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今朝、起きてみると一面の、白、白、白
昨夜寝る前に、そっと寝室のカーテンを開けた時も、もうすでに積もってはいたのですが
今朝は、本当に何年振りかというほどの積雪で、我が家の前の空き地では、早起きのお隣の
小学生が、もうすでに雪だるま作りに精を出していました。

ベランダに積もった雪も、かなりな量で、誰も足跡を点けていない、純白の雪がまぶしく光って
いるのは、やはり美しいものです。


ただ、その日予定していたことが、すべて流れてしまったのは困ったことではあるのですが、
自然は人間の思い通りにはならない・・・と、いうことですね。


そんな休日のお昼前に、珍しくテレビに見入ってしまうことになりました。
日本テレビ系で10時30分くらいからだったと思いますが「津軽袰月ものがたり」
(参考までに、北津軽郡の、ほろづき、と、読む地域なのだそうです)

ここは、津軽半島の先っちょにある、いわゆる限界集落です。
88歳を最高齢に、老人ばかりの町で、ここに子供も若者もいません。
この街の四季を、和久井映見さんがナレーションして話が続くのですが、もちろん
津軽ですから、冬は厳しいですし、春はなかなかきません。しかも集落の背後が
山の斜面なので日差しが差し込む時間は短いです。
夏には子供たちが、孫たちを連れて帰ってきますが、お盆が終わると三々五々帰っていきますので
余計にさみしさが募ります。

午前中に二本だけのバスだけが頼りで、片側に荒波を受ける舗装の悪い道路を、走っています。


でも、ここの住人たちは、穏やかで、淡々と日々を送って、年老いた漁師も、農婦も、自分たちの
為だけの収穫はしません。
みんなに分け与えるために、若布を捕り、大根を育てているのです。
農婦は言います。
[息子も誰かに何かしてもらっているかもしれない。息子にあげてると思ったら、なんも
勿体ないとは思わない。」
漁師は言います。
[金に換えようなんて思ってない。みんなに食べてもらったら、それでいい。」


助け合って、補い合って暮らす日々。村の祭りも、細々とでも続けています。
そうした、無理をしない、足りないを知る生活が淡々と進んでいきます。

一人暮らしの、漁師は言います。
「80年以上をここで暮らしてきたんだ。ここがいい。」

過酷な土地に、子供を縛りつけたくなくて、町に出したものの、自分はここがいいと言う漁師。

彼の家の隣に、ここで育って、町に出て、停年を迎えてUターンした夫婦がいました。
彼もここで育ったから、ここに帰ってきたのです。



私はこの番組を見て、子供を育てる「土地」ということを思い返していました。
今、私が住むこの土地は、嫁いで亡き夫と二人で新しく築いた場所ですが、私の息子と娘にとっては
生まれて育った場所です。
息子は、今は東京で一人暮らしをしていますが、停年になったらここに帰ると、常々言っています。
本心かどうかは知りませんが、息子にとっての故郷のこの地は、決して居心地が悪くはないと
いうことなのでしょう。

娘も結婚して、一旦は夫の近くに住んだものの、結局この地に戻って、子育てをしています。
近くに、子供のころからのお友達がいることもありますが、この土地のひとつひとつを、彼らは
知っています。
どんなに、環境が変わろうとも、あの道を曲がったら、小さな祠があって、そこで小学生時代は
肝試ししたとか、あの川の曲がり口の草叢には、いつもザリガニがいたとか、あの家と、あの家は
誰々の家とか、そんな変わらないことが子供時代から彼らの中にはあるのです。

それはここで生まれ育ったからあるものなのですね。

私はここでは生まれ育ってはいません。
子供時代は何回も転居して、我が家は何処に行っても「よそもの」でした。
だから、私には、ここに帰りたいという場所はありません。

家人も同じです。
祖父母に育てられた佐賀も、それから移り住んだ西宮も、無条件で帰りたいと希求する場所ではないと
言います。
便利だから、西宮にという思いはあっても、ここで生まれて、ここで育ったからという本能的希求は
ないのです。


息子や娘と同じ感覚を持っていたのが亡夫です。
今のこの地は、私と二人で暮らし始めた場所ですが、それまで彼は同じ処で生まれ育っていました。
秋祭りに帰ると、太鼓台が実家の前に停まるのですが、そうすると、それが当然のように乗り込んで
太鼓を打ち始め、それを息子にもさせていました。
新しくその地域に住み始めた子供たちがいても、平気で順番をとばしてそうさせていました。

私は、よく大人げないと彼をなじったこともありましたが、なぜ非難されるのかと却って不審がられ
たりもしたものでした。今なら判ります。
そして、今はそれが、ちょっとうらやましくもあります。


今はそこに住んでいなくても、いつでも自分の場所がある処・・・・それを「ふるさと」と
呼ぶのでしょうか。




日本の高齢化は、これから加速的にどんどん進むばかりでしょう。
今は限界集落なんて言葉で表している、老人過疎村も増えるばかりでしょう。
でも、いま私はおもうのですが、子育てを一つの地域でしっかり続けると、その子はいつか
そこに帰ってくる・・・

袰月の漁師の隣家の人のように、わが息子のように・・(しっかりしたかどうかは不明ですが・・笑)
現実には帰ってこれないかもしれないけれど、帰りたいという希望は持っていてくれる。
それだけでいいではありませんか?


厳密に考えると、ものの善し悪しは紙一重です。
でも、人は土地に還る。その土地は、やはり生まれ育った土がいい・・のではないでしょうか?

窓越しにベランダの雪を見ながら、そんな土地を持っているわが子たちや、亡夫がちょっと
うらやましくなりました。

そして、一度この「袰月」なんて名前を持った、彼の地に行ってみたくなりました。
もちろん、雪の洗礼を受ける前に・・です。

by sala729 | 2011-02-11 22:46

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