先ほど、とても不愉快な光景を目にした途端、猛然と怒りがこみ上げてきて
その気持ちのままにタイピングしておりますので、端々の過激な表現は
お許しください。
(みなさん知ってますよ。あんたがどれだけ過激なかくらいは。ながーい
お付き合いですから←家人の声)


わたくしはお昼ごはんをいただいたあと、急ぎの用がないと商店街を
散歩代わりに徘徊します。
運動にもなりますし、人間ウオッチングや、その時に出会う様々なことが
面白いので楽しい日常のひとつです。


さて、さきほどのことです。
デパートの北海道展にいって、海鮮コロッケやらカップケーキやらを買い込んで
帰途に就くため、商店街を二分する大きな交差点に立っていました。
向かい側には中学生と思しきミニスカートから見える足もかわいらしい女の子と
その連れらしいボーイッシュな女の子。その子は長いスウェットパンツに、
大ぶりのカーディガンみたいな上着を羽織っています。

するとわたくしの後ろで声が・
「あ、あれマナじゃん。」と・・
「ほんと、マ~ナ」と二人連れの声。どうも自転車に乗っているらしいです。

手を振ったのか、ミニスカちゃんが笑顔で手を振り返します。
後ろの自転車っ子も手を振っているのでしょう。

「隣は、ありさじゃん(仮名です)。」
「ほんとや。でも、ありさって可愛い名前なんやけど、顔はまんまゴリラやね。」
「ほんとやな。まんまゴリラ。」と、自転車っ子は笑転げながら会話しています。

この声はわたくしに届いていますから、他の信号待ちの人の何人かは、
聞いていると思います。

わたくしの怒りに火が点り、振り返ろうとする気持ちを抑えて、向かい側を
見てみました。
もちろん向かい側までに声は届きはしないでしょうが、笑顔のマナちゃんの隣で
ありさちゃんは、笑い顔でもない、複雑な笑みで時々、あらぬ方向を見たりして
待ち時間をやりすごしています。

そのうち信号が変わりました。
自転車っ子はわたくしを追い越して、向かいの二人とすれ違いざま
「マナ~バイバイ~。」と手を振り、
マナちゃんも満面の笑顔で振り替えしています。

でも、マナちゃんの隣のありさちゃんには声を掛けるどころか一瞥もしない。
まるで誰もいないかのような動作。
でも、それは自転車っ子だけでなく、マナちゃんも一緒です。
隣にありさちゃんなどまるでいないかのような動作。
ありさちゃんは・・・といえば

彼女もそこに自転車っ子もマナちゃんもいないかのように、あらぬ方向に
首を回したり、微妙な笑顔を作ったり、手もふらなければ、マナちゃんに
話しかけもしません。


・・・・これはいじめの端緒なのでしょうか。
あきらかにありさちゃんは無視されています。
わたくしがこの自転車っ子の親か身内であったら、自転車蹴飛ばしてますよ。
実際、交差点でしょうかとさえ思いましたが、寄る年波、自転車蹴飛ばして
交差店内で自分が転んだら、洒落になりません。

僅かに残っている理性がそれを止めました。


怒りが収まらないわたくしは、事務所につくや家人にそのことをぶちまけると
「よう、我慢した。僅かな理性を大切にしてくれ。」と、妙な褒められ方を
したことは・・・流しておきましょう。



同性の身で、相手を「ゴリラ」とは何事ですか。
かなり前から思っておりましたが、最近のテレビ等で女性相手にあからさまに
顔の美醜を指摘するアホ男ども。特にお笑い系に多いですけどね。
見ていて耐えられません。
家人は、女の子もそれが「売り」なんだから、一概に男を責められないとは
言いますが、それは芸でしょうか?

「ブス」とか「へちゃむくれ」とかを、女の顔に向かって言い募る男どもの
アホ面を、自分で鏡見てみろ!と、言いたくなります。
しかも、そういいながら、叩いたり蹴飛ばしたり平気でしています。

ちょっと前に、顔のこといじられるのはいやと、テレビを拒否した女性芸人
さんがいましたが、「よくやった。」とわたくしは思います。
顔の美醜は女性のお笑い芸人さんにとって、「得」なのかもしれません。


わたくしの浅い表現では次のようにしか言えないので、もしかしたら
とても気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれませんが、お許しください。
その上であえて言いますが

女性の顔を美醜で笑うあなた。
それは、例えて言うなら、手足がなくなった方を笑うのと同じではないですか?
このふたつがどう違うかわたくしに説明してください。



美しいか、美しくないかは、人生の精算時にはたいして差はないのです。
人は誰も年をとれば、それなりに皺も増え、色素もくすみ、90才でも100才
でも、そう変わらなくなります。
これは人生を経れば経るほど、実感としてその真意が判って来ます。

若いとき美人は得と思っていても、外見だけで判断されると有象無象の男たちが
やってきて、上辺だけで選ばれてしまう危険があります。
美人ではないと嘆いても、そのあなたを選ぶ男は、あなたの本質を見て
選ぶわけですから、たった一人であってもいいのです。

これは、残念ながらある程度の年にならないと、なかなか判りません。
でも、だからと言って、テレビの中で、女性芸人さんに
「ブス」とか「デブ」とか言い募って、あまつさえ笑いながら暴力を
揮う男性芸人さんたちを見て、またそれを見て笑転げる人たちを見ていたら
・・・・・もうこんな世の中、終わってもいいかも・・・とさえ思います。

前述の中学生も、こんなテレビ見てたのかなとさえ思います。

おババの妄想と笑われようと、もしもわたくしの身内や近しい人の中に
件のような自転車っ子がいたら、わたくしは迷わず自転車蹴飛ばそうと思います。

自分が転んでも・・です。交差点ではやめますが・・・。
そしてその親を捕まえて、被害者面して、懇々と説教垂れてやりますとも。


・・・やれやれ、我が家の平和のためにもどうぞそんな中学生は現れません
ように・・と、家人のつぶやく声がしています。
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by sala729 | 2016-02-18 14:38 | Comments(0)

今朝ほど、たまたまネットニュースを見ておりましたら、東京ディズニー
ランドの入場料金が7500円になったとかで、ヤフーすずめたちが「びんぼー
人には行くなと言うのか!」などと騒いでおりました。

もともと、びんぼー人には行けんでしょ?

(あんた、こんな言い方したら火に油を注ぐよ。有名人なら炎上って
やつよ。と家人は申します)


炎上でも崩壊でも粉砕してもいいんですけど、わたくしの記憶の中では
ディズニーランドの入場料、5500円時代が長らく続いていたと思いますよ。

今でこそ行きませんが、オープンして子供等が幼い頃は何度も行きました。
ずーーっと昔のことですから、周囲の遊園地に比べてみたら、入場料は
段違いに高かった。
最初は、貧しい田舎の親子四人、「痛いなぁ」と思いながら、清水の舞台から
飛び降りました(・・・すみませんねぇ。例えがレトロで、なにしろ
昭和の女ですからね。)
でも、体験したらわかりますよね。大人も子供も飛び越えたあの世界観。
こんな楽しい経験のできる世界があることも驚きと楽しみ・・

その後も何度も行きましたが、その間料金は同じでした。
何度目かには「ディズニーランドの入場料って安いよね。一日遊べるし、
遊びたいもんだからお昼は軽いし、へんな処いくより、トータル料金
ずっとお安いかんじがする」と、わたくしは亡夫と話したものでした。

当時は年も若く、ふつーのサラリーマンの亡夫も同意していましたね。


子供等が大きくなって、自分たちで行くようになっても、料金は殆ど変わらず。
むしろ、その姿勢に感動すら覚えたものです。


それが、ここにきての三年連続の値上げ。


いいではありませんか。それまでの努力を正等に評価するなら、今まで
よくぞ頑張ったとわたくしは思います。

あれだけの美しい邸内を保つための人的労働と、次々と新しいアトラクションを
打ち出しているのです。
お金がかかって当たり前ではないですか?


家人は「あんたみたいな人ばっかりいたら、ディズニーも楽よねぇ」と
嫌味を言いますが、そうではありません。

わたくしはどちらかと言うと、世の中をシニカルに見るタイプの人間です。
でも、努力に対しての評価は当たり前と考えている人間ではあります。

ディズニーがそれまでなんの努力もしないでいての、値上げなら言いません。

それだけの努力をしているとわたくし思っておりますから、それに応じた
費用がかかるのは当然です。

最近よく職場でも「費用対効果」という言葉が飛び交っているのですが
これは、倹約しろとか、安くあげろとかいう意味ではないのです。

費用に見合った効果ということですから、効果が上がったたなら、または
あげるためなら、それに応じた費用ということですから、今回の値上がりは
そんなに非難されるべきではないと思います。



たまたま昨日、テレビで「足立美術館」を、取り上げていました。
日本で一番高い美術館という印象をわたくしも持っています。
それこそ、美術になんの興味もない子供と夫と行けば、1万円札が飛ぶと
考えたら、なかなか入れず、外でソフトクリームを買って「はい。行った
つもり」と、帰ったこともあります。

でも、昨日見ると、あの美しい庭園を維持するために、多くの人たちが働き
次世代への投資も怠りなくなくと考えれば、あの入場料金は納得できます。

幸いにも現在は行こうと思えば、もう二人分で済みます(笑)
これを行かない選択がどこにあるでしょう。


わたくしは、日本経済がどうのこうのと語るような人間ではありませんが、
いつからか、安いことだけが価値の判断で、安いことだけが美徳の基準に
なってしまった世相がますますこの経済の混迷の足をひっぱっているのでは
ないかと思います。


もちろん無駄に高いものも、現実には山ほどありますが、高いか安いかを
判断するときに、それに見合っているかどうかを、考えられない人間、
判ろうとしない人間、そういう人間たちで一杯になったら、さぞや生きにくい
世の中になるんだろうなと思います。


ま、そうなってしまう前に、もうこの世の人ではないと思いますが、そんな
社会をあの世から見ているのも、なんか辛いです。
わたくしたちが、それに手を貸していたことは事実ですから、責任の一端を
感じながら、あの世の諸先輩たちになんと詰られることでしょう(笑)
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by sala729 | 2016-02-10 12:44 | Comments(3)