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とうとうこの日がやってきたか・・・
もうこの年になると、こんなことがいっぱいです。いつかはくる!
そう思った日が来るのです。確実に、思ったよりもずっと早くに・・・

わが孫は小4になりました。早いものです。ここで娘の結婚から昨年生まれた第二子まで、いろんなことを
つらつらと書き連ねてまいりました。

わたくしは、自分で言うととても傲慢に聞こえるのが難ですが、自分の子育てになんの悔いもありません。
いや、それはそれほどすばらしい人間に育て上げたか。と、問われると「いやいやいや」と何度も重ねなければ
なりませんが、少なくとも「ああしたい。こうしたい」と思うこと、願うことの大部分は試みてきました。

もちろん沢山の失敗と、ほんの少しの成功がありました(笑)
それでも、あーしたかった。こうすればよかったなどという後悔は殆どありません。
やることはやりました。やりたいことはやりつくしました。その完成品がこれです。
と、あとは世間様に委ねるだけです。

と、こんなわたくしはババになってもはや10年になろうとしています。
生まれて這って歩いて・・・この頃は無条件に可愛かったです。ただただ可愛かったです。

子供は日々成長します。
ましてや一緒に住んでいる訳でもない孫の成長はあっという間です。
幼稚園、小学校とすすむうち、孫はわたくしのことを「難しいあーちゃん」と呼ぶようになりました。
何ゆえかはわかりませんが、無条件でべろべろと舐めるような可愛がり方が終了した頃でした。

話ができるようになったら、意思の疎通はできるとわたくしは信じておりますから、3歳頃からは
彼と目を合わせて話をするように努めてまいりました。
叱るときも、逃げる彼をむんずと引き寄せ、整然と論理的に(家人には子供相手に・・と、何度も
呆れられましたが・・)彼が判ったというまで話続けました。
言わないときは・・そのまま帰します。
自分のやったことを説明して、自省して、話をつなげられないなら、それは動物と同じ(はい。これも
極端なと家人に何度も呆れられました)

それでも、孫は孫。いつも手元にいるわけでも、話せるわけでもありません。
うちは所謂スープの冷めない距離にいて、よそ様より頻繁には行き来しておりますが、親の影響に
叶うはずもなく、彼は日毎父親のミニ版化していくようでした。

もちろんそれは親子として当然のことであり、ここに孫とわたくしの限界があるのですが、それは
どうにもできない限界であることは、わたくしにもわかります。

ただ、どうしても受け入れられないのは、世を拗ねた風に「どうせ・・」という言葉をやたらに
口にすることです。
先日我が家で遊んでいて
「大人になったらいいことがあるよ。」と言うと
「なんで?なんで?そんなん聞いたことがない。大人ってつまらない。」というのです。

・・・・早く大人になれば楽しいことがある。自由がある・・・これはわたくしの子育ての十八番の
科白でした。

むっとしたわたくしは
「あなたねぇ、大人っていったらパパとママしかいないとおもってるんでしょ。」と、浴びせます。
でんぐり返りながら彼は頷きます。
「ばかねぇ。世の中の大人がみんなパパやママみたいだとおもってるの?楽しく生きてる大人だって
いるのよ。」

「どこに?」彼はちょいと魅力的な一重の目をわたくしに向けてきます。

「ここ。あーちゃんと、いーちゃん。少なくともあなたのパパやママより楽しく生きてると思う
けど。」
いい年をして、マジになって詰め寄りました。

彼はわたくしをじっと見て、にっこり笑って
「そうやね。楽しげにみえるわ。」
「でしょ。で、どこが?」
「いつもあそこ行く。ここ行くって旅行の話ばっかりしてるもん。」
・・・・・・・・がくっ・・・・・そ、そうじゃないのよ・・・という言葉を飲み込みました。

子供にはなかなか伝わらないようです。(苦笑)

「最近、パパと上手くいってないのよ。」
隣で見ていた娘がぽろり。
ゲームにはまって時間を守れない彼をパパが叱るのだそうです。
それも、結構感情的に。彼はそれに逆らいはしないのですが、不満ありありなのは
顔をみればわかる・・という反応らしいのです。

・・・しかし、これはちよっと彼の肩をもちたくなります。
聞けばパパも、お風呂と呼んでも「ちよっとネットニュースみてから」
洗い物は?(この家ではパパが洗い物当番なのだそうです)うちではずっと
そうですが(笑)と、言っても
「これ検索してから」とかで、なかなか動かないのだそうです。

それを見ている彼が「パパに言われたくない」という気持ちは察することはできます。

「それに最近嘘ばっかり・・・なんでも誰かのせいにしたり、何かのせいにするのよね」
叱ると、パパやママだって、あの時うそついたって、逆らうし・・・

ふふふふ
わたくしはそれは、彼には言わせませんよ。
わたくしは彼との約束は極力守ってきました。わたくしの二言目は「あーちゃんは
約束を守る女よ。あなたは約束破る男ね。」ですから、彼も
わたくしにはそんなことは絶対に言いません。

約束を守らない大人がどんなに口をすっぱくしても、言葉を重ねても信用されるはずが
ありません。
だからこそ、わたくしは彼が生まれてからこのかた、約束は極力守るように努めてきました。
仕事柄長い先の約束ができないので、娘からブーイングの時もありましたが、それでも
それで通してきたのは、来るこんなときのためです。(笑)



わたくしがにんまりすると家人が・・・

「こんなときのために約束守ってきたって言えばすごいって思うけど、君がいうと
なんだか腹黒い陰謀詐術に聞こえるよね。」

・・・・ぐっ。。それは確かにある。
子供相手にでも、喧嘩は負けたくない・・・かも。というわたくしの心の声が囁いていました。








































# by sala729 | 2017-06-06 16:14

とうとうこの日が来たか・・というのが正直な感想ですね。
もともと、水と油のわたくしと彼女が40年もの間、友人でいたということが、摩訶不思議だった
のです。

彼女とは多感な頃に知り合いました。
進学のために東京に行く彼女を、羨望を押し殺して格好つけたわたくしが見送り、都会で恋におちた
彼女を慰めたり、力づけたりしたあの頃は、わたくしの中でも唯一の甘い「青春」ではありました。
実家に引き戻された彼女を手助けして東京に逃がした時は、まるで自分もドラマの参加者になった
ような気分になりましたが、このことは今も彼女のご両親には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
若気の至りとはいえ、親の気持ちも先のことも考えずに、自分に酔いしれて片棒担いだお恥ずかしい
「青春の懺悔」です。

その後、わたくしも結婚して、彼女も結婚して、家族ぐるみのお付き合いがはじまり他の友人家族も
交えた長い蜜月がありました。

これだけ長いと、その間にはいろいろなことがあります。

わたくしの父も母も夫も亡くなりました。仕事も失敗もしましたし、休みもなく働き続けた時期もありました。
子供も成長して、進学だ、結婚だと離れていき、家人とめぐりあって・・・と、こんなわたくしの半世紀を
彼女は彼女なりに知っています。

そして、彼女もお父様が亡くなり、お母様は長い患いの床についたままです。子供はそれぞれ独立し
夫と二人きりの生活が始りました。


今から考えれば、その頃からわたくしと彼女は、お互いを分かり合えないという、最初っから判りきった
条件を考えられなくなっていたのかと思います。

彼女の夫への愚痴をわたくしはどうしても受け入れられず、彼女はわたくしと家人との、過剰な言葉の
応酬についていけないと思ったそうです。
わたくしの言葉に傷ついて、その夜は断崖まで追い詰められる夢を見たそうです。


こうなると、長い分だけいろいろな出来事がつらつらとあふれ出してきます。
もともとお互いに、相容れないと知りながら続いた関係です。どこかが壊れたら、決壊は早いです。

彼女は、またみんなで逢おうといいますが、わたくしは「何もなかったような顔をしては逢えない」と
頑なでした。
わたくしの言葉が、悪夢を呼ぶほどという人間の前で、なにもなかったような普通の会話を
どうしてできるでしょうか?


長かった40年は、案外短かったのかもしれません。
でも、人には何があっても口にしてはならないことのひとつやふたつはあるでしょう。
それを、何度も口にする彼女を見て、受けて立ちたくなるわたくしはやはり
「戦闘的性質」を持ち合わせているのでしょうね。

それを家人に話すと
「え?知らなかったの。君ほど戦闘的な人はいないよ。」と、あっさりとかえされました。
でも、いまはこの直接的な物言いがなぜか、心地よい心境なのです。(笑)

# by sala729 | 2017-05-13 16:01

木島佳苗さんの死刑が現実のものとなりそうです。
つい先だって、週間新潮でしたか、木島佳苗さんの直筆の手紙が公開されていましたが
その字の美しさに、惚れ惚れと見とれてしまうほどでした。
そして、ことば遣いの美しさがそれに輪をかけています。
時に、慇懃すぎるけらいはありますが、この調子のお手紙をもらったら、ちょっと自分に自信のある
ハイソ意識の高いおじ様族なら、ついくらくら・・・というのも判ります。
それぼと魅力的で、美しい字姿でした。

もちろん、だからといって、わたくしは木島さんを養護したり、崇拝したりしているわけでは
ありませんよ。
彼女は稀代の悪女であることは間違いないと思います。
でも、いままでの犯歴ある悪女というくくりの中には、納めきれない「うそ臭いけど上品な
嫌いなキャラなんだけど確実に美しい実際の筆蹟」という二面性を、いつも
ちらつかせて、それを男を引き寄せる燐粉のような魅力にしているという現実を否定できないのです。

「裁判になって、いい人になった」と言われたら、それはそれで被害者家族はいやだろうなと家人は
言いますが、なにがいやなのでしょう?
仮に、加害者が刑務所内で心から反省し、聖人君子に近い人間になったとして、それを被害者が
なぜ受け止めなければならないのでしょう?

罪を憎んで人を憎まずという言葉は、誰のためにあるのでしょう。

わたくしは、たとえ犯罪者が、聖人に生まれ変わったとしても、わたくしが許せなかったら、
わたくしの中では犯罪者のままです。
たとえ、それを周りの全てが、非難しても、わたくしの善悪はわたくしのものです。
誰から言われたり、見せられたり、ましてや周りの言葉で変わるものではないのです。

だから、いやでもなんでもありません。
周囲の評価など、自分の尺度の前には何ほどのことでもないのですから・・・

こんなわたくしが、長生きしたら、どんなおババになるか、そら怖ろしい限りですが
人間は自分の思うようにも、人の思うようにも、生きられませんから、そのときは
悪しからず・・・と、言っておくしかありませんね。

そんなわたくしに巻き込まれた人たちは、なかなかに楽しい時間だったねと、
思っていただくしかありません。
春の宵は、ただたゆたゆと流れていく波のようです・・・

# by sala729 | 2017-04-17 15:25

最近になって、家人の母の健康状態に黄色ランプがともし始めてきました。
それなりの年齢ですから仕方のないことではあるのですが、なにしろここから佐賀県というのは
交通アクセスの不便なこと・・どっちもマイナー県ゆえの仕打ちなんでしょうけどね。(笑)

家人はああ見えても(どう見えるのかしら?)案外親孝行です。
なんやかやと言いながら、大阪の叔母(母の妹)と相談する日々が続いています。

わたくしたちは、パートナーですが、原則、お互いのお身内には立ち入らないことにしておりますので、
わたくしは家人から相談されたときだけ、答えています。


わたくしの口癖は「あなたが先に死んだらどうして欲しいか文書で残しておいてね。それがあれば
どんな非難があろうと、うしろ指さされようと、あなたの願ったとおりにしてあげる。」といってます。
「そうやね。誤解には慣れてるもんね~」と、否定やら肯定やら判らない返しをしていますが
わたくしの真意をまっとうに信じてくれるのは、この家人だけだと思っています。


わたくしは自分の処し方を常々言葉にし、文書に認めておりますので、子供らがこの通りに
しないというならそれは彼らの責任でわたくしの関与するところではありません。
もしも、認知症や意識障害で自らの意思を伝えられなくなったとしても、正気のうちに書き残した
ものをわたくしの意志として欲しいということは残しております。

前夫が亡くなってから、わたくしは以後一切の健康診断というものを受けておりません。
もう子供も一人前になりましたし、両親は亡くなりましたから、わたくしの責任で処すべきことは
すべてなくなりました。
病気になっても、怪我をしても高度な治療はするなと言っております。
そんなことに、高額な医療費払うくらいなら、みんなで分けろ・・と(笑)

いやホントにそう思っていますよ。
わたくしは孤独死こそ本望。そうありたいとさえ願っています。
願わくばお風呂での自然死なんてことがあれば至福と思います。
若い頃は、ふやけた裸体はちょっとと思ったこともありますが、本人は死んでしまったんですもの、
なにもわかりはしません。

最初のころは「極端な」と言っていた家人も、今では諦めています。彼はわたくしの死後はすべて
息子が仕切るからオレは関係ないよ~と、逃げ腰ですが、それも結構。

この年まで好きに生きて、今になって急に物分りのよいばあさまになるつもりはさらさらありません。
わたくしが自分の親にしてきたことを考えると、親孝行を子供にしてくれなんて、言えるはずがありません。

ただねがわくば、自分の生き死には自分でプロデュースしたいと思うばかりです。
しかし、これもあくまで希みの話。
人はそう自分の思い通りには死ねません。

ただそうありたいと願い、病を得たらなるべく自然に、あるがままに死を受け入れられる自分で
ありたいなと思うばかりです。

今が自由な自分であることが、なにより幸せです。

# by sala729 | 2017-04-13 15:54

わたくしの住む町の紀伊国屋さんが、5月末で閉店すると、娘が知らせてくれました。
HPなどを見ると、確かに告知されています。

このブログでもたびたびお伝えしていますが、わたくしの仕事を続けるモチベーションのひとつに
「自由に本が買える」程度の収入を得たいというのが、あります。
これはわたくしの中ではかなり大きな位置を占有しておりまして、少女の頃は母に「いいかげんに
本やめてご飯たべなさい」と叱られ、大人になってからは一人ランチに本は手放せないものに
なっておりました。

もともとは地元の大手本屋さんで買っていたのですが、10冊以上になるとビニールの袋では
持ち手がびろーんと伸びきってなんとも不細工であり、持ちづらい。
それでもそこの店員さんは、ただ事務的にその行為を繰り返すだけでした。
そんなとき・・10年前です。
地元商店街再開発の目玉として、紀伊国屋さんがわが町にやってきたのは・・

もちろん新宿の本店にも何度も行っておりましたから、よーく知っております。

広いフロアでしかも、店員さんの対応が気持ちがいい。そして当時は珍しかった買った本を
宅配してくれるシステムがあるというのです。
いまでこそ、地元本屋でもやっておりますが、当時はそんなこと一言も聞いたことはありません
でした。

月に2~3回。ここで目に付く手当たり次第に本をカートに入れることはわたくしの最上級の楽しみ
でした。
自慢するわけではありませんが・・いやちょっとは自慢かもしれませんが・・
この紀伊国屋さんで、個人の総売り上げ数でいけばベスト30くらいには入っているのでは・・と
思っております(笑)

うちのチビの絵本や図鑑や百科事典、国語辞典も買いました。
カレンダーも日記も、漢検の申し込みもここでしました。
そして毎回購入する10冊前後の本をそのたび宅配で送ってもらいました。
初めてのとき、本の隙間に英字新聞をくしゃくしゃくにして嵌めてあるのを見て、なんてオシャレ!
と、思ったことでしょう。

そのうち何人かの店員さんとも親しく言葉を交わすようにもなりました。
もう毎回宅配の宛名を自分で書かなくても、ちゃんと用意してくださるようにもなりました。
本当に、至れりのサービスを受けていたと思います。

もちろんなんのトラブルもない・・・なんてことはありませんでしたが、その応対も含めてねわたくしは
この紀伊国屋さんが大好きでした。

でも、こういう日がくるのです。
人にも物にも、終わりは来るのです。こうして見送る自分もいつかは見送られる側になるのです。

ここがなくなったら、もうわたくしは本を買うのはやめる・・・なんてはずはありません。
本は買います。これはわたくしの生きる糧です。
食べ物以外でのエネルギーの基です。
なくしては生きてはいけません。


ここには地元大手の宮脇書店、くまざわ書店、ジュンク堂と名だたる本屋さんが揃っています。
でも・・・
でも・・・・・
新しい本屋の平積み台に向かって、新刊と最新刊と、わたくしの好きな作家さんと・・・などなどと
考えていると、その配置に慣れるまでの時間が面倒なのです。

この年になると新しいことになれるのに時間がかかります。
新しい習慣はなかなか身につかないのです。

それでも、生きている以上、変化する環境に慣れていかなくては、生きてはいけません。


ここにこうして、じみーなブログで自分の思いを綴っても、紀伊国屋さんの誰一人に届く
ことはないでしょうが、それでも言っておきたい。

  長い間わたくしを楽しませてくださってありがとうございました。

もちろん、閉店まではまだ間がありますから行きますよ。たぶんぎりぎりまで・・・
ポイントは・・・使うかな?(←案外ケチ)

# by sala729 | 2017-04-08 17:26