桜の開花宣言が巷に溢れ、これでようやく名実ともに
春はやってきた!・・らしいですね。

先日のお彼岸には、ちびも一緒にお墓参りに行きましたが
その時車中で、ちびが校歌を口ずさみます。
幸か不幸か(つまらないシャレです。お笑いください)ちびの
母である娘も同じ小学校の卒業生ですから、一緒に歌えます。

「あーちゃんは?」
「もちろん、歌えるわよ。」衰えたとはいえ、まだまだ記憶力には自信あり。
小学校も中学校も、ばっちりです。ただ、音程には自信なし・・(笑)

「いーちゃんは?」
「・・・・」

「いーちゃんはどうよ?」
「・・・・」

「な、なんだったかな??」

「ええっ!!!」わたくしたち三人は声を揃えての驚愕符!!!

「校歌、覚えてないなんて・・信じられない。」と娘
「いや、あのオレ、小学校、転校してるから。」
「私だって転校してるけど、大阪のも歌えるよ。」と、さらに疵に塩を摺り込む
娘。

「うーん・いや、あの・・もうずいぶん前やしな。」
「私の方が前だけど、三番までいこうか?」とわたくし。

「じゃ、中学校のは?」助け船のつもりかちびの提案

「う、うん。それが、小学校はまだ歌詞は出んでも、メロディはなんとなく
判るんだけど、中学校はさっぱり。」



「うっそぉぉぉぉぉ」わたくしと娘は声を揃えて、昔のギャル語を発していました

というのも、家人は、中学時代、ブラスバンド一筋で朝な夕な練習漬けの毎日を
すごしていたと聞いております。
県下でも、ブラスバンドで有名な処であったことは事実なのですが、
ちょっと不幸な少年時代だったので、そこにしか自分の居場所がなかったと
同情をひきます(最初はちよっと同情もしましたが、今では、わたくしは、もちろん鼻先で笑って聞いています)

そんな、大切なブラバンの思い出の中に、「校歌」が入ってないわけがないでしょう?
大会のための演奏はもちろんでしょうが、自分の学校の校歌なんて、数え切れない
くらい演奏しているはずでしょ?

それを忘れるなんて・・・マジで「若年性健忘症」を、疑いました。
今でも、疑ってますが・・・


今も、テレビで高校野球の間に校歌が流れています。
家人は、こっそりとPCを開いて、母校の校歌を探し出し、楽譜を見ながら
指でリズムを取っております。
ずっとやっておりますので、たぶんまだ思い出せてないのでしょう。

・・・・・大人になって、いやというほど、タイガース応援歌を歌って、それが
体の沁み付いたと、訳のわからない言い訳を、わたくしが「あら、そうなん」と
信じると思ってかっ!!

母校愛というのは、校歌だけではないにせよ、こんなにも簡単に忘れられちゃうのですね。
先生方、諸先輩諸氏。こんな卒業生をどうぞご寛恕ください。
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by sala729 | 2015-03-25 12:08 | Comments(2)

梅も、桃も、桜も季節を待ち焦がれ、春爛漫のよき季節がやっと
足音高く訪れようとしています。
・・・なんて書き出すと、卒業式での保護者代表の謝辞の始まりかと
錯覚なさる・・・なんてことはありませんよね(笑)

かく言うわたくしは、保護者代表の謝辞を当日、あらかじめ学校に
提出していた本文とは、全く別の謝辞を述べて、先生方をあたふたとさせた
「前科者」ですけどね。

型どおりの、美辞麗句が我慢できず、どうせ私に依頼したのだから、型どおりの
文など学校も期待していまいと思ったものの、前々日になって、あらかじめ
あいさつ文を、見せていただきたいとの学校の申し出に、プツンと切れちゃったの
です。若き日のわたくし。(^^)

もちろん、それを今でも微塵も後悔はしておりませんが、この季節になると、
いつも思い出すのは、楽しかったから?なのでしょうか・・。


早いもので、我が家のチビギャングも、一年生がもうすぐ終わります。早いものです。
一度、公開参観日に見に行きましたが、30年前のわが子が
タイムスリップしたようで、面映いばかりでした。


そして、昨日一年生最後の懇談に行った娘の話を聞いて、わたくしの中の
意地悪虫がまた、うずうずと蠢き始めました。
チビの成績が、国語はともかく算数に問題あり!・・・なのは、よーく判りました。
家系というか遺伝子というか、本人の意志とは関係ない事情もあり、止む得ぬことも
ありますが(笑)一年生で、躓いてはちと、かわいそうなので、春休みは、親も
ちよっと気合入れねばならないでしょう。

それより驚いたのは、昨今の学習事情です。
テストを何枚しても、自分がクラスのどの程度にいるかは全く判らず、ましてや
ほかの子が、どんなものなのかは皆目です。

○○さんが賢い・・なんてことも知りません。
全く、我関せず・・・の、世界なのだそうです。

しかも、テストとなると、子供たちはランドセルをパッと広げて横にすると机の角に置くのだそうです。
そうやって囲んで、テストに入るのだそうです。
そして、問題は先生が音読してくれるのだと言います。

聞いた、わたくしは愕然としました。
・・・・なんと、今の学校はこんなことに成り果てているのだ。
ランドセルで周囲を隠して、先生の音読でテスト開始。
結果は自分が100点でも、60点でも、10点でも、自分がクラスの
どの位置にいるかは判らない。
比べようがないということなんです。

もう救いがたい、エセ平等主義。
競うこと。争うこと。勝敗の重さと苦さを知ること。
これは子供の頃に養わなければ、大人社会の重さに耐えられません。
予防注射と同じなのです。


なのに、テスト方法は、じめじめとした個人エリアを確立して行う。

学校は、とうとう、じっとり濡れたこらえ性と覇気のない大人を作り上げる工場に
成り果てたかと思いましたね。

そして、こんな方法でテストをしていることを知っている親たちが、
何も言わないのを不思議に思いました。

わたくしなら?
絶対に申します。はい。絶対にです。

一年生のテストに、ランドセルで覆ってまでする必要があるでしょうか。
テストは不正をしないという前提で行うものです。特に一年生は。
誰が見ていても、見ていなくても、不正はしない。
自分の意志で、しないということをやり遂げる。

先生は、ランドセルで机を覆ってテストをする風景を異様とは思わないので
しょうか?

わたくしは親ではありませんから、チビの全責任は負えません。
でも、ババにはババの、大人には大人の責任が社会にはついて回るものです。

親たちが何も不思議に思わなくても、学校に遠慮していようとも、子供の
教育に無関心であろうとも、わたくしは、わたくしの小さな責任の名のもとに
一度は先生にお聞きしたい。

こんなテストのやり方は間違っていませんか?・・・と。
かつて、自分の小学生時代、わが子の小学生時代を慮っても、こんなやり方は
どう考えても適正とは、わたくしには、思えないのです。
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by sala729 | 2015-03-23 12:16 | Comments(0)