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いやはや、なんとも満ち足りたです。
今朝ほど、宮部みゆきさんの最新作「ソロモンの偽証」三部作、読み終えました。
前作「小暮写真館」について、三年待たせてこれ?・・・みたいな書評をここに
書いてしまったことを、今心から反省しています。

私は、宮部みゆきさんの「火車」以来の愛読者と自負しております。時折
彼女が出されるファンタジーは、どうも避けておりますが、その他に関しては
読破しております。

彼女が藤沢周平さんに師事しながらも、情緒や粋や、曖昧さだけでない、
言うなれば「心やさしい合理性」という文体を非常に高く評価しておりますし
愛しております。
その、私の心根を、しっかりと捕えてくれましたね。・・・書いててなんだか
ラブレターみたいになってきて、さすがに少し気恥ずかしいです(苦笑)


しかも、この時期、このタイミングでのテーマというところが、この作家の
先見性と感性の真骨頂というものでしょう。
クリスマスイブに学校の屋上から飛び降りた少年。
それが他殺と告発文を書いた少女。
そしてそれが自殺なのか他殺なのかを、裁判と言う形で明らかにしていく
少年たちと少女たち。そしてその保護者や大人たち・・・

作品の中の少女も少年もどこにでもいる子たちで、その親たちもまたそうです。
教師もそうです。
私はこの時代、親でも子でもない世代でしたが、子供を持って、初めて見える
大人の社会というものもあります。

思わず・・うんうん。いるいるこんなお母さん。お父さん。
いるね。こんな先生。
悪だけでなく善だけでなく、等身大の先生や大人が、それぞれに自分の子供を
見守ったり、突き放したり、迷惑かけたり、かけられたり。。

群像劇とはいえ、長く生きているととても共感できる人たちの中の出来事で
あることが実感できます。


そして健気ではあるけれど、一筋縄ではいかない主人物の少年も、けっして
ただの優等生ではない少女も、それはそれは魅力に溢れており、この子達の
大人時代が見てみたいと心から思いました。

悪意だけで生きている人間はいないけれど、悪意はいつも心の裏側にいる。
じっと息を潜めてその出番を待っている。
それを押さえ込んだり、説き伏せたりするために、人は「友達」を得ようと
するのだろうか。
そういう意味とは知らないままで・・・・
それが本能というものの為すべきことなのだろうか・・・


宮部みゆきさんは市井の人たちにとても優しい眼差しを向けます。
でも、それはただ優しいだけではない。
弱かったり、愚かだったり、醜かったりもするけれど、それでもすべて
包み込んでしまうような、そんな優しさで描いているように思えます。



まだ読んでいらっしゃらない方のために「ネタばれ」に、なってはと
思って、抽象的に書きましたが、これは本当に「読書した」という
爽快な気分にさせてくれます。
秋の夜長・・・ぜひお薦めします。

いつもは読み終えると、片っ端から売り飛ばす私ですが(笑)
「あのさ、せめて宮部みゆきさんと、高村薫さん(私の好きな二大作家さんです)
のは、これからは置いておこうよ。老後の読み返しのためにさ。」と、
提案する家人に、たまには良いこと言うわねという感想は胸にしまって
「そうね。」と、不機嫌に呟いてみました。

こんな不機嫌なふりするときは、そーでもないってこと知ってるよなんて、
余計な注釈入れなければ、なかなかの人物なのですが、まだまだ小者です。

「あーちゃんは、ちよっと難しい」と、嬉しげな顔してちびの口癖を
真似ながら、本棚に片付けるところを見ると、家人にはどんなにしても
「本を読む」ということは、遠い動作のようです。(笑)

by sala729 | 2012-10-17 16:01

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