続けると長くなるので、二つに分けました。

そしてここでは、アンジェリーナ・ジョリーに話は変わります。
彼女は先ごろ、卵管と卵巣を摘出したとニュースになりました。
確か、彼女は数年前にも、乳がんの予防に乳房を切除したと
ニュースになったこともありました。

自分の係累が癌遺伝子を持っているかもしれないという中での
選択だそうです。
家人などは、どうなるか判らないのに、外国人は極端やなと
呟きましたが、私は彼女の選択を天晴れと思います。

残される子のために、私は死ねないと、今自分ができる最善のことを
為す・・・
この究極の形がこれではないかと思うのです。


確かに母になれば、たいていが覚えがあると思います。
子供が幼いころ、今は何があっても私は死ねない・・と。

わたくしもそう思いました。
だからその頃は、毎年検診にもいきましたし、もちろん婦人科検診も
怠りませんでした。

調子が悪くなれば、受診もしましたし、もしも、私が死んだら・・と
想像すると、果てしない絶望と暗澹たる想像しか思い浮かびませんでした。


ですから、彼女の選択の潔さと責任感に心が揺さぶられるのです。
悪くもない体にメスを入れ、しかも彼女は女優さんです。
その決断の大きさには、敬意を表します。

男にはきっと判らない・・・家人には冷たくそう言い放ちました。



母性の形はいろいろあります。
自分ができること、できないこともあります。
でも、子供の生死を握っているのは自分だということは忘れないでほしい。
それが危うくなりそうなときは、女も捨て、見栄も捨て、意地も捨てて、
子供の命だけを第一に考えて欲しいと、ババになった今はしみじみ思います。

こうして、年を経て、ババになったら、その時は自分の命は自分で
思うように使いましょう。
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# by sala729 | 2015-04-06 12:06 | Comments(0)

いささか旧聞にすぎるかとも思いましたが、このことについて
ブログで書きたいと思いつつ、時間の流れやアクシデントでなかなか
機会がなく、やっと今日のことになったので、あえて書き留めて
おこうと思います。

母性ということについては、わたくしもここで何回も自論を展開
しており、今更・・とか、またか・・と、お思いの方はスルーして
ください。
わたくしは、書きたいという自らの欲求でここに認めるのです。
もちろんご意見や反論は、大歓迎です。
心からお待ちしております。


さて、前段はこれぐらいにして、先に川崎で中学一年生が、年上の遊び
仲間にリンチされ死亡する事件がありました。
彼の一年生は、隠岐の島から川崎に転校して一年余り。
あまりにかわいそうな事件でした。
・・・犯人は逮捕されたものの、まだ全面解決とまでは言えてはいない
ようですが・・。


この事件は、世間にいろいろなものを投げかけました。
まず被害者少年の生い立ち。
両親と隠岐の島で暮らすということになって、やってきた処は、風土も
気質も自分に会っていたのでしょうね。
楽しい少年時代をすごしていたものの、両親の離婚で再び、母親の実家で
ある川崎に帰ることになった少年。
彼は必ずここに帰ってくると島の友達に言い残し、語り草になるほど
盛大な見送りを受けて、島を後にしました。


その結果がこれでは、あまりに不憫です。


この事件について、林真理子さんが週刊文春のエッセーで「親は何をして
いたのか?」と、書いていましたが、私も全く同感です。
彼女は夫君に、「そんなことを言うものではない。今一番辛いのは
お母さんなんだから」と、諌められたと続けていましたが、それは
その通りです。
母親ですから、それが判らないはずはないのです。

でも、言わずにはいられない。


彼女(少年の母)が、離婚して実家に帰って、協力してもらえる
はずの両親だったのに、父が病に倒れ、母がその看病にあけくれ、とても
そんな状況ではなくなった。

5人の子供を抱えて、自分は昼も夜も働いて、家計を支えていたのでしょう。
長男の彼に下の子たちの面倒を見させていたのでしょう。
そんな中での精一杯の子育てだったことは推測できます。

そして、そんな彼女を林真理子氏は責めるなという論調がネットの中の
シングルマザーとその擁護者の間にあるのも知っています。



でも、極論を先に述べるなら、一生懸命育てようと、予定が狂おうと
その子が大人になるまでは、最低限死なせないという重い責務から
逃れることはできないのです。

Wワークでどんなに疲れていても、何度も顔を腫らして帰るわが子を
学校を無断欠席しているわが子を、夜も帰ってこないわが子を、そのままに
しておいた責任からは逃れられないのです。

きっとこれからも、彼女はその責任の重さに押しつぶされそうになって
幾夜も辛い日々を過ごすことでしょう。
それは判ります。
わたくしは、彼女を責めているのではないのです。
彼女はこれから、もうどうしても二度と、埋めることのできない
深い大きな穴の中で、癒えることのない傷を抱きしめて生きて
いかなくてはならないのですから、そんな人を責める気持ちはありません。

でも、せめての教訓として、「親は何をしていたの?」という問いかけは
親たるもの全てが持っておくべきではないかと思うのです。

それを、さもしたり顔で「シングルママの苦労を判ってない」とか
「貧困社会がこうした」とか「彼女だって一生懸命だったのよ」とかの
安易な同情論で片付けてはいけないと思っているのです。
シングルになったのは、子供の責任ではありません。

夫のせいかもしれませんが、そんな男を選んだのはあなたです。

でも、子供は自分の責任で産み育てるものです。もし仮に不幸にして
望まないとしても、産んだ以上は全責任がついてくると覚悟しなければ
ならないのです。


じゃ、仕事休んでクビになってみんなが路頭に迷ってもいいの?
そう言った人もいました。
クビになるかもしれないけれど、ここはどうしても優先しなければ
ならないことはあるでしょう。

それは、失礼ながら子供の保育園の送り迎えをどうするかとか
予防注射の日に父と母どっちが仕事を休むかというような問題とは
大きさが全く違います。
でも、それでもそうしなくてはいけなかったはずです。
日々のわが子の様子を見ていれば・・・

そしてそのために、周囲や行政や学校に助けを求めるべきだったのです。
一人で生きる母親は確かに偉いけれど、子供のためにそれが
できなくなったら、迷わず自分の信念も矜持も捨てて、子供の生きる道を
優先しなければならないのです。



こうして書いていくと、必ず「あなたはそういう目にあってないから
言えるのよ」と、反論がきます。
もういちいちそれに応えるのも、煩わしいのですが、離婚したか
しなかったかは、人の価値判断ではありませんし、シングルの苦労も
誰かの妻としての苦労も、各々の価値観の前では、甲乙つけることは
できないでしょう。
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# by sala729 | 2015-04-06 11:50 | Comments(0)

桜の開花宣言が巷に溢れ、これでようやく名実ともに
春はやってきた!・・らしいですね。

先日のお彼岸には、ちびも一緒にお墓参りに行きましたが
その時車中で、ちびが校歌を口ずさみます。
幸か不幸か(つまらないシャレです。お笑いください)ちびの
母である娘も同じ小学校の卒業生ですから、一緒に歌えます。

「あーちゃんは?」
「もちろん、歌えるわよ。」衰えたとはいえ、まだまだ記憶力には自信あり。
小学校も中学校も、ばっちりです。ただ、音程には自信なし・・(笑)

「いーちゃんは?」
「・・・・」

「いーちゃんはどうよ?」
「・・・・」

「な、なんだったかな??」

「ええっ!!!」わたくしたち三人は声を揃えての驚愕符!!!

「校歌、覚えてないなんて・・信じられない。」と娘
「いや、あのオレ、小学校、転校してるから。」
「私だって転校してるけど、大阪のも歌えるよ。」と、さらに疵に塩を摺り込む
娘。

「うーん・いや、あの・・もうずいぶん前やしな。」
「私の方が前だけど、三番までいこうか?」とわたくし。

「じゃ、中学校のは?」助け船のつもりかちびの提案

「う、うん。それが、小学校はまだ歌詞は出んでも、メロディはなんとなく
判るんだけど、中学校はさっぱり。」



「うっそぉぉぉぉぉ」わたくしと娘は声を揃えて、昔のギャル語を発していました

というのも、家人は、中学時代、ブラスバンド一筋で朝な夕な練習漬けの毎日を
すごしていたと聞いております。
県下でも、ブラスバンドで有名な処であったことは事実なのですが、
ちょっと不幸な少年時代だったので、そこにしか自分の居場所がなかったと
同情をひきます(最初はちよっと同情もしましたが、今では、わたくしは、もちろん鼻先で笑って聞いています)

そんな、大切なブラバンの思い出の中に、「校歌」が入ってないわけがないでしょう?
大会のための演奏はもちろんでしょうが、自分の学校の校歌なんて、数え切れない
くらい演奏しているはずでしょ?

それを忘れるなんて・・・マジで「若年性健忘症」を、疑いました。
今でも、疑ってますが・・・


今も、テレビで高校野球の間に校歌が流れています。
家人は、こっそりとPCを開いて、母校の校歌を探し出し、楽譜を見ながら
指でリズムを取っております。
ずっとやっておりますので、たぶんまだ思い出せてないのでしょう。

・・・・・大人になって、いやというほど、タイガース応援歌を歌って、それが
体の沁み付いたと、訳のわからない言い訳を、わたくしが「あら、そうなん」と
信じると思ってかっ!!

母校愛というのは、校歌だけではないにせよ、こんなにも簡単に忘れられちゃうのですね。
先生方、諸先輩諸氏。こんな卒業生をどうぞご寛恕ください。
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# by sala729 | 2015-03-25 12:08 | Comments(2)

梅も、桃も、桜も季節を待ち焦がれ、春爛漫のよき季節がやっと
足音高く訪れようとしています。
・・・なんて書き出すと、卒業式での保護者代表の謝辞の始まりかと
錯覚なさる・・・なんてことはありませんよね(笑)

かく言うわたくしは、保護者代表の謝辞を当日、あらかじめ学校に
提出していた本文とは、全く別の謝辞を述べて、先生方をあたふたとさせた
「前科者」ですけどね。

型どおりの、美辞麗句が我慢できず、どうせ私に依頼したのだから、型どおりの
文など学校も期待していまいと思ったものの、前々日になって、あらかじめ
あいさつ文を、見せていただきたいとの学校の申し出に、プツンと切れちゃったの
です。若き日のわたくし。(^^)

もちろん、それを今でも微塵も後悔はしておりませんが、この季節になると、
いつも思い出すのは、楽しかったから?なのでしょうか・・。


早いもので、我が家のチビギャングも、一年生がもうすぐ終わります。早いものです。
一度、公開参観日に見に行きましたが、30年前のわが子が
タイムスリップしたようで、面映いばかりでした。


そして、昨日一年生最後の懇談に行った娘の話を聞いて、わたくしの中の
意地悪虫がまた、うずうずと蠢き始めました。
チビの成績が、国語はともかく算数に問題あり!・・・なのは、よーく判りました。
家系というか遺伝子というか、本人の意志とは関係ない事情もあり、止む得ぬことも
ありますが(笑)一年生で、躓いてはちと、かわいそうなので、春休みは、親も
ちよっと気合入れねばならないでしょう。

それより驚いたのは、昨今の学習事情です。
テストを何枚しても、自分がクラスのどの程度にいるかは全く判らず、ましてや
ほかの子が、どんなものなのかは皆目です。

○○さんが賢い・・なんてことも知りません。
全く、我関せず・・・の、世界なのだそうです。

しかも、テストとなると、子供たちはランドセルをパッと広げて横にすると机の角に置くのだそうです。
そうやって囲んで、テストに入るのだそうです。
そして、問題は先生が音読してくれるのだと言います。

聞いた、わたくしは愕然としました。
・・・・なんと、今の学校はこんなことに成り果てているのだ。
ランドセルで周囲を隠して、先生の音読でテスト開始。
結果は自分が100点でも、60点でも、10点でも、自分がクラスの
どの位置にいるかは判らない。
比べようがないということなんです。

もう救いがたい、エセ平等主義。
競うこと。争うこと。勝敗の重さと苦さを知ること。
これは子供の頃に養わなければ、大人社会の重さに耐えられません。
予防注射と同じなのです。


なのに、テスト方法は、じめじめとした個人エリアを確立して行う。

学校は、とうとう、じっとり濡れたこらえ性と覇気のない大人を作り上げる工場に
成り果てたかと思いましたね。

そして、こんな方法でテストをしていることを知っている親たちが、
何も言わないのを不思議に思いました。

わたくしなら?
絶対に申します。はい。絶対にです。

一年生のテストに、ランドセルで覆ってまでする必要があるでしょうか。
テストは不正をしないという前提で行うものです。特に一年生は。
誰が見ていても、見ていなくても、不正はしない。
自分の意志で、しないということをやり遂げる。

先生は、ランドセルで机を覆ってテストをする風景を異様とは思わないので
しょうか?

わたくしは親ではありませんから、チビの全責任は負えません。
でも、ババにはババの、大人には大人の責任が社会にはついて回るものです。

親たちが何も不思議に思わなくても、学校に遠慮していようとも、子供の
教育に無関心であろうとも、わたくしは、わたくしの小さな責任の名のもとに
一度は先生にお聞きしたい。

こんなテストのやり方は間違っていませんか?・・・と。
かつて、自分の小学生時代、わが子の小学生時代を慮っても、こんなやり方は
どう考えても適正とは、わたくしには、思えないのです。
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# by sala729 | 2015-03-23 12:16 | Comments(0)

昨日は、「節分」でした。
仕事の都合で、帰りが遅くなることは判っていたのですが、季節の
習い事は極力しておこうというのが、わたくしの方針ですから、
この日は、巻き寿司(たとえ、二日連続になろうと・・じつは、その
前日も、夜は手抜きの巻き寿司だったわけです。)と、鰯はつきもの
です。

デパチカ(お惣菜かいっ!・・と、突っ込まれてもいいですけどね)で
京樽の巻き寿司と美濃吉の「京のおばんざい」

もう、遠い過去のことだから、なんやかやとあった美濃吉のお惣菜、食べてる
のね?と、思われたかもしれませんが(←誰も思わないよ。他人事なんだから
みんなもう忘れてる。いつまでも拘っているのはキミだけ・・と、言い放ちます
が・・わたくしは、当然、忘れるものですかっ!・・・ふふふ)

わたくしは食べません。京樽のお寿司は戴きますが、美濃吉さんはお断りです。
はい。そーですよ。わたくしは、しっこくて恨みがましくて、なかなか
忘れられない、許せない、お・ん・な・です。

それでも、季節の慣わしは大事にしたい・・(訳判らんと家人は呟いて
おります。人の情けと機微の判らん男です。無視。)

そしてついでと言ってはなんですが、バレンタインチョコも購入してきました。
昨今は、「義理チョコ」が激減して、「自分チョコ」とか「お友達チョコ」と
言うように、相手を厳選するようになり、応じて単価が高くなり、個数が
減っているのだそうですね。

義理チョコは、それはそれで、季節はずれの「お歳暮」みたいな立ち位置で
わたくしは、その存在を認めてはいるのですけれどもね。

でも、確かにチョコレートの特設売り場は、外国製の高価なチョコが
綺羅星のように並んでいました。
でも、正直、どれも似たり寄ったり・・の憾は否めません。
だって原材料の基本は、どれも同じでしょ。カカオとミルクとお砂糖。

最近、妙にカカオの濃いチョコが出回っていますが、あれを美味しいと
思ったことは一度もありません。
自慢ではないですが、わたくしは、チョコ食べランキングがあれば同世代ですと、
ベスト10とは言いませんが、都道府県ナンバー100くらいには入ると思います。
(中途半端な、自慢です・・・)

チョコレートはカカオと砂糖とミルクが相まって、その味が創られるのです。
それを、妙な「本物志向」ブームに乗って、カカオ75%や100%の
チョコ作って、判ったふりして食べるなんて、心の底ではバカにしています。

チョコが薬だったのは、大昔、中世の頃で、かのマリーアントアネットは
すでにミルクたっぷりのチョコをおやつ(か、どうかは聞いておりませんので
判りませんが、少なくとも嗜好品ということで)で、楽しんでいたのですよ。

カカオの味がするとか言うなら、カカオだけ食べてなさい。
生まれ育って幾星霜(ちょっと怖ろしくてリアルな数字はあげられ
ません)
チロルチョコから、ジャンポールエバンまで、食したわたくしの一押しは
かの「森永ミルクチョコレート」ですよ。
変わらぬ味と、形。
賞賛したい価格。今流行りのコスパというやつを考えたら、これは日本一
いや、世界一でしょう。
生まれ育ってから、もう何万枚食べたかは、本人すら判りませんが、この
味はわたくしを裏切りません。
・・・・これだけ賞賛して、森永さんから何か頂いたわけではありませんよ。
片田舎のこんなチンケなブログを、見ていてくださるはずもないですしね(笑)


・・・・思いがけず、チョコレートを熱く語ってしまいました。
で、わたくしは、ちび用に、ゴンチャロフの動物チョコと、ゴディバの
今年のバレンタイパッケージを購入しました。

もちろん、わたくしの、森永愛は変わりませんが、バレンタインは、特別な日
です。季節の行事ですから、普段とは違うものを、特別に用意するものです。
このゴディバは、娘にプレゼントしょうかと思っています。

いつも、バレンタインには、家人にチョコを持ってきてくれます。
彼女自身は、ゴディバ、大好きなのはよーく知っています。
独身時代は、バレンタインに誰彼かまわずゴディバをばら撒いていました(笑)

でも、今は人の妻になり、母になり、どうもゴディバの敷居が高くなった
ようです。ましてや、自分のために購入するのは、どうも躊躇いがあるみたい
なので、今年はわたくしがプレゼントしょうかと・・

うちのチビは、娘が「君の贅沢はなに?」って聞いたら、しばらく
考えて
「うーんとね。チョコ、一杯食べることかな。」と、答えたそうですから、
数一杯の動物チョコで満足でしょう。

そして、その息子に隠れて、こっそりゴディバを嗜む娘の姿を想像すると
それはそれで・・・笑えます。
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# by sala729 | 2015-02-04 12:01 | Comments(0)

さて・・(笑)
今年も始めます。わたくしの年の始めの「やるやる宣言!」

① インターバル速歩

これ、「ためしてがってん」で見て、早々に虜になりました。わたくしは、
テレビというものを元来は、信用しない人間なのですが、この番組に関して
だけは、信頼に足ると評価しております。もっとも、わたくしの評価など
何ほどのものでもないでしょうが・・・(笑)
3分歩いて3分速歩を5セット。これを一週間で4回。この手軽さ。
しかも、これの効能の一番は、基礎代謝が上がるというところなのです。
基礎代謝が上がるというのは、若さと元気の基だとわたくしは認識しております
から、飛びつくのは当然のなりゆきです。

いくら憎まれ口叩いても、意地悪おババになっても、世間様に物申しても
それを補う体力がなければ、所詮は絵に描いた餅。「負け犬の遠吠え」です
ものね。
悪がきを見かけたときに、せめて50メートルでも追いかける走力と、パワー。
道に倒れた人を抱えあげられるくらいの、体力がなくては、何を言っても口だけ
おババにすぎません。

もともと、超運動オンチのわたくしが、今からそれを得られるかどうかは
甚だ怪しい処ではありますが、何もせずよりは、よかろうと決心した次第
です。(ちょっと大袈裟ですが・・)
何より、このインターバル速歩、一年続けると、山登りがしたくなるそう
なんです。

じつは、わたくしこの、山登りというのが、大っ嫌いなのですよ。
この大っ嫌いに、挑んでみたい・・・ってとこが、わたくしらしく
ありませんか?ふっふふ
(もちろん、家人は隣で大きく頷いておりますが・・・)



② 漢検準1級に挑戦

一年前に2級に挑戦して、味をしめたのですが、その後の一年間はなぜか
受験日と予定が重なったりして、チャンスがなかったのです。しかし今年は
受験日をなるべく優先して予定を組むことにしました。
問題集は、2級合格のあと、すぐに購入しておりましたので、なかなかに
難問、難関であることは、理解しておりますが、自分の理解度と、実行力に
折り合いをつけられないのがわたくしの性分でして・・へへへ
これを、世間さまは「無謀」と呼ぶそうですな。


どちらにしても、この二つは、共に一年かけてのチャレンジですので、
この場に宣言して、自らに枷としょうと思っているのです。

成果がお話できるのか、挫折をお聞きいただくことになるのかは
判りませんが、やります!!







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# by sala729 | 2015-01-16 11:53 | Comments(0)

明けましておめでとうございます。
こんなご挨拶も、もうちょっと気恥ずかしい、今日は1月8日です。

昨日は、京都の伏見稲荷に初詣に参りました。三が日を過ぎたものの
さすが京都!さすが伏見さんです。
参道はかなりの人出で賑わっておりました。
毎年、年の初めはここでと決めておりましたが、京都のお正月でしかも伏見
さんとなったら、その人波を想像しただけで怖気づき、三が日を少し外して
お参りすることにしておりました。

それが昨年は、諸事情で3月のお参りになってしまい、これではいけないと
心を入れ替えて、昨日のことになったのです。
ついでにお参り・・・なんと罰当たりなことを考えたものでしょう。
その証拠に昨年は、開業以来の不振・・・トホホ


心機一転、今年は初心に帰り、アクティブに野心的に日々を送ろうと
決めた次第です。

しかも、今年の年賀状に、このブログで私の元気さ加減を心配して
くださる声も聞こえて、なおさらに気持ちを引き締めた年の初めでありました。

わたくしは、寄る年波に逆らおうとは思いませんが、それに負けたくは
ないです。
いつまでも、自分が自分でいるためには、健康な精神と肉体が不可欠だと
いうことはここ数年、骨身にしみております。

本年はすべからく「初心に還る」これを旨として生きていきたいと思って
おります。
どうぞよろしくお願いいたします。
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# by sala729 | 2015-01-08 16:35 | Comments(0)

12月に入りました。
毎年のことながら、不思議なもので12月に入ると、もう今年は明日にでも
終わるかのような気ぜわしい空気が押し寄せてきます。

それも、年々、早く忙しく・・です(笑)

いまはまだ、今年の総括をするには早すぎると思いながら、心は来年に
もう飛んでしまっているのは、単に私の性格のためだけでしょうか?

今年は全体に不振でした。
独立以来、一番の低迷年でしたね。・・・他人事ではありませんが・・

こうして、自分でやり始めると、当然のことながら収支は毎年気になります。
自分の裁量で、判断できる自由と引き換えに、持続していくという重い
責任を背負うことになります。
もちろん、それは当然判っていたことではありますが、順風満帆の時の責任は
紙よりも軽いのですが、ちよっとでも不振が続くと、その重みがずっしりと
肩に感じるようになります。

考えようによっては、とても身勝手で自分本位な受け取り方であることは
百も承知で、そう思ってしまうのが哀しいことに真実です。

強く生きたいと願っても、凛々しくありたいと望んでも、それは人間の
本能まで帰ることはできないということでしょう。
しょせん、人間の基は「本能」であり、その上に、倫理や生き方や志が
生えている・・・そんなイメージが頭の中で育っています。

・・・・そしてそんな自分が、ちょっと好きですかね(笑)
そう、自画自賛というやつです。

私は自分ほど自分が好きな人間はいないと思っています。
当然、生まれ変われることがあるなら「私」に・・です。

でも、それでも同じ道を生きるのは勘弁です。
繰り返すには辛いことも、苦しい時もありました。
いつも、今の自分が一番好き。
それが私の生きてきた指針です。

自分が好きでない人間が、他者を(それがわが子、我夫であったとしても)
好きになれる筈がない。
だから、私が好きな自分のために、これからをどう生きるか、
自分のためにどう選ぶかを考える時がきているような気がします。


そのために仕事は必要で、私の人生は仕事なしでは考えられません。
小さな躓きや、高低はあるでしょうけれど、それを乗り越えていく
方法や手段を考えて実行していく楽しみを得られたと受け止めて
日々を乗り越えることは、ある意味、幸せの実践ということかもしれません。


そんなことを考えながら、来年に飛んで行ってしまいそうな、自分の心と
意志を、あと20日、なんとか今年に繋ぎとめておこうと、宥めている
今日この頃です。(笑)
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# by sala729 | 2014-12-09 11:42 | Comments(0)