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母の日が終わりました。・・・と、言っても私の母はもう亡くなって14年に
なります。

私は一人っ子でしたから、幼い頃の自分の世界には父と母しかいませんでした。

父と母は幼馴染でしたが結婚したのは日本がかの世界大戦に敗北してから三年目。
当時の日本の国には、戦争の影響で適齢期の男性の絶対数が極端に少なく、
正直言って、こんな時代でなければ、母は父を選んでいなかったと、私は今でも
思っています。(笑)


色が浅黒く、早くに母親を亡くしていますから、当時の女性の身だしなみや
常識に欠けるところはあったと思いますが、元気で男勝りというのが、
その頃の母の「持ち味」だったことは、近所の友達であった父の姉妹たちや
父方の祖母から聞いています。

母は私と同じ一人っ子で、母方の祖父と二人暮らしでした。
結婚してからも自分の実家の隣に住むようにしたのも、そういうことの
配慮からだったのかもしれません。


でも、その当時の女の多くがそうであったように、母も娘から嫁に呼び名が
変わった途端、「嫁・姑戦争」の真っ只中に放り込まれることになりました。


なにしろ、うちの祖母ときたら、自分の浮気が原因でのバツ一。その後も
男性をとっかえひっかえ(笑)。
復員してきた父が赤ちゃんを背負っている妹を見て「何処の子だ?」と聞いたら
「妹の○○子よ。」と、応えたというくらい自由奔放に生きた人でしたが
そういう人のご多聞に洩れず、自分には甘く、他人には厳しいというのを絵に
描いた様な性格でした。これは、私もよく見聞きしております。


こんな姑に嫁しづいて、上手くやれる嫁はまずいないでしょうけれど、もちろん
うちの母もその他大勢の口でした。
戦争で焼けた家の代わりと建てた、二間の掘っ立て小屋みたいな家に、若夫婦と姑。
そして赤ちゃんを含む5人の妹。
隣の部屋で寝ていると、エッヘン、オッホンと意味のない咳払いを繰り返し
自分が外出するときは、米びつに印を入れて、帰ると必ず確認していたという
ツワモノ姑です。


後年、この祖母には母も私も振り回されました。
もちろん、母のほうが私の数倍彼女の面倒見ていましたが、彼女は母よりも
ずっと後に94才で大往生いたしました。
生前の行いなんて、エンマ様でも騙されることがあるんですねぇ。。。


妹たちが嫁ぐことになって、なんの仕度しないわけにはいかず、自分の
持ってきた箪笥や鏡台をひとつづつ持たせて、幼い下の妹たちの学校に
父兄として参加したり、当時の嫁としては当たり前かもしれませんが、
私には、かなり理不尽なことに思えました。


もっとも、私は両親の遅い子で(隣の部屋の祖母があの調子でしたら
なかなか子供に恵まれません・・というか作れません。苦笑)こんな
ことを私が理解した頃はもう母もいい年になっていました。


妹達が結婚したり、学校を卒業したりして、やっと人並みの生活を手にする
頃、わが父はギャンブルに嵌りこみ、それも元来の小心者ですから、
自分だけでなく、母も連れて出かけていくのです。
父が母も好きなんだから・・という名目を作りたいという意図を知ったのは
ずっと後のことです。



私は小さい頃から、自分で言うのもなんですが、本が大好きでいつも本を
読んでいる子でした。そのまま成長して、今は、いつも本を読んでいる
おばさんになりました。(^^)

でも、それだけに小生意気な子で、いつも父のことはもちろん、母のことも
冷ややかな目で見ていました。
私が中学生の頃は、学生運動真っ盛りの頃で、父は本気で、このままでは
私が全学連にでも入るんじゃないかと心配していたようです。

・・・ま、その心配は浅間山荘事件でなくなり、私は立派に「過激なおばさん」に
なりましたけどね。



私は自分が親に対してしてきたことを、決して褒められたものではないことは
自覚しています。
たったひとりの子供でありながら、時には他人よりも冷たい視線で接して
いたこともあります。

でも、そのことを今になっても父に対して後悔はしておりませんが、母には
もう少し判ってあげてもよかったかなと、思い返すことはよくあります。

自分を主張する術を知らず、ただ夫に寄り添っていることでしか生きられないと
思い込んでいた母は、ある意味その当時の日本の女性の縮図です。

私は、そんなことはないと何度も説得し、あまつさえ離婚を勧めたことも
ありますが(・・はい。とんでもない娘です。)自分が、だんだんと
母の亡くなった年に近づくにつれ、この母のことを息子や娘に伝えておきたく
なりました。

特に、息子は極めつけの「ばあちゃんっ子」ですから(今でも帰省のたびに
お墓参りを欠かしたことはありません)この母の生涯を、伝えておいても
いいかなという気がします。

生涯と言ったって、大それた事をしたわけでも、もちろんたいした事を
したわけでもないのですが、息子や娘にとってはルーツです。
私が判っていることだけでも、きちんと伝えておきたいなと、1年ほど前から
思ってきました。


もちろん、いいカッコしぃの私が残す文章ですから、ちよっとばかり、格好
つけたところもあります(笑)
でも、概ね、事実だけを残すつもりです。なにしろ読者はたった二人。しかも
肉親ですから、今更格好つけてもね。(自爆)


これを、母の日にと思いつつ、実は今年も間に合いませんでした。(^^:)
私もまだ当分は死にそうにもありませんので、いつかは間に合うと思って
いますが、こんな私の一代記は、誰が書いてくれるのか・・

振り返れば、誰もいなかった・・・ですね(笑)

by sala729 | 2012-05-14 15:55

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