なんと、読み返せば今はもう9月も終わろうとしているではありませんか。
この夏はいろいろとありました。
第一の出来事は、娘に二人目が生まれました。妊娠中はなんやかやとあり
ましたが、おかげさまで母子ともに元気ですごしております。

そんな中で、今朝のわたくしと家人の会話・・・

家 「これからは、なでも作業ロボットが代わりにやってくれるって時代に
   なりそうだね。AIと、それを作動させる人、プログラムを組む人が
   一番って時代になるよね。」

私 「・・それって怖ろしいことじゃない?」

家 「なんで?」

私 「だって考えてみて。AIがなんでもやってくれて、それを動かす人と
   プログラム組む人だけで済む世の中なら、その他の人はどうするの?
   例えば高度な医療システムが作られても、それを利用できるのは、ほんの
   一握りよね。だって、他の人たちはお金がないんだもの。仕事がなくて
   お金がないんだから、どんな高度なシステムが作られても、使えないわよね。」

家 「今だって、高度医療はそんなもんでしょ。」

私 「でも、さらにそれが増加するわよね。だって普通の人はみんな仕事ない
   んだもの。それって、偏った社会よね。政府だって、いまこういう最先端
  科学にいろいろ補助金とか出しているけど、それって間違っていると思う。」

家 「でも、補助金なしには研究はできないよ。」

私 「それが将来の社会を歪ませ、最終的に滅ぼすものでも?
   こういう最先端の仕事に携わる人は確かに偉い。社会に恩恵ももたらすでしょう。
   でも、その恩恵を蒙る人がいなければ、いくら発明しても意味がないんじゃない?

   そして、その補助金は、その他の大勢の人たちの税金でしょ?。みんなの仕事が
   なくなればその税金も入ってこないのよ。
   多くの人たちが働いて、納税してこその補助金なのよ。」

家 「そうだけど、じゃどうするのよ?」

私 「いま先端技術に降ろしている補助金の何割かを、普通に働いている人たちに
   分け与えるの。例えば介護職の人たちや保育士さんたちの最低賃金の補助とか
   ロボットでもできるけど、高齢者の体力保存と生きがいのための労働確保の
   ための準備金に使うとかするわけよ。」

家 「でも先端技術はお金がかかるから、そんなことして予算削ったら、日本の
   技術は世界に置いていかれるよ。」
私 「いいじゃないの。」

家 「へ?」

私 「いいじゃん。今や世界はひとつ。日本で作ろうがアメリカで作ろうが、ドイツ
   でつくろうが翌日には全世界に広がるんだから、別に一番を競う必要なんて
   ない。それは他国に任せて、日本は国内の、納税者の育成と、全人口的
   労働環境の確保と育成に身を入れるべきでは?
   先進技術は後から使わせてもらえばいい。もともと天才なんて、どんな
   環境でも人が驚くようなことを成し遂げるのが天才なんだから、乳母日傘の
   天才なんて聞いたことがない。」

家 「そりゃそうかもしれないけど・・。今は確かに二極化が進んでいるとは
   思うよ。」
私 「二極化が一概に悪いとは思わないのよ。だいたい平均って言葉が今は間違って
   いるよね。なんでもかんでもいっしょくたにしてポンとわって平均値をだす。
   じゃなくて、足らずにはハンデをあげて、足りすぎには差し引いて、条件を
   同じにして競うのが本当の平均。中庸ってやつよね。
   小学校の徒競走がこれをだめにしたわよね。」

話はまだまだ続くのですが、この話は明日もまた続くので、今日はこれで一旦終わり
ます。ではでは~
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# by sala729 | 2016-09-26 16:33 | Comments(0)

日曜日に参院選が終わって、わたくしも「池上ライブ」を興味深く視聴
いたしました。
さすがに、池上氏は大人です。辛口で切り込んでいても、引き際を弁えて
いらっしゃる。
もう一歩踏み込んだら、相手陣営が怒り出すかという瀬戸際で、さっとひいて
何事もなかったかのようなポーカーフェイスで番組を進行しているように見えました。
一社会人としては、処世の術として拝聴すべきと思いました。

ただ、惜しむらくは、毎度の番組なので、聴かれるほうもあらかた心の準備が
あるようで、最初の頃のようなドキドキ感が薄れているのは事実です。こういう
番組の性でしょうか・・


そして、国政の宴は終わり、待ってましたとばかり自民党都連の担ぎだしたのは
やっぱり増田氏。
個人的には氏に恨みも辛みも、何もありませんが、参院選の自民党大勝利を背景に
と、誰もが思ったその通りの出馬表明。
絶対安全な道でないと通らないというのか、石橋を叩きまくりというのか・・
失礼ながら、やっぱり「お役人体質」だなぁなどと、百鬼のおババ(いつの間にか
妖怪になっていたようです。。)は、思ってしまったのです。


男らしくないよなぁ・・などと言ったら、男女差別云々の諸氏に糾弾されるでしょうか?
風車のお百合だとか、政界渡り鳥とか、陰口を叩かれながら、しかも後だしジャンケン
有利と囁かれている時期に、そしてなお都連の反発覚悟で、出馬表明した小池百合子氏
のほうに肩入れしたくなるのは、わたくしがへそ曲りのせいでしょうか?

そして、ドンキホーテのように、出馬しょうかな表明した石田純一氏の方が、
純粋に見えるのは、錯覚でしょうか?


残念ながらわたくしには都知事選に入れる票がありませんが、もしあったら
わたくしは今回の選挙、とても楽しい思いで、自分の思い人に一票投じれるのにと
残念でなりません。

こんな混迷の時代にあって、いつまでも都連だとか、柵だとか、前例だとか言っている
古い体質に、いつまで振り回されているのか。
古くは、全共闘時代から、この社会を変えていくのは、自分達だという強烈な
意志を抱いていたのは、やはりわたくしの上の世代ではないかと思うのです。
その多くが、年齢とともに、社会の第一線から身を引いていってはいるものの
まだ現役の方達の働きっぷりは、そこいらの若者ニートや、軟弱デモ隊とは
その力強さが違うような気がします。


そんな折も折
新聞に年金掛年数を10年にしょうなんて文字が躍っていました。
厚生年金は将来受け取れないから、払わないという若者世代に、掛け易く
するためのアイデア策ですと?

ふざけるなっ!!(・・失礼、つい激昂のあまり・・)
そもそも、昭和30何年だかに(識者でないので正確な年代はウロ覚え
なので明記しません)国民皆保険制度とかなんとかで、みんな年金掛ける
ようになりました。

わたくし達の父母の世代もその時からです。
でも、そうすると掛年月が足りないので、特例として生年で、掛年期間を
10年とか15年に短縮しましたよね?

それでどうなりました?
年金受給資格を得た贋老人たちは、たいした病気でもないのに、退職後の
散歩感覚で病院に集結し、わたくしたち労働者が仕事の合間を縫って
受診しょうにも、早朝から終結した贋老人の数に押され、受診もままならず。

その頃ですよ。
病院の待合での会話「あら、○○さん最近見ないわね。」
「ええ。なんだか体の具合が悪いみたいよ。」なんて小咄が世に溢れ
戦前戦後を生き抜いた、頑強な老人たちは手厚すぎる医療と、年金で
世界有数の長寿国になり・・・・

さて、やっと我々の時代に・・と、思ったら、年金破綻で、下の世代からは
私たちの子が、あなた方の年金を作るんだから大事にしなさいよなんて
謂れのないことを押し付けられ、そしてもっと下をみたら、掛年を10年
ですって。

為政者たちよ!!各世代、時代のゴマをするのもいい加減にせよと
本当に心から叫びたいです。
少子化、少子化とお題目のように唱え、子供手当てだとか、待機児童ゼロとか
子育て世代に媚、介護と老後問題で老齢世代に媚て、ただただ票集めのための
政策しか考えない、世の為政者たちよ。

あなた達が、自分の子供にまっとうな責任を持てない親や、自分を抑えられない
暴走老人を作ったのですぞ。
少子化と言われて久しいのですから、それならそれで「少子化に対応する政策」を
考えればいいではないでか?
子供を産んでもらうのではなく、産まれた子供を元気に健全に育てていく政策に
力を入れましょうよ。

年寄りはいつかは死にます。
永らえる生がよいか、決められた生を生きるのかを自分で決めさせてくださいな。
今の自分より、先の子供のために限られた資源や資金を使って欲しいと
切に願う老人たちだっているのですよ。
口先や小手先だけの、長寿願いはもうやめましょう。
どう生きるか。どう死ぬか。それを自分で極めてみたいヒトもいるのですよ。

・・・・・・・・・・もうすぐ誕生日を迎える、百鬼のおババのたわごとと
聞き流してくださっても結構。でも、わたくしは、本当に今日、心の底から
為政者たちは、わたくしたちをバカにしてるのだなあと怒りました。
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# by sala729 | 2016-07-12 14:55 | Comments(0)

もうすぐリオオリンピックが始ります。
水泳も、陸上も、もう殆どの競技が選定を終え、選手たちは出発を待つばかりでしょう。
こんな時に、水を差すようで、なんなんですけれど(なら、言わなければ
いいのですが、生来のこの性格、黙っているということができません。
いつものおババのたわごとと、ご笑止くだされば幸いです。)
今朝の読売新聞を見たら、どうしても言わずにはいられなくなって・・
・・・・ま、いつものことですが・・・



こんな史上一番危険な開催国で、世界中のアスリートを集めて、莫大な国家予算を
つぎ込んで、オリンピックを開催することを、そもそもなぜ決めた?
もちろん、開催国は自らアピールして、その権利を得るまで努力奮闘するのは、
東京オリンピックで十分判りました。

でも、裏金や、過剰接待、委員達の傲慢、政治的かけひきなどで、この開催国の
決定がなされていることは、世界中の周知のことではないですか。
普段でも、路上強盗がはびこり、世界で何番目かに治安が悪いとされるこの国で
世界中からの人たちを集めて、世紀の祭典をする意味はどこにある?

かつて、日本も一回目の東京でオリンピックを開催した時は、戦後の復興の印を世界中に
見せると意気込んで、インフラも含めて、東京中を先進的な清潔で機能的な街に変貌
させました。
でも、それが表向きのことであったことは、昨今の「前回のオリンピック譚」のような
小説や談話や残された文書が明らかにしています。
近年のオリンピック開催国がその後の、莫大な赤字にのた打ち回っていることも、
マスコミで何度も報道されました。

かのギリシャの破綻の、最後の刃は、ギリシャオリンピックとさえ言われています。


それでも、世界中の国々はオリンピックの開催を求めて、運動に余念がありません。
それはなぜ?


言わずとしれた「政治介入」の賜でしょう。


国家の威信と高揚のために、オリンピックを利用しょうとする国家の画策としか
言いようがありません。

リオの競技場の周りに集まる貧民街の子供たち。ストリートチルドレンの横行。
日本の選手たちにも、夜間外出の禁止や、強盗にあったときは眼をそらすなんて
注意事項が伝えられているとか。

アスリートのお父上は、「夜間の外出はやめます。私になにかあって娘が
競技にでられなくなったら大変ですから」とコメントしていましたが、
そんな国になんで娘をやるかと、オリンピック委員会と、日本政府を恨みたくは
ないのでしょうか。

発達途上国を非難しているのではないのです。オリンピックが先進国のものだけと
思っているのではないのです。

いつのまにか、オリンピックがスポーツの神様の手を離れ、強欲な政治家達の
切り札や道具になりはてたことを嘆いているのです。

しかも、それを表立って問題にすることは、それまですべての時間と努力を
そのことだけに費やした選手たちが可哀想という人道主義に反する行為と
世間からの後ろ指に耐えねばなりません。


リオだけの問題ではありません。
次の東京も同じです。開催国に決まったときはあんなに狂喜乱舞したのに、
その時の東京都知事はお金の問題で辞任。国立競技場は他国のデザインのあまりの
高額なことにビック仰天。シンボルマークは贋作疑惑。
ホテルは高騰を続け、いまや東京で宿泊するのは、お金のかかることばかり・・
日本の東京以外の土地で、次回東京でオリンピックを開催することを望んでいる
人はどれくらいいるのでしょうか?


しかも、今回も次回も、世界的に見れば、ISの脅威に晒されていることは
同じです。
あの目立ちたがり屋のイスラム国が、こんな世界のお祭りを見逃すはずはあり
ません。
そんな標的になるかもしれないお祭りを、国内世論を無視して、断行してもいい
のでしょうか?


わたくしは、小学校三年生のときに、前の東京オリンピックを見ました。もち
ろんテレビでです。
国際的な行事を初めて見る興奮はありましたが、それよりも、その時テレビを
見ていたお友達のお家で、おやつに手造りドーナッツがでました。
わたくしには、そちらのほうが驚愕の事実でしたね。
その頃読んでいた、マーガレットや少女フレンドには確かに、おやつにママが
作ってくれたお菓子というシーンはありましたが、それは「マンガの世界」と
わたくしは思っていました。
そういう時代でしたし、それを恥ずかしいとは思いませんでした。

でも、もうそういう時代ではないのです。
ネットで世界中が繋がり、こんな片田舎のおババでも自由にブログで意見を
述べられ、政治や経済や社会のことを語りあえる時代なのに、なぜオリンピック
だけが旧態然とした、政治や権力や金権が横行したままの組織であるのかが
判らないのです。

それはわたくしが生まれながらの「ウンチ」(運動オンチのことです)だから
アスリートの気持ちが永遠に判らないから呟くたわごとなのでしょうか?

もちろんわたくしはリオには行きませんし、たぶん東京にも行かないと思います。
でも、リオや東京で、不幸にして誰かが亡くなったり、怪我をしたり、
そういう事件が勃発したら、この世界の片隅でオリンピックを憎しみ、嫌う一人の
おババになるに違いありません。
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# by sala729 | 2016-07-06 12:01 | Comments(0)

私事ですが、娘が二人目を妊娠して、もうすぐ出産を迎えます。
上が小学三年ですから、だいぶ離れてはいるのですが、これも「計画妊娠」なのだ
そうです。

娘にしても八年ぶりの妊娠ですし、前と今とは住所地が違っているので、
前の病院ではなく、こちらの公立病院にお願いすることにしたらしいのです。

検診には我が家の車を使っていますし、病院が近いので終わると、一緒にランチと
いうことも多く、現状はいつも知っていますから、特に不安はないのですが、
「?」と感じることは多々あります。

ベビーについては早くから、胎内を映像化して見せてくれます。動画もあります。
それを見た初めは感激しました。
まだ鼻やら口やらも定かでない顔を見て「ね。これRに似てるよね」などと
傍からみたら、アホ親みたいなことを家人と言いあったものでした。
「頭大きいから、Aちゃん似か・・かわいそうに」などと、思わず蹴りを入れたく
なるような話題もありました。

それが6ヶ月も過ぎる頃、担当医が「この顔の上にある、ちょっとした瘤ね。
みんなよくあることなんだよ。大抵は出産までに治るんだけどね。でも、ちょっと
念のため、国立病院で精密画像撮ってみょっか?」とさらり。
もちろん、そんな風に聞いて、行かない親はおりません。
二回ほど行きました。そこで「うーん。大丈夫よ。大抵出産時には治ると思う。」
・・じゃもし治らなかったら、治療はできるの?・・・と、しっこいわたくし。
それは聞かなかったと娘・・アホ
担当医と国立病院の先生の言ったことは、同じじゃん。なんのためにわざわざ
早起きして行ったのか・・・

で、その国立病院の見解を担当医に話すと「そうね。やっぱ、そうよね」

このあたりまでは「見えすぎるが故の不安」と、わたくしも感じておりました。

日々がすぎて、お腹はじょじょに膨らみ、先日のことです。
「お腹のベビーいま2800グラムなんです。ちょっと大きいよね。もしかしたら
隠れ糖尿病かもしれないから、来週検査しょうか。」
「え。もしそうなら、どうなるんです?」
「うーん。入院かな。」

もちろん、小心者の娘です
入院ときいて落ち込んで帰ってきました。


お腹の子が、月齢よりも大きいというのはもう一ヶ月も前から聞いていました。
予定日まで待つと4000グラムに乗るかもしれないと聞いたときは
「じゃ、計画出産お願いしたら?」と、わたくしも言いました。
わたくしの時代は、計画出産はごく当たり前のように行われていたものです。

各言うわたくしもその一人です。

当時わたくしの尊敬する、愛育病院の内藤寿七郎先生も、予定日の前後二週間は
普通分娩と同じ・・言い回しに問題はありますが、このよううな趣旨を書かれて
いました。

で、それを娘が先生に告げると
「いやぁ、今はそういうのあんまりしないのよ。促進剤はねぇ。」

確かに、陣痛促進剤には問題はあります。でも、劇薬ではないのですが、ほら
「はさみとなんとかは使いよう」と言うではありませんか。
しかし、先生のその一言で、娘は何も言えず帰ってきました。

その上、隠れ糖尿病なら、帝王切開か普通分娩が選んでもらわないといけない。
しかも、普通分娩の途中で、帝王切開には切り替えられないからねと
さらっと言われたそうです。
何度も言いますが小心者の娘は、婿にこのことを告げ、どっちかと問われたら
迷わず「帝王切開にしょうね」と、決死の覚悟を決めたらしいです(苦笑)



・・・・わたくしの頭の中は今?マークで一杯です。
わたくしの出産から30数年。こんなにも医学は発達して、400グラムの超
低体重児が無事生まれ、成長し、凍結卵子やら、デザイナーズベイビーやらが
現実的になった現代に、普通のこんな妊婦が、わたくし達のときの何倍も
受診し、リスクを告げられ、夫婦で決死の選択(ま、本人たちだけですけどね)
して、お産をしなければならないなんて・・どういうこと?

わたくし達の時代は妊娠8ヶ月までは月1。8ヶ月から10ヶ月までは月2。臨月
からは毎週1回というのが、普通の受診回数でした。
でも、娘は最初から二週間に一回。それも病院内での血圧測定がやや高いからと
いう理由です。
自宅で計れば、ごく普通値です。
そして、「瘤」「かくれ糖尿病」と、続きます。

もちろん、お産は大変であることは判っています。甘くも見ていませんし、昔は
良かったと懐古趣味で言っているわけでもないのです。

こんなに医学が発達しているのに、なんでもっと「安全で安心なお産ができないのか」
というのが疑問なのです。

これは技術的問題だけでなく、いろいろな問題を含んでいるように思います。

① いつからか「患者さま」なんてむず痒いような名前で呼ぶようになった病院

② 少子化のためか個人病院は患者を取り合い、公立病院は「周産期医療の現場」
  なんて言葉に縛られヒューマンなお医者様は現場と組織に縛られ(と、ドラマ
  ではやってますよね)・・

③ それから子供が一番偉いという世間の風潮。わたくしなどから見たら、「あほ
  らし」と冷笑さえ浮かびそうなお子様族のお取り扱い。

④ 不寛容社会のせいか、ミスや失敗を恐れるあまり、過剰な自己防衛に走る病院と
  医療関係者

⑤ ネット社会に頼りすぎて自分で何も考えられなくなっている妊婦。しかも
  この手の妊婦は、経産婦である母親の助言より無責任なネットを信じている。


まだまだ挙げられそうなのですが、きりがなくなるのでもうやめて置きます。


子供の命。母親の命と二つの命のことだからと、声高に叫ばれたら、それはもう
その通りですとしか言いようがないのですが、だからこそ、どんなに辛くても
苦しくても、最後の責任は父と母が取る。
その覚悟があれば、出産はもう少し、ゆったりと大らかにできるのではないかと
思うのは、「昭和の化石ばばぁのたわごと」でしょうか。

わが娘はこんな母が、いつまでも煙たいようですが・・(笑)
・・・・・・・・・・・・・笑うしかないけど・(^^:)
       
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# by sala729 | 2016-06-23 15:11 | Comments(0)

大塚国際美術館に行ってきました。

家人がなにやら「西洋アートの日」とやらがあるらしい。それが6/2だとの
情報があるというので、その日に合わせて・・
何が特典かというと、その日は入場料が1000円になるという
なんともさもしい餌につられて、足を向けた次第です。

早めに起きて、行きがけにモーニングで腹ごしらえ。なんたって歩くことは
承知の上です。二回目ですから。

9:30の開場早々にチケットを買う準備万端。
あら?案外少ないわね。平日だからかしら?・・・なんて思いながら窓口へ。
「お二人で6800円です」にこやかなチケット売り場のお嬢さん。

ん?・・これ普通料金じゃん。とは思ったものの、見栄と意地が邪魔して
問いただすことができません(苦笑)
でも、お金を払いながら心の中はもやもやです。

「あのう、西洋アートの日はいつですか?」
「今年は6/4です。」
「それって毎年変わるんですか?」
「はい。」

・・・・・納得!・・・・・

あー、聞いてよかったです。
どうせ、通常料金であっても、入場しないなんて選択はありませんから、聞いて
判って、納得が一番です。

でも、当然責めましたよ。家人を・・ね(笑)
このわたくしが責めないはずはないでしょ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、作品群は見事の一言に尽きます。

こんな大きな陶板が焼けるのかという驚き
こんな綺麗な彩色ができるのかという驚き
こんなにもそっくりに復元できるかという驚き

そして、そして、作品に触れられるという、お・ど・ろ・き


有名な作品の数々が、時代毎に、上下四階にぎっしりと詰まっています。(本当に展示という
より詰まっているというかんじです)
アンディウォホールもあれば、最後の晩餐もモナリザも、古代壁画もありです。

中でも圧巻は、「ゲルニカ」
ピカソがナチスに抗議して製作したかの大作です。

その前には椅子が何脚か並べられ、その後ろは緑の芝と高速道路と海が見えます。

戦争と平和はこのガラス越しに紙一重なのだなと、わたくしのように絵画に素養の
ないものにでさえ、胸に迫ってくるものがあります。

この前で、時間を忘れて座していることのできる幸せと、周りの世界でのきな臭さが
ないまぜになって、心の中を行き来します。
こんな市井のおばばでも、こうした作品の前に立つと、世界と世界の中の自分を
見つめるようになる・・・これが巨匠と呼ばれる人たちの作る作品の力なのかと
改めてしみじみと感じ入ったものでした。


それにしても、ざっと通して終わったのは15:00
終わったときは、疲れましたわ。
歩数にして約一万歩。
この日のためにと、今日は綿のパンツにスニーカー。大正解でした。

ちょうど、遠足の小学生と修学旅行らしい高校生たちも一緒です。
ガイドさんに引き連れられて、せわしい鑑賞です。

「もうちよっとゆっくり見れたらいいのにね。ここ一時間じゃ勿体ないよ」と家人

「いいのよ。みんなで来たときはそれで。で、ひとつでも心に残ったら、また
その時は家族や自分だけでくればいい。団体は団体でも見方、個人は個人での
見方がある。だから、私はここでは音声ガイドも、ボランティアガイドもいらない。
一人で見たいものだけ、見ていたい。」

「ここではって・・どこでだって、見たいものだけしか見ないじゃない?」
「・・・・」

こんな会話で、大塚国際美術館のすばらしさを語れるわけではないのですが、
みなさん、お時間が許せばぜひ、一度は訪れてみてください。
絶対に損はしません。あなたの時間も、人生観も・・・

唯一の不満は、年間パスポートがないことです。
ここは地の利から言っても、四国と関西圏の方なら日帰り十分OKなのです。
たまたま館内で、お話をした関西マダムとも、そのお話で盛り上がりました。
どこへ訴えたらいいでしょうね・・・と。

次はうちのちび(と言っても早いものでもう小学3年生になりました)と、一緒に
夏休みに行く予定です。
ちびは三才から通っている絵画教室を、今も続けておりどうやら、絵は好きなようです。
わたくしも、毎年の作品展を楽しみにしています。
大塚国際美術館の話をしましたら、行きたい!行きたい!と申しますので、
夏休みには是非実現しょうと思います。
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# by sala729 | 2016-06-04 14:03 | Comments(0)

今更ですが、明日は「母の日」です。
出勤途中のFMで、母の日に捧げるラップ・・なんて企画を聞いていて
ふと、我に帰りました。



母と呼ばれて幾星霜。
もう母を通り越して「ばば」と呼ばれる域に入りました。(笑)


そんな身で、臆面もなく母を称えるラップを聞いていると、なんとも
わざとらしく、嘘っぽく、偽善的で、聞いているほうが恥ずかしく
なるばかりです・・と、ここまで書いて「あら、いつもの鬼ババ節が・・」と
お笑いくださる方だけ以下をお読みください。




わたくしにはもう母はおりません。亡くなって20年近い年月が流れています。
ブログにもよく書きましたが、わたくしは母に批判的な、所謂「屁理屈
たれる娘」そのものでした。

もちろん、当時からそれは自覚しております。
しかしながら、自分が嫁して子を産んで、自分の両親と暮らすようになった時
わたくしはその母を、十分に利用して生きてきました。

わたくしが自分の思うよな「子育て」をするために、自分たち夫婦と子供の
生活や楽しみをエンジョイするために、経済的にも、体力的にも、時間的にも
母を利用し、母もそれに応えてくれました。

わたくしの母は、結構身勝手で、常識も知らず、世間的基準でいうなら
「近所のやなおばさん」的なところにいたと思います。
道で人にすれ違うとき、少し肩がふれただけで、振り返って見たり、
電車が入ると平気で列を乱したり、わが子のためとはいえ、座席に荷物を
放り投げて席取りをしたり・・わたくしはこれが大キライでした。

なのに・・です。普段こんなにも批判的なのに、わたくしは自分のために
母を利用して、喧嘩しながらも母もそれに応えてくれたのです。

今は時々思います。
もうちよっと優しくしてあげてもよかったかな・・(苦笑)
でも、ちよっとだけね。(笑)



今、自分が母の年に迫ってくると、たまにはそうも思うのですが、
自分が子供等に、優しくされるのはいやなのですよね。


わたくしは親になった時から死ぬまでが親の現役と思っていますから、
子供にこれみよがしに労わられたり、優しくされることは望んでいません。
「ホントに、うちの親は・・」と、呆れられる位、頑固で一途に生きていたと
願っていますから、歌のように甘い言葉で「感謝。ありがとう」なんて
言われると、戸惑います。

親は自分の意志で親になるのです。
感謝するのは親の方です。(言いませんけどね。本人たちには(笑))



こんな時代になって、子が親を見るために仕事を捨てて介護に入るなんて、
わたくしには、親不孝の極みにしか思えない。
マスコミは美談として流すけれど、そんなこと望む親が本当にいるのか?
自分の介護のために子が、生活を変える・・・

そんなために、子供を育てたのではありません。
あの、イライラとした時間。持て余す葛藤。子に手足を縛られたような
焦燥感は、心の奥に熾火のようにチロチロと蠢いています。いまでも・・
もしかしたら、子供がいなかったら、別の世界があったかもとは、今でも
思います。

でも、自分が思う子育てをしたという充足感の方が、勝っていることは
紛れもない事実です。
なのに、最晩年になって、子供が自分のために、生活を捨てて・・なんて
考えられないです。

極端な言い方ですが、手足が動かなくなって、目も耳も口も不自由になって
人様のお世話になるとしても、自分の子供にはお世話にはなりたくはありません。
その時はどうするか、わたくしは家族には伝えてあります。

その時、わたくし自身は、もう判断がつかなくなって、今と正反対のことを
いうかもしれないけれど、それに惑わされるな。判断のつくうちに言い残す
ことが真実と伝えてあります。


人は自分の最期を自分で看取ることはできません。誰かのお手を煩わせる
ことはよく判っています。
そうして、わたくし自身も何人か、看取ってきました。
でも、それでも子の手を煩わせたくはないのです。

「孤独死」結構。「死後何日目かで発見」大歓迎です。
人は一人で死ぬ。
そしてわたくしは、その時まで「親」でいたい。

子供が自由に、自分の仕事や生活を選択して、謳歌していく中に
「親」の存在が、欠片もない・・・というのが、わたくしの幸せです。

親が子供に与えられる最後の贈り物は「自由」と、わたくしは信じて
疑いません。

こんな偏屈なわたくしですが、何時の日か泉下の母と出会ったら、
「あんたはやっぱり、あんたやな。」と、笑って言ってくれたら
嬉しいかと思います。
理屈でなく、こんなわたくしを本能で理解してくれているのは、
この無教養で、無恥な母(ごめん・・)ではないかと思います。


今年の紫のカーネーションが、さっき商店街の真ん中で、綺麗な
箱に詰められて並んでいました。
家人の母にも送りましたが、うちの母にも送りましょう。
今日と明日は、忙しいので、週明けにね・・ごめん(笑)

・・・あんたはいつも、そんなもんよ・・・投げやりな
母の声が聞こえたような気がしました。
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# by sala729 | 2016-05-07 14:22 | Comments(0)

今年は不倫の当たり年なのか、年明けから世間は不倫のニュースで一杯です。
週刊文春の一人勝ちかと思えば、新潮もやってくれましたよ。
爽やか「乙武」クンの五股不倫。

そりゃあ、わたくしもこの商売で、ご飯頂いている人間ですから、不倫という
行為に驚きはしませんよ。
この業界に入って、知りました。人はすべからく浮気するということを・・
しないでおれるのは、たまたまそういうチャンスが降ってこなかっただけで、
いつでも誰でも浮気します。はい。断言できます。

ですから、かの乙武君とて例外ではないでしょう。
ただ、彼が注目を集めたのは(失礼な表現であいすみませんが、ここはわたくしの
力量不足です。お許しください。)生まれ持ったあの不自由なお体と、それを
ものともしないという意志を見せた生き方で、日本中の共感と好意を受けた爽やかと
いうイメージを覆すものであったためでしょう。
しかも、五股・・・です(これは何をかいわんや・・です)


そしてまたその上に、奥様までもが謝罪文を掲載して、ネットすずめたちを
刺激してしまいました。
危機管理専門家に言わせれば、百点満点の対処なのだそうですが、本当に???
その証拠に、この奥様謝罪は、いまや多くの意見の集約とみなされているネット
すずめたちの、批判に晒されています。


たしかに、わたくしも「あざとい」とは思います。
家人は「奥さんもこれからの生活のために、ここはって決心したんじゃない?」と
言いますが、そうなのでしょうか?

わたくしは、案外この奥様謝罪、乙武君側の指示で奥様はそれに従ったのでは
ないかと思っているのです。

今まで乙武君は、ご両親の賢明な育て方で、まっすぐに爽やかに成長して、小学校の
先生としても生徒に愛され、慈しんでというイメージでした。
その延長であるなら、奥様の謝罪も彼女自身の判断とも思えるのですが、

なにしろ、五股です。(しっこいようですが・・)

そんな人間に誠意があると、わたくしにはとても思えないのです。


そして、そんな人間なら考えそうなことですが、乙武君が生活やこれからや
子供のためなどと、言い含めて、奥様に謝罪文を書かせている光景が
じつに自然に浮かんでくるのです。
(もし事実に反していたらごめんなさい。田舎のおババのたわごとと笑って
くださいね。)

乙武クン・・案外高圧的旦那さまかもねと言うと、
「いや、それはないやろ」と家人は言います。こんな業界にいても、男は
根拠のないロマンチストです。



昨日24日は、亡夫の誕生日でした。
毎年この日には花束を買って、写真の前に飾ります。誕生日の花束というと
女性の方ですね?と、言われます。
「え?いや・・男性ですけど。うーん、今はどっちかな?」などと、
笑っていなしますけど、心の中では毎年言ってるじゃんと、ちよっと花屋さんの
社交辞令に辟易しています(笑)

今年は蒼い薔薇に紫のトルコ桔梗。黄色のシンビジュムと・・派手・・です。
でも、日記を読み返すと、2年前も蒼い薔薇と七色薔薇でしたから、
人の好みというのは、不変です(笑)


こうして家人と二人の我が家で、亡夫の誕生日を静かに祝えるのは、何事にも
動じない、わたくしのすることを何事であれ、最後は認めていてくれる
からかなと・・え?誰がって?
・・・そ、それは・・・それは・・・いや、ちょっと恥ずかしくて言えません。
そんなキャラではないですか・・・



それは、惣兵衛さんのように最後に告げることにしましょう。
今朝の惣兵衛さんのように・・・
(みなさんご存知と思いますが、朝ドラ、あさがきたの今日のシーンです)
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# by sala729 | 2016-03-25 12:02 | Comments(0)

先日、世界一の棋聖(呼び名は正しいかどうかはちょっと判りません)が、
コンピューターに負けましたというニュースを食卓で見ました。

韓国の棋聖氏は、本当に悔しげにコメントしていましたが、氏のお気持ちは
少し判ります。
わたくしなどが、多少判ってもなんの助けにも、ならないことは承知も承知ですが
彼の表情の更に深いところの疵を思えば、たとえ敵対する韓国の(いや、これは
日本の国がということではありませんよ。わたくしの個人的好き嫌いの問題
ですので、サラッと流してお聞きください)人間であっても、思わず深く抱きしめて
あげたい母のような感情が湧いてきました。

もっと個人的に思うなら、こんな勝負になんの意味があるのか?
価値があるのか?
コンピューターに、よりヒトに近い複雑な思考回路を作り上げるためにと
言うなら、造るのは悪くはないでしょう。より高度にと思うのは、製作者の
望むところでしょうから。
でも、それを試すのに、斯界の第一人者を相手に選ぶ必要がどこにあるのかと
わたくしなどは思うのです。

それぞれの世界での第一人者というのは、余人にはできない事を成し遂げて
ここに至っているわけです。
その努力や精進は、それぞれであっても、勝敗だけでないそういう総合力の上に
ある地位であり、権威であると思っています。

それを勝敗だけで競わせて、一人者の誇りと気概を傷つけて、なんの意味がある
のでしょうか?


こうして「どうだ?コンピューターすごいだろ?」という押し付けニュースに
わたくしは辟易し、そして恐れます。決してそう遠くない先の時代に生きる
わが子孫達の行く末を・・・・


コンピューターたちは確実に人間の仕事を奪い、蔓延り、一握りの人間と
かれらは増長してゆきます。
まるで、手塚治虫氏などが描いた「機械社会」が、現実そのものとして
出来上がる日は、もうそう遠くではありません。


わたくしの孫は、今小学2年です。
この子が大人になった時に、この子が生きていけるのかどうか、今わたくしは
とても心配です。
機械と仕事や地位や能力を争わなければならなくなった時、この受身の
脆弱な人間たちが、戦っていけるのか?
勝ち残れるのか?と、思うと、絶望感しか湧いてきません。


機械と戦ったとき、受身の人間から負けていきます。なににも抗わず、ひょっと
したら自分が負けたことも気づかず、撤退して消えていくかもしれません。
能動的な人間は、一度は戦ったり、工作したり、抗います。そして負ける・・
これなら、機械の世界はその分だけ、ちょっと先になるかもしれません。

今、日本は、いや先進国は、少子化と騒いでいますが、これはある意味天の采配
ではないでしょうか?
多くの仕事を効率と利益のためだけに、機械に任せて、人間を不必要にしたのは
誰ですか?

いらないなら、出生率だって落としても問題はないと、神様が思し召しても
それはけっして、間違った判断ではないと、わたくしは思っています。


これからの20年、30年先を見るのは、とても怖ろしいです。
わたくしなどは、もうリタイアしているか、もうこの世にいない
かもしれませんが、わたくしの子孫たちが、機械に使われていたり、
機械に生きる場を奪われて、流浪の民になっていたりするのを見るのは
辛いです。

人は楽しく生きなければ、生きてきた甲斐がないと、孫たちに教えたい
わたくしは、これから彼らにどう生きろと教えればいいのか・・

受身でない生き方。それを探していかなければ、あなたは機械の奴隷よと
言ってみました。
彼はわたくしの顔をじっと見て「あーちゃん、本の読みすぎ?」と
聞いてきました。

あ~口が減らないとこだけは、どうやら確実に家系を継いでいるようです。
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# by sala729 | 2016-03-17 12:21 | Comments(0)