朝食の仕度をしていると、テレビでニュースが流れていました。
見るとなく、聞くとなくではありましたが、同じ部屋の中です。
音は当然耳にも入ります。

内容は、あの神戸連続殺傷事件の酒鬼薔薇君(こう呼んでいいのか
どうかは判りませんが、文中の便宜上とお許しください。酒鬼クンと
呼ばせていただきます)が、自署した本が上梓されたというものでした。

このニュースは前日、わたくしも耳目にはしておりましので、
「正直に言うなら読みたいよね。」「そりゃそうやろ。本読む人間
ならこれ読まな嘘やろ。」なんて会話を今朝も家人としたばかりでした。

でも、改めてニュースになってみると、はたと考えたのです。

わたくしは一人の部外者・・はっきり言えば、野次馬としての興味で
読みたい。とても読みたい。
毎月、分不相応に本を買い漁り、読み散らかすわたくしが、これに
飛びつかないわけはない・・と、本人も思います。


でも、遺族の方からすれば、それはどうなのだろうか。
殺害された女児のお母様は、ずいぶん前から酒鬼クンが心境的に成長
したと評価されておりました。
これはなかなかにできることではありません。
と言うか、こんなに冷静に静かに心境をお話できる人間性には、ただただ
感服するだけです。

また、男児のお父様は、ずっと長い間酒鬼クンからの手紙を
公開せず、コメントも出されておりませんでしたが、最近になって
「彼の心境に変化の兆しがみられるような気がする」と、少し
心の鎖が緩まったのかと思わせるようなコメントを出されておりました。

そんな中での突然の独白本です。
もちろん彼の声で、事件の真実や彼の心境、変遷を聞きたいと希求する
人間は決して少なくはないでしょう。

これまで、何人もの人たちが、関連するいろいろな本を出されておりますが
そのどれよりも、意義のあることなのかもしれません。


でも、男児のお父様は、この出版に対して、はっきりと不快感を
示していらっしゃいます。
お父様の今までの今までの言動から察するに、今回の上梓を遺族、
少なくともこのお父様はご存知なかったのではないか・・

現に、そういうコメントを出されていましたね。

わたくしも、それはないんじゃないかと思います。
毎年送られてくる、愛する息子を無残に手にかけた男からの手紙を
読み続け、やっとその中に受け入れられるかもしれない萌芽を
見たと思ったその矢先、自分の知らないところで、愛息の死が
こともあろうに加害者の側からだけから語られる・・・・こんな
理不尽があるでしょうか。

酒鬼クンがどんなに反省しょうと、懺悔しょうと、いいえ自分の命を
捧げようと、手にかけた命は還らないのです。
自分の気持ちを打ち明けて、これからの世の中に何か役立てたいと
本当に思うなら、ご遺族のみなさんのご理解と賛同を得てからに
すべきでしたね。

これが得られないのなら、世間に問うのではなく、研究機関のみに
自らの心境を文章や肉声にして、後世に役立ててもらうべきでした。

この本の上梓には、出版社のあざとい経営戦略がぷんぷん臭ってきます。
酒鬼クンも、もしかしたらこの戦略に嵌ってしまったのかもしれません。

そしてかく言うわたくしも、まんまと嵌って、一抹の後ろめたさを
興味が覆い隠して、この本を手にするところでした。


家人は
「君が買わなくても、これは多くの人が買うよ。きっと。ボクみたいに
普段活字に縁のない人間でも読みたいと思うもの。」と言いますが、
わたくしはやっぱり、買うのはためらいます。



この被害者の女児と男児のお母様とお父様は、それぞれに自署のご本を
出されています。
これは読みました。でも、さすがにすぐには手に出来ず、随分たってから
読みました。
わが子を「殺される」という、想像もつかない理不尽に対して、人間は
どう立ち向かうのかと思っておりましたが、人はそんなに
強くはありませんでした。
そこには理不尽に立ち向かう強い姿ではなく、愛する者を突然に奪われた
怖ろしい暴力の前に、いつまでも立ち直れないままの、哀しい親の
姿があっただけです。


それを読んでいるだけに、酒鬼クンからだけの、一方的心情告白記(読んで
いませんのでそうでないかもしれませんが、今のわたくしにはそうとしか
思えない)を、自分の興味だけで購入しょうとは思えないのです。

わたくしごときが、ここでこんな風に言って、何が変わるなどとは思って
おりませんが、例え日本中のみなさんがこの本を手にしても、わたくしは
すまいと今、決めました。

今朝までは、ためらいだったものが、自分の心境をここに認めていると
はっきりとしてきました。
蟷螂の斧であろうと、ひとりよがりの納得と言われようと、わたくしは
子を亡くした親が、辛いと思うことを自分の楽しみの代償にしょうとは
思いません。

こんなわたくしを、家人は「ややこしい女やな」と、嘆息しながら呟き
ますが、はい。それで結構です。
ややこしくて結構。なんの力にならなくても、効果をえられなくても、
わたくしは、わたくしの様に生きたいのです。
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# by sala729 | 2015-06-11 11:54 | Comments(3)

始めにお断りしておきますが、今回は大いなる「バババカ」ブログです。
それを、飲み込んで読み続けてくださる読者諸兄には、心からの謝辞と
少しばかりの含羞をお伝えしておきたいと思います。

前置きが長いのは、生来の癖であいすみません。

先日の日曜日のことです。
わたくしの住む地域では、春に小学校、幼稚園、保育園、老人会、婦人会
などが対象の、地域「体育協議会」なるものが主宰する「運動会」があります。

ようするに、「○○地域大運動会」と、判りやすく言えば、ソレです。

うちのチビもいつの間にか、小学二年生になり、もちろん参加いたします。
GW前から、毎日、毎日練習に明け暮れ、真っ赤に日焼けして、汗みどろで
帰ってくる毎日だったそうです。
アトピー持ちの彼としては、かなり辛い日々だったようですが、それも
なんとか持ちこたえ、とうとう当日を迎えました。

今回は、なんとクラス対抗リレーのアンカーをおおせつかっているとの
ことで、本人はもとより、親もわたくしも、そして家人もそれはそれは
並々ならぬ意気込みでありました。
(本人からしてみれば、さぞや迷惑なことであったでしょう・・・)

当日、まず徒競走のために、午前9時には小学校に赴いていなければなりません。
ご承知の通り、こういう日は車の乗り入れは禁止されますから、
徒歩でいかなければならないのです。
しかも、この日は真夏日。。。。


行きましたよ。もちろん。近くのスーパーで車を停めてそこから歩きました。
我が家の息子も娘も通った小学校ですからもちろん道は判ります。
両側のおうちの名前も住民さんも、よーく知ってます(関係ないですけど・・)

懐かしい正面玄関を入ると右手がプールです。
グランドでは全員体操が終了間際。どうやらいいタイミングみたいです。

娘も気づいて手をふります。
「八番目やからね。気をつけておかないと、あっと言う間に終わるからね。」

そのアドバイスに従って、ゴール前で待つこと10分。
最初の女の子のグループが終わって、男の子のグループが終わって、ここで
もう20番くらいは終わったんじゃ・・と疑問が湧きます。

家人に至っては、「判らんかった」としおれています。


・・・でも、なんだかおかしい・・・
しっこいわたくしは更に続けてみています。

すると、何番目かはもう判りませんが、うちのチビが二番手で走って
くるではありませんか。
「So!」
娘の声に振り返った家人は、慌ててビデオをセットしますが、時すでに
遅し・・(バカ・・ばか・・・ばか)



チビとは運動会前に話しておりました。
「なかなか、Tに勝てないんやけど、ボクがんばる。」
「そうよ。そのいき。そうやね。そしたらT君に勝ちさえしたら、
何番でも、あーちゃんがご褒美あげる。
もしも、T君が転んでも、あなたが転んでも、ビリでも、T君に
勝ちさえしたら、ご褒美あげるわ。」

・・・・そ、それって、なんか過激なような・・という家人と娘の
つぶやきを無視して、わたくしとチビの約束は成立しました。

ちなみにご褒美は「子供用サングラス」だというのです。



さて、二番でゴールしたチビ。スタートで見ていた婿殿(チビ父)の
言によると、彼はフライング気味にスタートしたのでその分、遅れた
のだそうです。
しかし、約束どおり、二番とはいえ仇敵T君よりは半身早かったのは
わたくしも確認いたしました。

Vサインを残し、わたくしと家人は一旦帰ります。
次のリレーは最後ですからとてもお付き合いは出来ません。

お昼も済ませて、自宅でのんびりしていると娘からの連絡。
真夏日かという昼下がり、家人と二人またもやスーパーから歩きます。
幼稚園や保育園組は、午前で出番が終わったらしく、お昼を食べて
帰宅している親子連れと行き違いました。


到着すると「お楽しみ抽選会」とやらの真っ最中。
30年来変わらぬ役員男性の声がグランドに響いています。
・・・・・・・待つこと30分・・・・・・・孫じゃないと待てないわよ
ねぇと、陽射しの下つぶやく自分がおりました。


いよいよリレーです。
まずは一年生。男女混成チームです。一人グランド半周ですから、
彼らにとってはなかなかの距離かと思います。

チビは二年生ですから、もうスタンバイはしています。
わたくしはゴール目の前で見ていますので、現在彼は一番遠いところに
おります。

心なしか妙に落ち着いて大人びて見えるのは、ババの欲目という
やつでしょうか。・・・・・んだと、娘は相槌打ちますが・・・・

スタートのピストルの合図は心を引き裂きます。(・・そんな繊細な
心だった?と、聞き返す家人にアッパーカット!!)

二番目か三番目かというところで第二走者にバトンたっち。二番手は
そのままの順位で三番手に。


この三番手のH奈ちゃんが速かった。後で聞けばこのH奈ちゃん・・
昨年度の校内マラソンを制している実力者なのだそうです。
難しいコーナーでするすると抜け出し、一番手でチビにバトンタッチ。

そこでポロリ・・と、いうこともなく、受け取ったチビの今までに
見たこともない真剣な表情。まっすぐ前を見て思い切り走っている
ようです。
二番手でバトンタッチされて抜くよりも、一番手で渡されるほうが
もっと追い風力がつくというのが、我が家の家風です(どんな家風や??)
ぐいぐい距離を離して、なんとぶっちぎりのゴールイン。

いやぁ~興奮しましたねぇ。
それはわたくしだけではなかったようで、ビデオを構えていたはずの
家人はわたくしの隣で「So!So!so!」(なんだか、SOSみたい
ですが・・笑)と、絶叫。
隣の奥様方が苦笑いで見つめていることにも全く気づいてないようです。

娘もビデオ持っていましたが、そんなの覗いていられないと、もう絶叫!
あの、鉄仮面と呼ばれている(いや、わたくしが呼んでいるのですが)
婿殿でさえ、興奮気味です。

廻りのお母様方からも、速かったわねぇと言われて、わが事以上に嬉しい。

特にわたくしはここでも何度も披瀝しておりますように、運動会といえば
これっぽっちもいい思い出のない「超ウンチ」であります。
亡夫も、長距離はそこそこでしたが、短距離はさっぱり。息子も娘も
陸上とは無縁でした。
婿殿家系も、似たり寄ったり・・・。日頃、Soは自分の遺伝子継いだと
訳のわからぬこと言っている家人にしても、リレーとは無縁。

どこでどう間違えたか、この快挙。

もちろん、その日のうちに、お約束の子供サングラス買いに行きました。
「あーちゃんは約束守る女」(これ、ちびに対する私のデンモンストレーション
です。笑)ですから、当然です。

そのサングラス・・1000円だったことは、ご愛嬌でした。(^^)
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# by sala729 | 2015-05-19 14:28 | Comments(0)

ほぼ20年ぶりに、燕さんたちが我が家に帰ってきました。
もちろん、当時の彼らではないでしょうが、当時と全く同じ場所に
巣作りをしはじめました。

これを見て一番喜んだのは、家人です。
彼にとっては初体験・・・。それはもう、誰よりもそわそわと
何度も見に降りては、戻りを繰り返し、わたくしが
「巣が落ちちゃったら可哀想だから下に受け皿作ってやらんとね。」と
言うと、あろうことか巣作りの真っ最中に脚立を取り出して、なにやら
ごそごそと動き回ります。

「何やってんのよ。それは巣ができてからよ。」と、わたくしが
声をかけでも、「いや、ネットで調べたら、天井から15センチのところに
巣作りするっていうから、このあたりに受け皿してやってたら、丁度いい」と
聞く耳を持ちません。



・・・・そりゃあ、燕夫婦も、危機感持ちますよ。
こう何度も見に来られて、しかも巣づくりの土台を作りかけたら、いつの間にか
下に受け台なんかができて・・・不審・・と、思われても仕方ありません。

15センチなんて、ネットすずめの噂話で、どんなに気を回してあげても
燕は燕の論理と生活体系で動きます。
人間の「お心遣い」など、なんの必要もありません。
それどころか、まさしくこれこそ「余計なお世話」です。


案の定、燕夫婦はその場の「巣作り」を中止しました。



家人の落胆は、それはもう見るに気の毒・・なわけありませんっ!
人がやめろと言っているのに、ネット雀に踊らされて、いらんお世話の
大安売りの結果がこれです。

ふつーに考えて、巣作りの真っ最中に脚立立てられて、柱に受け台なんて
作られたら、燕からしたら警戒情報!まっ赤、赤でしょ。

「こーへんようになった。」軽い関西弁までも、腹だたしく響きます。

「あなたのせいよ。どうしてくれるの。」
相手が落ち込んでいるからといって、同情するような私達の関係ではありません。
(そうだよね。むしろ余計責め立てるよね。と懲りない家人の独り言です)


「どーしてくれるって・・・どうしたら燕さん帰ってくれる?」

・・・・・・・ばしっ!!!

なに可愛い子ぶってるのよ。自分のした始末は、自分でつけなさいよ。
散々罵詈雑言を浴びせかけ、怒れる自らを落ち着かせようと、わたくしは
リビングに戻って、友人娘から送られて来たハーブティーを楽しむ
ことにしました。


そして一時間後・・・・

「おおっ・・・・」
凝りもせずに、庭先を見つめていた家人が、感嘆の言葉をしっかり口の
中に納めて、リビングにやってきました。

「見て。見てよ。見て、見て」
まるで、ちびの「ボク見て見て」口撃のようです。

「なによ。」


不承不承、階下に下りて・・・

「おおぉぉ・・・」
思わずわたくしも声が漏れました。

なんと、件の燕夫婦(状況からしてたぶん同じだと思います。顔の分別が
つきませんが・・・)が、隣の柱に巣作りを初めているではありませんか。

もうだいぶ、土泥を塗りたくり土台を作っていました。



「もう、余計な手出ししないでよ。自然は自然に任せよ。所詮、
ネットでは、自然の営みのホントは判んないだから。」

ひたすら、相槌をうち続ける家人。

リビングに戻るわたくしを尻目に、今度は1階の部屋からそっと
外を窺っておりました。



それでも、家に人がいたら作りにくかろうと、その日、わたくしたちは
たいした用事もないのに、一日自宅を空けて、夕方帰宅しました。

土台づくりは順調のようです。



一夜明けて、もうだいぶ慣れたのか、燕夫婦は、わたくしたちが外にいても
せっせと藁や泥を運んできます。

こうして巣づくりをして、卵を産んで孵して育てて、また季節になったら
帰っていくのですね。

ふと、古代ローマの哲学者、セネカの言葉を思い出しました。

「人生は短くなどない。与えられた時間の大半を我々が無駄遣いしているに
すぎない。」

せめて、ひと時は、この言葉を噛み締めて生きたいと思います。
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# by sala729 | 2015-04-27 15:02 | Comments(0)

昨日、出勤前にテレビをみましたら、たまたま流れていたのが
テレビ朝日。
朝は時計代わりですから、どこでもいいんです。
NHKのこともあれば、読売テレビでも、テレビ東京でもいいんですけどね。

すると、その番組のキャスター君が、爽やかな笑顔で「テレビ朝日のアプリが
できました。とても便利になりましたので、みなさんどうぞこちらからどんどん
投稿してくださいね。」と、語りかけるのです。

アプリには、あなたもカメラマン・・みたいなタイトルがついていました。


「ね?,これってどういうことよ?街を歩いていて、事件や事故に遭遇したら
これで撮ってどんどん送れってこと?」
「そーいうことだろうね。」家人はわたくしの怒りアンテナに何が触れたかと
恐々として応えます。

「ばかじゃないの。こんなことしたら、事件や事故のときに、人命救助より
先に写真撮って送りなさい。採用されたら薄謝(か、どうかは知りませんが)
と、あなたのお名前が写真の横にちよこっと載りますよと、おばかどもを
煽っているようなもんじゃない。」

「でも、現実に今の時代、人助けしょうとしても、下手に手を出したら
かえって難癖つけられたり、逆恨みされる時代だよ。人命救助も考える
でしょうよ。」と、家人


「なに言ってるのよ。確かにそんな時代だけど、こんな時代にしたのは誰よっ?
張本人の私達が、それを反省もせず、こんな時代だからって諦めているから
いつまでたっても、よくならないんでしょ?
犯人が捕まったって警察署の前で、子供が゛たむろして、車から降りてくる
犯人をスマホでバシャバシャ撮ったり、犯人の背後でピースサインだしたり
している子たちが、嬉しがるようなもん作って、それをテレビで流して
どうするのよ。」

「じゃ、君は散歩している池で、誰かが溺れていたらどうするのよ?
ちょっとぐらい泳げるようになったからって、助けに入るの?
一緒に溺れるよ。」

「ばっかねぇ。そのぐらい判ってるわよ。もしそうなったら、人を呼ぶとか
廻りの浮きそうなもの探すとか、持ってるスマホで119番するとか、自分の
できることするわよ。
なにも、蛮勇を揮えと言ってるわけじゃないのよ。
携帯を持ったことで、勇気や親切や思いやりより、好奇心や興味や快楽が
勝ったなら、もうそれ以上は助長しない大人になりましょうって言ってる
のよ。」

「誰に??」

「・・・むっ・・・せ、世間によ。テレビ朝日によ。でも、届かないなら
仕方なくあなたに言ってるんじゃない。」
・・・・・くっそぉ(下品な言葉遣いですみません)・・・イタイとこつくなぁ。



と、相変わらずの我が家の朝の会話だったのですが、わたくしは本当に
テレビ局の見識を疑っています。
確かに、出来事を映像で残しておくことも大事でしょう。
でも、それよりも先に大事なことを、まだ若い彼らに教えなくていいのですか?

写真撮って送るよりも先に、今そこにある命・・でしょ。


昨今流行のYouTubeに投稿される、おバカたちが増殖している昨今
こんなアプリを巷に流してどうするのです。

ずーーーっと昔、テレビ創成期の頃、大宅壮一氏が「一億総白痴時代が来た」と
言葉を残していらっしゃいますが、今は携帯電話がそれに代わっているようです。
時代は繰り返す・・・と、いうことでしょうか。
時代に学ばないということでしょうか。
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# by sala729 | 2015-04-14 12:21 | Comments(0)

続けると長くなるので、二つに分けました。

そしてここでは、アンジェリーナ・ジョリーに話は変わります。
彼女は先ごろ、卵管と卵巣を摘出したとニュースになりました。
確か、彼女は数年前にも、乳がんの予防に乳房を切除したと
ニュースになったこともありました。

自分の係累が癌遺伝子を持っているかもしれないという中での
選択だそうです。
家人などは、どうなるか判らないのに、外国人は極端やなと
呟きましたが、私は彼女の選択を天晴れと思います。

残される子のために、私は死ねないと、今自分ができる最善のことを
為す・・・
この究極の形がこれではないかと思うのです。


確かに母になれば、たいていが覚えがあると思います。
子供が幼いころ、今は何があっても私は死ねない・・と。

わたくしもそう思いました。
だからその頃は、毎年検診にもいきましたし、もちろん婦人科検診も
怠りませんでした。

調子が悪くなれば、受診もしましたし、もしも、私が死んだら・・と
想像すると、果てしない絶望と暗澹たる想像しか思い浮かびませんでした。


ですから、彼女の選択の潔さと責任感に心が揺さぶられるのです。
悪くもない体にメスを入れ、しかも彼女は女優さんです。
その決断の大きさには、敬意を表します。

男にはきっと判らない・・・家人には冷たくそう言い放ちました。



母性の形はいろいろあります。
自分ができること、できないこともあります。
でも、子供の生死を握っているのは自分だということは忘れないでほしい。
それが危うくなりそうなときは、女も捨て、見栄も捨て、意地も捨てて、
子供の命だけを第一に考えて欲しいと、ババになった今はしみじみ思います。

こうして、年を経て、ババになったら、その時は自分の命は自分で
思うように使いましょう。
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# by sala729 | 2015-04-06 12:06 | Comments(0)

いささか旧聞にすぎるかとも思いましたが、このことについて
ブログで書きたいと思いつつ、時間の流れやアクシデントでなかなか
機会がなく、やっと今日のことになったので、あえて書き留めて
おこうと思います。

母性ということについては、わたくしもここで何回も自論を展開
しており、今更・・とか、またか・・と、お思いの方はスルーして
ください。
わたくしは、書きたいという自らの欲求でここに認めるのです。
もちろんご意見や反論は、大歓迎です。
心からお待ちしております。


さて、前段はこれぐらいにして、先に川崎で中学一年生が、年上の遊び
仲間にリンチされ死亡する事件がありました。
彼の一年生は、隠岐の島から川崎に転校して一年余り。
あまりにかわいそうな事件でした。
・・・犯人は逮捕されたものの、まだ全面解決とまでは言えてはいない
ようですが・・。


この事件は、世間にいろいろなものを投げかけました。
まず被害者少年の生い立ち。
両親と隠岐の島で暮らすということになって、やってきた処は、風土も
気質も自分に会っていたのでしょうね。
楽しい少年時代をすごしていたものの、両親の離婚で再び、母親の実家で
ある川崎に帰ることになった少年。
彼は必ずここに帰ってくると島の友達に言い残し、語り草になるほど
盛大な見送りを受けて、島を後にしました。


その結果がこれでは、あまりに不憫です。


この事件について、林真理子さんが週刊文春のエッセーで「親は何をして
いたのか?」と、書いていましたが、私も全く同感です。
彼女は夫君に、「そんなことを言うものではない。今一番辛いのは
お母さんなんだから」と、諌められたと続けていましたが、それは
その通りです。
母親ですから、それが判らないはずはないのです。

でも、言わずにはいられない。


彼女(少年の母)が、離婚して実家に帰って、協力してもらえる
はずの両親だったのに、父が病に倒れ、母がその看病にあけくれ、とても
そんな状況ではなくなった。

5人の子供を抱えて、自分は昼も夜も働いて、家計を支えていたのでしょう。
長男の彼に下の子たちの面倒を見させていたのでしょう。
そんな中での精一杯の子育てだったことは推測できます。

そして、そんな彼女を林真理子氏は責めるなという論調がネットの中の
シングルマザーとその擁護者の間にあるのも知っています。



でも、極論を先に述べるなら、一生懸命育てようと、予定が狂おうと
その子が大人になるまでは、最低限死なせないという重い責務から
逃れることはできないのです。

Wワークでどんなに疲れていても、何度も顔を腫らして帰るわが子を
学校を無断欠席しているわが子を、夜も帰ってこないわが子を、そのままに
しておいた責任からは逃れられないのです。

きっとこれからも、彼女はその責任の重さに押しつぶされそうになって
幾夜も辛い日々を過ごすことでしょう。
それは判ります。
わたくしは、彼女を責めているのではないのです。
彼女はこれから、もうどうしても二度と、埋めることのできない
深い大きな穴の中で、癒えることのない傷を抱きしめて生きて
いかなくてはならないのですから、そんな人を責める気持ちはありません。

でも、せめての教訓として、「親は何をしていたの?」という問いかけは
親たるもの全てが持っておくべきではないかと思うのです。

それを、さもしたり顔で「シングルママの苦労を判ってない」とか
「貧困社会がこうした」とか「彼女だって一生懸命だったのよ」とかの
安易な同情論で片付けてはいけないと思っているのです。
シングルになったのは、子供の責任ではありません。

夫のせいかもしれませんが、そんな男を選んだのはあなたです。

でも、子供は自分の責任で産み育てるものです。もし仮に不幸にして
望まないとしても、産んだ以上は全責任がついてくると覚悟しなければ
ならないのです。


じゃ、仕事休んでクビになってみんなが路頭に迷ってもいいの?
そう言った人もいました。
クビになるかもしれないけれど、ここはどうしても優先しなければ
ならないことはあるでしょう。

それは、失礼ながら子供の保育園の送り迎えをどうするかとか
予防注射の日に父と母どっちが仕事を休むかというような問題とは
大きさが全く違います。
でも、それでもそうしなくてはいけなかったはずです。
日々のわが子の様子を見ていれば・・・

そしてそのために、周囲や行政や学校に助けを求めるべきだったのです。
一人で生きる母親は確かに偉いけれど、子供のためにそれが
できなくなったら、迷わず自分の信念も矜持も捨てて、子供の生きる道を
優先しなければならないのです。



こうして書いていくと、必ず「あなたはそういう目にあってないから
言えるのよ」と、反論がきます。
もういちいちそれに応えるのも、煩わしいのですが、離婚したか
しなかったかは、人の価値判断ではありませんし、シングルの苦労も
誰かの妻としての苦労も、各々の価値観の前では、甲乙つけることは
できないでしょう。
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# by sala729 | 2015-04-06 11:50 | Comments(0)

桜の開花宣言が巷に溢れ、これでようやく名実ともに
春はやってきた!・・らしいですね。

先日のお彼岸には、ちびも一緒にお墓参りに行きましたが
その時車中で、ちびが校歌を口ずさみます。
幸か不幸か(つまらないシャレです。お笑いください)ちびの
母である娘も同じ小学校の卒業生ですから、一緒に歌えます。

「あーちゃんは?」
「もちろん、歌えるわよ。」衰えたとはいえ、まだまだ記憶力には自信あり。
小学校も中学校も、ばっちりです。ただ、音程には自信なし・・(笑)

「いーちゃんは?」
「・・・・」

「いーちゃんはどうよ?」
「・・・・」

「な、なんだったかな??」

「ええっ!!!」わたくしたち三人は声を揃えての驚愕符!!!

「校歌、覚えてないなんて・・信じられない。」と娘
「いや、あのオレ、小学校、転校してるから。」
「私だって転校してるけど、大阪のも歌えるよ。」と、さらに疵に塩を摺り込む
娘。

「うーん・いや、あの・・もうずいぶん前やしな。」
「私の方が前だけど、三番までいこうか?」とわたくし。

「じゃ、中学校のは?」助け船のつもりかちびの提案

「う、うん。それが、小学校はまだ歌詞は出んでも、メロディはなんとなく
判るんだけど、中学校はさっぱり。」



「うっそぉぉぉぉぉ」わたくしと娘は声を揃えて、昔のギャル語を発していました

というのも、家人は、中学時代、ブラスバンド一筋で朝な夕な練習漬けの毎日を
すごしていたと聞いております。
県下でも、ブラスバンドで有名な処であったことは事実なのですが、
ちょっと不幸な少年時代だったので、そこにしか自分の居場所がなかったと
同情をひきます(最初はちよっと同情もしましたが、今では、わたくしは、もちろん鼻先で笑って聞いています)

そんな、大切なブラバンの思い出の中に、「校歌」が入ってないわけがないでしょう?
大会のための演奏はもちろんでしょうが、自分の学校の校歌なんて、数え切れない
くらい演奏しているはずでしょ?

それを忘れるなんて・・・マジで「若年性健忘症」を、疑いました。
今でも、疑ってますが・・・


今も、テレビで高校野球の間に校歌が流れています。
家人は、こっそりとPCを開いて、母校の校歌を探し出し、楽譜を見ながら
指でリズムを取っております。
ずっとやっておりますので、たぶんまだ思い出せてないのでしょう。

・・・・・大人になって、いやというほど、タイガース応援歌を歌って、それが
体の沁み付いたと、訳のわからない言い訳を、わたくしが「あら、そうなん」と
信じると思ってかっ!!

母校愛というのは、校歌だけではないにせよ、こんなにも簡単に忘れられちゃうのですね。
先生方、諸先輩諸氏。こんな卒業生をどうぞご寛恕ください。
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# by sala729 | 2015-03-25 12:08 | Comments(2)

梅も、桃も、桜も季節を待ち焦がれ、春爛漫のよき季節がやっと
足音高く訪れようとしています。
・・・なんて書き出すと、卒業式での保護者代表の謝辞の始まりかと
錯覚なさる・・・なんてことはありませんよね(笑)

かく言うわたくしは、保護者代表の謝辞を当日、あらかじめ学校に
提出していた本文とは、全く別の謝辞を述べて、先生方をあたふたとさせた
「前科者」ですけどね。

型どおりの、美辞麗句が我慢できず、どうせ私に依頼したのだから、型どおりの
文など学校も期待していまいと思ったものの、前々日になって、あらかじめ
あいさつ文を、見せていただきたいとの学校の申し出に、プツンと切れちゃったの
です。若き日のわたくし。(^^)

もちろん、それを今でも微塵も後悔はしておりませんが、この季節になると、
いつも思い出すのは、楽しかったから?なのでしょうか・・。


早いもので、我が家のチビギャングも、一年生がもうすぐ終わります。早いものです。
一度、公開参観日に見に行きましたが、30年前のわが子が
タイムスリップしたようで、面映いばかりでした。


そして、昨日一年生最後の懇談に行った娘の話を聞いて、わたくしの中の
意地悪虫がまた、うずうずと蠢き始めました。
チビの成績が、国語はともかく算数に問題あり!・・・なのは、よーく判りました。
家系というか遺伝子というか、本人の意志とは関係ない事情もあり、止む得ぬことも
ありますが(笑)一年生で、躓いてはちと、かわいそうなので、春休みは、親も
ちよっと気合入れねばならないでしょう。

それより驚いたのは、昨今の学習事情です。
テストを何枚しても、自分がクラスのどの程度にいるかは全く判らず、ましてや
ほかの子が、どんなものなのかは皆目です。

○○さんが賢い・・なんてことも知りません。
全く、我関せず・・・の、世界なのだそうです。

しかも、テストとなると、子供たちはランドセルをパッと広げて横にすると机の角に置くのだそうです。
そうやって囲んで、テストに入るのだそうです。
そして、問題は先生が音読してくれるのだと言います。

聞いた、わたくしは愕然としました。
・・・・なんと、今の学校はこんなことに成り果てているのだ。
ランドセルで周囲を隠して、先生の音読でテスト開始。
結果は自分が100点でも、60点でも、10点でも、自分がクラスの
どの位置にいるかは判らない。
比べようがないということなんです。

もう救いがたい、エセ平等主義。
競うこと。争うこと。勝敗の重さと苦さを知ること。
これは子供の頃に養わなければ、大人社会の重さに耐えられません。
予防注射と同じなのです。


なのに、テスト方法は、じめじめとした個人エリアを確立して行う。

学校は、とうとう、じっとり濡れたこらえ性と覇気のない大人を作り上げる工場に
成り果てたかと思いましたね。

そして、こんな方法でテストをしていることを知っている親たちが、
何も言わないのを不思議に思いました。

わたくしなら?
絶対に申します。はい。絶対にです。

一年生のテストに、ランドセルで覆ってまでする必要があるでしょうか。
テストは不正をしないという前提で行うものです。特に一年生は。
誰が見ていても、見ていなくても、不正はしない。
自分の意志で、しないということをやり遂げる。

先生は、ランドセルで机を覆ってテストをする風景を異様とは思わないので
しょうか?

わたくしは親ではありませんから、チビの全責任は負えません。
でも、ババにはババの、大人には大人の責任が社会にはついて回るものです。

親たちが何も不思議に思わなくても、学校に遠慮していようとも、子供の
教育に無関心であろうとも、わたくしは、わたくしの小さな責任の名のもとに
一度は先生にお聞きしたい。

こんなテストのやり方は間違っていませんか?・・・と。
かつて、自分の小学生時代、わが子の小学生時代を慮っても、こんなやり方は
どう考えても適正とは、わたくしには、思えないのです。
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# by sala729 | 2015-03-23 12:16 | Comments(0)