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超低速の台風が、どんよりと四国・中国地方を横断しかけていた頃、私は古い友人たちと、初めての
「お泊りオールド女子会」を、楽しんでおりました。(台風被害を受けた皆様には、申し訳ありませんと
言うしかないのですが・・)

なにしろ、ン十年に渡る付き合いの、ひとりは小学生の頃からのふるーーい「友人」です。
え?・・「尋常小学校」か「寺子屋」ですと??・・・そんな馬鹿な、いくらなんでも・・
でも、学校給食で脱脂粉乳に四苦八苦した世代ではありますけどね(笑)


学生時代を経て、それぞれに結婚してからも、時には家族単位でキャンプやスキー。
忘年会に新年会と、寄せては返す付き合いを続けて、お互いの子らは、生まれた時からの「幼馴染」で
今では、子同士も里帰りのたびに旧交を温めています。



そんな私たちでも、女たちだけで泊りとなるとなかなかタイミングが合わず、やっと実現したのが
この日の集まりです。
一人はどうしても泊りができずに、夕刻帰りましたが、ホテルインの午後3時から話続け、個室の夕食の
時も話つづけ、仲居さんから「お話の続きはお部屋で・・」と、微笑みながら、促されましたが、
心の底では、たぶん呆れていたことでしょう。べつにそれでも平気ですけどね。


一旦露天風呂で汗を流し、再び話つづけること数時間。
外は台風の影響で激しい雨と風が吹き荒れていると言うのに、そんなことには全くお構いなしで
気づいたら午前4時。

眠りについて起きると、7時です。朝ごはんを終え、チェックアウトまで話しこんで、精算終えたら
ホテルの喫茶室で話し、お昼になったら友人宅近くのカフェでランチを食べ、またまた話こみ・・・


ほんとに、女三人よれば・・とは言いますが、こんなに話すことがあるか!と、突っ込まれるほどに
喋り、話し、喋り、話しの「お泊りオールド女子会」でした。


其々、結婚30年にはなろうという「ツワモノ揃い」
いろいろあります。長い月日の間には・・その時にはいくら友でも、いいえ、友だからこそ言えないことも
月日が洗い流してくれれば言えることもあり、月日が堆積したからこそ言えることもあり・・です。

ただ、私は夫を失くて10数年という月日が流れており、家人との暮らしも、いわゆるフツーの形とは
違いますが、夫を亡くした時は誰よりも心配して案じてくれ、家人とのことを初めは不安視しながらも
理解し受け入れて信じてくれているという状況ですので、彼女らとはちょっと環境が違います。


それにしても、30年の間のこの「忍耐」と「諦め」の、重いこと・・
いみじくも、大トラM(前述の娘など、トラと呼ぶのもおこがましい飲みっぷりを豪快にみせてくれた
ものでした・・)が、ぽつりと「若かったからできたんよ。」という一言が、心に残りました。


慎重常識派のTは、両親の介護と夫の定年が重なって、自分の忍耐に向き合ったようで、思いやりと
いうのは、相手にそう伝わらなかったら、なんの意味もないことを身に沁みたとつぶやいていました。


そうなんです。特に私たちの上世代の男性は、何も言わないのを美徳としているのか、めんどくさいのか
知りませんが、夫婦で言い争っても、途中で投げ出したように何も言わなくなります。
「言わなくても判るだろう」とか「もう判った」と、打ち切って自分の世界に入り込もうとするのです。

でも・・でもですよ。人間はなぜ言葉を生みだしたのでしょうか?


自分の気持ちを相手に伝えたり、相手の気持ちを知るため・・・ではなかったのですか。


それなのに、自らが話しあいを拒否するなんて「サル以下」の所業ではありませんか?



私は言います。「なぜ寝かせるの?。私は眠らせない。叩き起して、話し続ける。判りあえるまで。少なくとも
自分の言い分を伝え切るまでは。」

彼女らは優しいですよ。思いやりにあふれています。
これ以上話を続ければ、明日の仕事にさし障ると、そこで言葉を呑み込んでいくのです。それを
続けて・・続けて・・・続けて・・・・


そんな優しさや、心遣いは、それが「思いやり」と、相手に判ってもらえてこそ、意味があるのです。
判ってもらえないと、それは妻の中に「澱」のように堆積していくばかりです。
そして、いつしか夫はそうすることで、いやなことを聞かなくて済むことを学び、行使し、妻の思いやりだなんて
これっぽっちも気づかずにすごすことになるのです。


私は、彼女たちとは家族ぐるみの付き合いをしてきましたから、夫たちのこともよく知っています。
個々に問題はあるかもしれませんが、世間的に言えば、及第点との「旦那さま」とは思います。
彼らの優しさや、大らかさに助けてもらったことも多々あります。


でも、私の友は彼らではありません。彼らはあくまで、私の友の夫です。
彼女たちの、我慢や届かない思いやりを、受け止められない彼らを、歯がゆく思います。


私は、自分がこの世の最後の時まで、彼女たちとは友であり続けると思います。
その時に私がしたいこと、子らにしてほしいことを彼女たちは知っています。そして、私が自分で
それを言えなくなったときに、私に代って、家人や子らに伝えてもくれる、大切な大切な「友」です。


私は私で、この厄介な性格を、知り尽くして、自分たちの尺度とは全く違っても、「AはA」と、受け止めて
くれる彼女たちの存在は不可欠です。


この年になってこんな青臭いことを言うとは思いもかけませんでしたが(笑)、時間をかけて大切に
育んだ友というものは、本当にいいものだと、しみじみ思った夜でした。
歳を重ねるということは、こんな満ち足りた幸せを得ることだと、知りました。


ただ、帰宅して、いつもなら喋り続ける我が家の夕餉が、心なしか静かだったのは、二日間喋り続けた
後遺症なのでしょうか?(笑)

by sala729 | 2011-09-04 19:50

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