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昨日、10代の少年が脳死判定をされ、その臓器が同世代の子を中心に移植される
というニュースが、流れました。
亡くなられた子供さんは「世の中に役立つ人になりたい」と、言っていたとご両親の
コメントがありましたが、こんな志の高い子がなぜ・・・と、思わずにはいられません。

そう思いながら時間を過ごしていると、彼の臓器は、いろいろな病院で、いろいろな
人に移植されていると、次々とニュースが流れてきます。

もちろんそれ自体、多くの人を救うことなので、彼の遺志に反することではないでしょう。


でも・・でもね

このニュースの流れ方に、??マークが点灯したのは、私だけなのでしょうか?


こんな言い方は、よくないと知りつつ、あえて言いますが「さぁ、あれも、これも
持って行って」みたいな感じを抱いたのは私だけなのでしょうか?



子を持つ親として、彼のご両親がどんな決断をしたかは、察するに余りあります。
私も、自分自身は臓器提供カードに、「すべての臓器」と、記しています。

しかし、これはあくまで、自分のものに関してだからです。

これが子のものとなったら、自分がそう言えるかどうか、全く自信がありません。

私の夫が亡くなったとき、いえ、正確に言うなら、脳死状態であったとき、夫の
母はその二ヵ月後に、外国人の角膜で、角膜移植することになっていました。

私は、姑に、夫の角膜を使ってくれないかと、言いました。
すると姑は「T(夫の名)のは、使いたくない。子供のを使ってまで・・したくない」と
私のことを異星人でも見るような目をして拒絶しました。


その時の私は、平常心を失っていましたから、「私だって、使って欲しくて言ってる
わけじゃない。パパ(夫のこと)の、体を傷つけたくなんてない。」と、反発もしましたが
(もちろん心の中で・・というぐらいの思いやりはあるつもりです)
今になって思えば、それは母として、当たり前の気持ちであったかもしれないと、
少し同情できるかなと、思えるところもあります。


そんなことを経て、私は自分の臓器提供カードを持つようになり「使える臓器の
すべて」と、記しているのですが、彼はまだ10代。
その未来のすべてを、閉ざされて、ご両親は悲しみの錯乱の中にあろうかと
思えるのに、臓器提供の決断をされたのは、本当に・・ありきたりな
表現しかできない自分の無学を嘆きますが、・・ご立派な決断であると
心から思います。


ても、それが、ニュースとして報道されると、「あれも、これも・・」的な
受け取り方になってしまうのは、ご両親の心情を慮ると、許せない気持ちになって
しまうのです。

これは、ひとえに報道の仕方に問題があるのでしょう。

彼の臓器のひとつ、ひとつが、他の誰かを助けることになっても、ご両親にとって
彼は唯一無二の、「息子」であり、彼の臓器のひとつ、ひとつは、彼だけのもので
あったはずなのです。
そういう、尊厳がニュース報道には感じられないのです。

そう思ったのは私だけでしょうか?



我が家のリビングには、夫の遺骨が置いてあります。
下の和室の仏壇でもなく、墓石の下でもなく、私のすぐそばに夫の遺骨はあります。
何度か、納骨ということも考えましたが、淋しがりやの夫が、私達と離れることを
望むはずがないと、私は思っています。

今では、何の違和感もなく、リビングで鎮座する夫の遺骨は、他人様から見れば
異様に思えるかもしれませんが、我が家では、当たり前の普通の情景です。

もちろん、息子も娘も、家人もそれを、そのまま受け止めていてくれます。
そして、命日でもなく、お盆でもない、夫のお誕生日に、派手な花束をその前に
飾るのが、我が家の「しきたり」になっています。


でも、思うのです。
あの時、姑の角膜移植に、夫の角膜が使われていたら、「本当に夫は、まだ
生きている」と、思えるのではないかと。。
そう思えることは、もしかしたら、幸せなことなのではないかと・・

ただ、そう思えるまでには、長い、長い時間が必要でした。


その時間を飛び越えて、息子さんの遺志を成し遂げられた、ご両親様のお気持ちを
思うと、仇や疎かに受け止められていいはずがありません。

ニュースの公平さと、客観性を考えたら、難しいのかもしれませんが、せめて
彼とご両親の、勇気と慈愛に、敬意を表した、表現をして欲しいものだと、心から
思いました。



私は、この地から、彼のご冥福を心から祈り、ご両親様のお気持ちを、衷心から
支持致します。(合掌)


             

by sala729 | 2011-04-14 09:57

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