発しています。

私は自分の死後をあれこれ家族に言い残していますし、書き残してもいます。
家族がそれを実行するかしないかは、判りませんし、確かめられないので
自分で残しておくという行為だけで満足です。
できないことをとやかく思い悩むことは不毛です。

この年まで生きてくると、自分の出来る事の限界がうすうすですが見えてきます。
これも年を取るという行為の、有意義な点の一つですね。
それが見えてくるから、言い残したり、書き残したりできるのです。

あとは、「おまけ」の時間ですから、楽しくゆったりと時間を過ごしたいものです。
自分のしたことや、好きなことに囲まれて・・・と、ここまで綴っていると
ブログを横からひょいと覗いた家人が・・・

「別に、今更何言ってるのよ。これまでだって、ずーーーっと、好きに
過ごしてきたじゃん。これ以上、どーしたいの?」


・・・・・・・・・・・・・・・・むっ・・むむ・・
人が折角年の瀬に、ちょっと気の効いた「歳時記」書こうかとしてたのに、
なによ!この無作法な割り込み。


私達の次の年も、どうやら今年と同じように明けるみたいです。(笑)

by sala729 | 2013-12-26 12:15

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