今朝もきました。
ここ数日の、得体の知れない不可思議な感覚。

寝室のカーテンは陽射しを遮るので、少し細めにあけています。だから空が白みかけて
いることは、なんとなく判っていました。
隣に寝ているはずの家人の姿がないので、5時かな・・・なんて思っていたとき
寝返りを打とうとした私の右肩を、誰かが、ぐいっと掴んで、もとの姿勢に戻したの
です。

もちろん掴まれた感覚も、その指の感覚も、しっかり右肩に残っています。
決して、強い力ではないのですが、それでもなんの抵抗もなく、私はあっさりと
もとの姿勢に戻されました。

前述もしましたけれど、怖いというのとは違うのです。
こんな体験は初めてではないのです。もっと過激な体験もあります。
でも、それでも、安穏としてはいられないのです。

私は寝室の灯りは消しますが、夜中の相談電話のために、サイドテーブルの
灯りだけは小さく付けて寝ます。明度が絞れるので、本当にささやかな灯りだけ
です。
でも、ぼんやりと明るいのはそこだけで、部屋全体は暗いですから、今はその
暗闇が、ぞわぞわと体に浸透してくるような肌感覚があります。

なので、昨夜はリビングとの間のドアを少し開けて、寝ようかとしたのですが
そんなときだけ、なぜか律儀な家人が、しっかりとドアを閉じてくれるのです。
(ほんとにもう、それは嫌がらせとしか思えない行為なのですが、自分は気が
利いていると信じているのですから、まことにおめでたいタイプです)


いつもは気にならない、加湿器の、シュー、シューという音も、こんな夜には
妙に意味をもって聞こえます。

そしてこんな夜は、ずっと前に、私の寝ているそのすぐ隣の、ベランダへの
掃きだし窓の外側に、小さな手形が、二つ、付いてあったことがあった・・・
なんてことを思い出すのです。

もうずいぶんと、こんな体験からは遠ざかっていますので、この、ぞわぞわ感は
懐かしくもあり、迷惑でもあります。
いくら、ホラーやスプラッター映画が大好きとはいえ、こんな摩訶不思議状態を
楽しめるほど、人間は出来てはいません。



もしも、これらの現象が、最近の気づかれから来て、自分が思うより以上に
心が疲れていることが原因なら、これは自分の心の持ちようで、なんとかなる
はずです。



昨日、久しぶりに海辺のリゾートホテルに、ドライブしてきました。
ここのイタリアンは、大好きで息子が帰ると、一緒に来たりしますが、
鯛を塩で包んで、窯で焼きあげたものや、鮑の香草ソースなどは、なかなかの
ものです。
何より、道を隔ててすぐに海ですから、昨日のように気持ちのいい日には
最高のご馳走です。

そこで、人を変えるより、自分が変わるほうが早いという、結局は自らの
哲学に戻ってきたのです。
ただし、私のは迎合ではなく、相手に合わせて自分を主張するために、変わるという
変則的なものではあるのですが・・これも戦略といえばそうですけどね(笑)


そうやって、英気を養ってきたつもりだったのですが・・・・



でも、今朝になって、私は決心しました。
今度、私に触れるものがあるときは、必ずこちらから、ソレを掴んでやろうと・・
もう、こんな受動的に、イライラとジュクジュクとするばかりの時間はいりません。


今夜は、電気を消して、静かにその時を待つ、つもりです。

もしも、その不可思議なものが、また現れたら、それは私のなんのために
出てくるのか・・・それは聞きたい。

こんな私って変人ですかね?
[PR]

by sala729 | 2011-02-28 11:31 | Comments(5)

自分のことを、弱い人間と思ったことは、そう多くはありませんが(そー
だろうとも!・・と、家人)それでも、今年に入ってからの日々は、思いの外
心が疲れていたのかもしれません。

一昨日の夜、本当に久しぶりに「金縛り」状態に陥りました。それも、かなりの
時間・・。
寝室の照明器具の間から、誰かの顔が覗いていたのも、見えました。
それが亡夫だったのか、他の誰かだったのかは判りませんが、久々の体験だと
案外怖いものです。

なにしろ身体の自由が全く利かなくて、天井を見据えたままの視線の先に
誰かの顔があるのですから、逸らすこともできません。
ドア一枚向こうで、家人がなにやらごそごそと、動いているのが判るのに
知らせることも、呼ぶこともできない。・・・これは、ちょっとした恐怖です。


ようやく金縛りから、解けかけた頃、のんびり寝室に入ってきた、家人を見たとき
には、安堵よりも、その暢気な態度に、むかっ腹が立ちましたけど・・(すみません
あまりの腹だたしさに、下品な表現で)


そして、昨夜・・
一昨日ほどでないにせよ、何かの気配は漂っています。
私ではなく、家人でもない気配。怖くはないのですが、判らないことの戸惑いと
懐疑が、ひたひたと押し寄せるようで、やはりなかなか寝付けません。

眠りも浅いようで、睡眠時間は変わらないのですが、何度も目覚めます。


自分で思っているより、肉体はもちろん、精神も、柔軟でも、強靭でもないようです。
なにしろ、今年に入ってからというもの、私は気が付けば怒ってばかりです。

表面に出すこともあれば、胸にしまっておくこともあり。
いつも、臨戦態勢で待ち構えている自分をよーく知っています。
今が、その時なので、仕方のないことですし、仕事というのは楽しいだけで
過ぎていくわけはないのですが、これが心のSOSとしたら、少しは
休ませてあげることも考えなくてはなりません。なにしろ
誰のものでもない、自分の心のことですから・・・



などと、殊勝な朝を迎えていつものように新聞を広げました。
読売新聞ですが、その中に、作家の樋口毅宏氏が自書「雑司ヶ谷R.I.P」の、
巻末に、公立図書館の貸し出しを、新刊発行の半年間は猶予するようにという一文を
載せているという記事を見ました。
これは至極、もっともな主張だと思います。

私は前にもここに書きましたが、図書館に自分の読みたい本(新刊ですよ)を
リクエストしておく人の気がしれません。
図書館は、個人のための無料貸し本屋さんではありません。

新刊が読みたいなら、自分で買いなさい。
それをしなくて、平気で子供に読み聞かせしながら「あ~ら、図書館の本、
こんなにしちゃってる。ダメよねぇ。みんなの、本だもの、大切にしなくっちゃ」
なんてしたり顔で言っている人を、私は信用しません。

そういう人は、無作為でちょっと本が破れたり、ペンの線が入ったときは
「これくらいはしかたないわよね。もっとひどいのもあるんだから」と、
平気でそのままにしておくと、私は思っています。

たとえ、一本の線でも、わざとでないにしても、公共の本です。傷つけたら
弁償しましょう。見知らぬ人が、セロテープてで本の補修をしたり、破いていたり
することと、自分の行為の責任を取ることは別です。


図書館で無料の新刊本を買ってもらって読んでいるあなた、自分のお金でその
本を買っている人間をどう思いますか?
お金が有り余っているから、買い込んでいるのではありません。
自分の趣味、嗜好のためだから、自分のお金で楽しんでいるのです。
新刊本を、いち早く読みたいというのは、趣味や嗜好の問題です。個々のことです。

その個々のことを、ただでしてもらおうなんて、浅ましくはありませんか?
そのさもしい行為を、自分の子供に見せていいのですか?

図書館は、自分が読みたい本を買ってもらうところではなく、自分が読みたい本を
捜しに行くところです。
子供たちには、こうして公と私をきちんと分けることを、ぜひぜひ教えていただきたい
ですね。

ついでと言ってはなんですが、先日知人に、「本が全部電子書籍で読めるように
なって、Aさんが本屋を経営していたらどうする?」と、尋ねられました。

私は「本屋を辞めます。そして以降の新刊本は買いません。それからは、手持ちの
本と古本屋さんにある、今までの本を読み返します。死ぬまで読んでも、余りあるほど
ありますもの。」と、答えました。

作家の方の中には、電子書籍に書き下ろしを載せていらっしゃる方もおりますが
そしてこれからは、こういう時代とおっしゃいますが、作家の方自身が、そんなことで
どうします。

これって、結局「安売り競争」ではないですか?
誰もが書けて、載せれて、印税は安い。そして読者も安く見られる。
今の日本は、国中が安けりゃいいみたいなことになってますよね。
ジーパンはどんどん安くなって1000円を切り、アウターも990円なんて
信じられない値段で、同じ形、同じ色が色番ごとにずらっと並べられている。

本もそうなる運命でしょうか。

もしも、将来、電子書籍ばかりで本屋さんが立ち行かなくなり、なくなって
しまったら・・・

寡作だからこそ、やっとでたその作家の作品を愛おしく思う気持ちや、ほんの
一握りだけど熱烈な読者に支えられた個性的な作家さんたちの作品を、探そうと思ったら
これから、どうやって捜せばいいのでしょうか?

そして、新しい構想を練る間もなく、次々に新刊を発表しなくてはとても、とても
印税では暮らせなくなった、作家さんたちが使い捨てにされるなんてことが
あるんじゃないかと、本で育った私は心配します。


図書館を正しく利用する会・・・なんてあれば、ぜひぜひ一度お訪ねしたいものです。
向こうさんは、お嫌かもしれませんが・・(笑)
[PR]

by sala729 | 2011-02-26 11:25 | Comments(0)

書いては消し、また書いては消し・・と、私らしからぬことを今日は続けていましたが
もうやめました。

どんなに策を弄しても、私の文章力では、とても、この自分自身の、
やっかいな性格と結果を上手に結びつけることはできないと、認識しましたから
もう思うがまま、誤解も偏見もぜぇ~んぶ、覚悟の上で、書き連ねることにしました。

と、言うか今までも、そうだったんですが、最近は雑多な事が多すぎて、しかも
人間関係まで微妙に入り組んで、こんな私でも周囲に多少は気を使って、配っていた
のですが、慣れない事は長続きするものではありません。


ここからは、ちょっと過激になりますから、心して読み進んでください(笑)



私の周囲の男達に告ぐ!!


君らは、稀代の策略家か。バカか阿呆かっ!!

いろいろ策を巡らせたつもりでも、悉くそれが外れて、その始末を誰かに
回すことしかできない君。君のことです。
それが、話し合いの極意と思っているのかもしれませんが、一度は自分の手と
誇りを汚さないと、それはただの責任転嫁です。

あなたの指示のままに、黙って従った私のことを、見くびっていたのか、
従順なだけの羊と認識していたかは知りませんが、私は自分の本性を
隠していたことはありません。

ただ、サラリーマンとしての、規範と良識で仕事をしていただけです。

それが外れたら、私は私として自らの信じた道を行くだけです。




もう、日々いろんなことがあって、面白いといえばそうなのですが、
仕事に集中できないのも事実です。

信頼という言葉は、とても脆くて、一度崩れたらもう二度とは再建することは
ありません。
私は、人を許せない、狭量の人間なのです。

ただ、自覚しているだけ、まだましと、自画自賛もしていますが・・・。


いつ崩れるかもしれない、砂上の楼閣を見上げる心境は、なかなかのものがありますが
その中で暮らすことは、骨の折れることです。

いつ崩れるかも知れない。楼閣・・・
ただ、そのハンマーを握っているのは、私なんですけどね・・・(苦笑)
[PR]

by sala729 | 2011-02-24 12:31 | Comments(0)

またやってしまいました・・・いやはや、性格とはいえ損な性分ですわ(苦笑)

前の会社を退職してから、今まで、役所などにいろいろな届出があって、なんだか
落ち着かない日々ではあったのです。

しかし、ひとつひとつ紛していくうちに、この役所の届出というものが、いかに
欺瞞に満ちているか、よーく判るようになりました。

まず税務署。
退職日の都合で、年末調整ができてないのでといわれ、個々に源泉徴収票を持参
することになりました。
そこで、現実には未払いの給与が支払われていた形になっていたり、払わなくてよい
所得税が納められていたり、また源泉徴収票の金額に間違いがあることも判りました。



税務相談の吏員さんは
「これでは還付は受けられませんね。納めていた所得税は、会社からの請求があって
初めて還付されます。それは会社にです。Aさん個人には支払われません。それが
Aさんに還るかどうかは、会社とAさんとのお話です。こちらは関与しません。」

「木で鼻をくくる」という諺がありますが、まさしくその通りの言い方です。

「でも、私は給与は頂いてなくて、会社は所得税を支払っているのです。未払いの
証拠も、納税の証拠もあります。」

「そう言われても、税務署は支払われた給与の中から税金を頂いているのです。」

「だから支払われていませんって言ってるでしょ。」

「いいえ、所得税というのはですね・・」

「もういいですっ。要は、税務署というところは、取れるところからは、しっかり
取りましょう。もしそれが間違っているのなら、当事者同士で話し合って解決して
ください。うちは知りませんよって、ことなんですね?」

「ま、そう仰るなら、そうかもしれませんが・・」

「この源泉徴収票にしても、黙って申請していれば、いくらかの還付金はあったのに
バカ正直に申しでしたから、その還付も受けられないと・・そういうことですね?」

「ま、そう言えば、そうですが・・でも、税務所はAさんから所得税払ってもらって
いるんじゃないですよ。」

「払ってますよっ!」

私はここで、思わず机を叩き、周囲の注目を浴びましたが・・

ここで言うのもなんですが、私、前々年度の還付金20万近くあったのです。
扶養家族もなく、休みもなく働いて、税金納めて、正直申請してこれ・・・です。


もちろん、全面的に税務署が悪いと言ってるわけではないのです。
一番悪いのは、税務処理を誤り、未払い給与をだした前会社なのですが、それにしても
徴収はしっかりしておいて、それ間違いですと申し出ると「こちらは知りません。
預けたほうと、預かったほうで話し合いしてくださいな」って言うのは、あんまり
じゃありませんか?

納税者はお客様・・・ではないのですね。
国民の義務というのなら、そんな杓子定規でいいのでしょうか?



そんな怒りがあったあと、今度の矛先はハローワークに向けられました(笑)


一応離職しましたので、その届けをして、説明会に行きましたが、私は起業するので
その受給資格はありません。
それが判っているので、当然申請は、するつもりはありませんが、でも、これって
おかしくありませんか?
(説明会のあと、申請するつもりはないと伝えると、一回目の認定日には来てくれと
いうのです。なぜに??・・・もう行く気はありませんけどね。)




仕事を辞めて、次の仕事をつらつらと探すよりも、自分で自分の働く場を作ろうかと
言う人間に、なんの支援もないっていうのは、人間の自助努力を無にすることでは
ないですか。

言い方はよくないかもしれませんが、中には漫然と職探しをしている人だって
いるはずです。でも、その間の手当は保障されているのです。職探ししているという
みせかけのポーズであっても・・・。

再雇用なんとかという施策もあるそうですが、それには、いろいろな諸条件が
附帯していて、それに合致しない人も多いそうです。もちろん、私もその中の
一人なのですけどね(笑)

でも、それって「働く意欲」を、著しく妨げていませんか?
資格がないのだから、手当をいただこうとは思っていません。
でも、漫然とした求職者と、零細な起業者の間に、どんな線引きがあるのでしょうか?


すべてを呑みこんで、まぁ、それもありーな・・・などと、鷹揚に構えていられるほど
私は心広くはありませんし、人間ができてる訳でもありません。

でも、人として意地を通すためには、正直に生きていたいし、それには
「損する」ことも多いのは事実です。

こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。
[PR]

by sala729 | 2011-02-22 14:34 | Comments(2)

もう二月も後半になると、町全体が卒業とか入学とかで、華やいだり、厳粛ムード
だったりしていますが、昨日我が娘も、フォーマルウェアを調えました。

これは、当然嫁入り仕度であってしかるべきなので、中途半端な親としては、
「忘れてた・・」ってことで、ずっと心に残っていたことではあるのですが・・(笑)


そういえば・・・と、遠い昔を思い出すと、私達が嫁入りするときは、
座布団が20枚とか30枚。和ダンスにはしつけをしたままの着物をぎっしりと
収め、嫁入り家具は同居、別居に係わらず、夫の実家に一旦いれて、ご近所さんが
無遠慮に、抽斗まであけて嫁入り仕度の検閲をする・・・なんてことがまだまだ
残っていた時代でした。

今話せば、大笑いされるかもしれませんが、新車にリボンをかけてディラーさんが
届けにきたのを見たこともあります。

今、その座布団は箱に収められたまま、日の目を見ることもなく、桐の箪笥を台代わりに
ずっと定位置に置かれたままです。
着物のしつけも切られることもなく、陰干しもしてないのに、色あせも染みもないのは
さすがに日本の技術と思います。



こんな時代の嫁入りをした身には、娘の嫁入りのなんと簡素で、合理的で、
健全なこと・・と、思っておりましたが、それでもこんな時代でも、それなりに
義理家族との付き合いや、対応に悩んだり迷ったりはあるようです。


昨日買い物前に、娘とちびギャングを連れていつものモーニングサービスを
食べ終わった頃、首をかしげながら言うには
先日、婿殿の実家に遊びに行ったところ義父母と一緒に、ご飯を食べに出る
ことになったとか。

あちらのお父さんは、外食がお好きでないとかで、家ご飯が多かったのですが
最近は、お母さんの発案で、みんなで外でご飯・・という回数が増えてきたようなのです。
この前も美味しかったよ~なんて聞くと、以前みんなのご飯のあと、自分が食べるものが
ないと、零していた頃が遠い昔のようです。


「よかったじゃない。美味しいものが食べられて。」と、私も不謹慎なことを言います。
「そうなんだけどね・・・」と、珍しく口ごもる娘。
「なに?」
「お義母さんが、ちびを生簀見に連れて行った時、お義父さんが、私たちにね、
こうやって外に食べに行くのは好きじゃないって言うのよ。お婆ちゃんもつれて来たいけど
もう年だし、何かあったら心配だって。」

私は、お代わりしたコーヒーをすすりながら
「それは、あなた達に否定して欲しいのよ。外でご飯食べようってお義母さんが
提案したら、あなた達に、いや家でって、言って欲しいのよ。」
「な、なんで??。あの家は、どっちかと言うと、お父さん亭主関白だよ。それなら
自分で言うと思うけど。」

・・・・・・まだまだ、考えが浅いな。未熟者めがっ!!(笑)


「なら、どうしてお義母さんのいない時に、わざわざ言うの?。自分で言うなら
みんながいるとき、言うでしょ。お義父さんは、お義母さんに遠慮してるのよ。
どこの家でもそうだけど、自分の母親と妻との間に入った、男は無力なものよ。
いくら普段えらそーなこと言ったって、昔は母親が強くて、妻から愚痴聞かされ
今は立場が逆転して、母親から愚痴を聞かされるものよ。あなたが思ってるより
お義父さん、おうちの中で権力ないと思うよ。(笑)」

「ふーん。そんなもん。」

そんなもんよ・・・(未熟っ!)

「でも、それ言ったらお義母さん、可哀想だよ。毎日、仕事して、ご飯作って
せめて、Rたちが行った時くらいは、外ご飯で、楽させてあげたらいいんじゃない?」と
家人。

それはそうです。その通り。
男は、簡単に「家でメシ食う」と、言いますが、用意をし、片付けをするのは妻です。
毎日、家メシを望むら、半分は自分が負担すべきだと私も思います。
時間が有り余って、お料理が好きで好きでという、女性ならともかく、大半の
働く女にとって、毎日の炊事はきれいごとではありません。

手抜き、足抜き料理の名人を自負する私も、毎日それが勤めとなったら、手抜きだけ
では賄いきれないと思います。
もっとも、私の場合は、趣味で炊事やっておりますので、気に入らない時や、やり
たくない時は、しません。

よそ様のお家ながら、婿殿のご実家の父上は、趣味が「海釣り」と、公言しておられ
毎週のように、片道何時間もかけて、一人で釣りに出かけられ、それなりの
釣果は挙げられているのですが、自分でさばけません。料理できません。
そのくせ、○○の時期は今じゃないとか、このイカは旨くないとか言われたら
絶対に、料理上手になろうとは思わないであろうということは、容易に推測できます。


そんな、お義母さんの、束の間のやすらぎ時間である、外ご飯を、どうして
娘たちから「やめましょう」なんて言えるでしょうか?




「で、あなたはなんて答えたの?」
「いや、二人で顔見合わせて、なんて言おうかって思ってたら、お義母さんが
帰ってきたのよ。」


いつの時代でも、ありますよね。嫁姑関係。
私達が最後の世代かと思っていましたが、子供等の時代にも、やっぱり存在する
のです。

私はずるいようですが、今はお義母さんの気持ちも、お義父さんの気持ちも判ります。
なぜなら、かっては私も嫁であった時期もあり、今はそういうことを一切を脱ぎ捨てて
生きているからです。




私は、夫の死で自分も死に、今の私は新しく生き返った自分だと思っています。
ゾンビと呼ばれることもありますが・・(笑)


こんな私とて、舅や姑の無理無体に、黙って我慢した時期もありました。
夫に気持ちを訴えて、代理戦争けしかけたこともありました。
いらぬ遠慮や、気をまわしたこともありました。自分でそうしておきながら、
悔しさや理不尽に、荒ぶる気持ちを奥歯を噛み締めてこらえたこともあります。

でも、夫の死で私は生まれ変わり、すべての義理張り事を、ご遠慮する生活に
入りました。
仕事上と言われれば、やむ得ませんが、プライベートでは冠婚葬祭すべての参加は
ご遠慮しています。


もちろん、悼む気持ちも、祝う気持ちもありますから、参加する者(私が出ません
ので、息子が行きます)に、それを託するということはありますが、まずは
ご遠慮させていただいてます。
いま、ともに暮らす家人にもそのことは伝えていますので、ごく平凡な市井人の
家人としては、ご母堂の時には、できれば参列して欲しいと言いますが、それは
お断りしています。

多少心苦しくはありますが、それは私なりの、亡夫へのけじめでもあります。
夫なきあと、すべてお断りしておいて、家人のところのは・・ということが
私にはできません。

つまらない意地や、余計な見栄かもしれませんが、それをしては亡夫への
私の思いが立ちません。

そして、そんな生まれ変わった私と暮らすことを選んだ家人には、そこを判って
貰わなければ、私との生活は成り立ちません。



話がそれてしまいましたが、ともかく婿殿のご両親のどちらのお気持ちも
判る以上、娘には深入りするなとしか言いようがありません。
これは、婿殿がお義父さんに言うべきなのです。


自分の母親がいままで、どんな思いをしてきたか。
そして、お義父さんが自分の母親をそれだけ大切に思っているように、
自分も自分の母親が大切であること。だから、その母親の意向を叶えて
あげたいことを、お義父さんに伝えるべきなのです。


すると、またまた家人が一言・・・
「言いたいことは判るけど、あの二人がそんな会話するか?あの二人、絶対
二語以上の会話はしないよ。」と、断言するのです。

そして、娘も大きくうなづき
「そう。そのとおり。」


そーだったわね。あなたは、そんな男のところに嫁いだのだったわね。
しばらく、忘れかけていた悔しさが、一瞬甦ったような、そんな気持ちにさせられた
ひと時でした。
[PR]

by sala729 | 2011-02-21 15:03 | Comments(2)

本当に今年はよく雪がふりますねぇ。。。

それでも、我が家のちびギャングは、手の指を真っ赤にして、雪遊びに大喜びです。
今年の四月には、幼稚園の入園も決まり、初めての団体生活に胸躍らせて・・は、
いません(笑)

月一で、プレ幼稚園があって、その都度行ってはいるのですが、本人は
幼稚園児になるということが、どういうことなのか、いまいちまだ判っていない
ようです。
通園するようになって、初めて母親から離れて生活することになった時、どれだけ
泣き叫ぶか・・今から楽しみです。ほっほほ~(幼稚園の先生ごめんなさい。わが子の
時のことを思い出すと、笑いがこみあげてきます・・・^^)



我が家は今、ちびギャングのピアノのお稽古のために、大掃除を決行中です。
もちろん、ちび親たちにはその若い労働力を、十分に発揮してもらわねばなりません。
三階の子供たちの部屋からベッドや机、本箱はもちろん、何度もここで書いております
隠し部屋の雑貨類もこの際とばかり、すべて整理対象にしています。

隠し部屋からの本格的整理は、初めてのことですから、出るわ、出るわ・・・
私の結婚式での祝電、亡夫からの手紙、結納一式、子供たちの成績表、発表会の
ドレス。旅先でのおみやげ。海外旅行での亡夫のおみやげ。鉄道年鑑から、英語の
学習テープと教材全30巻。労働福祉法令集20冊。厚生法規、安全管理、
各種法令集、ベッドに机に椅子。本棚に収納ケース、・・・・・・・・・・・

私には、その価値はなにも判りませんが、6人時代のSMAPの写真集と、
若きキムタク君の、限定写真集。なんとかいうビジュアルバンドの等身大ポスター。
セーラームーンのリトグラフ三枚(これは、あとでオークションで見たら、一枚9万の
値がついていました。。。)
未使用のテレカ。セーラームーンから、東京ディズニーランドのプレミアまでそろって
50枚あまり・・しかも、アルバム入り(笑)


たまたま、お隣に遊びに来ていた、ちびギャングのガールフレンド、MEちゃんの
パパとママも参加して、何か出るたび、きゃ~きゃあと大騒ぎです。
「これ。絶対プレミア!!」
「う~ん。すごいっ!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ってなにが??

それより、私はしつけ糸のついたままの、大島紬や、小紋、色無地などを和ダンスから
取り出して、どうかたをつけようかと、その方が思案で一杯です。
一番イキイキしていのは、なんと、婿殿。

仕分けが楽しくて、楽しくて仕方ないと、まるで「蓮舫さん」みたいです・・・
私、キライですけどね。

娘の子供時代の写真みつけては「おぉぉ~~」
成績表みつけては「わおっ~」
息子の子供時代の収集物みつけては「へぇぇぇ」と、飽きることを知りません。

おかげで、三階の部屋ふたつは、すっきり。
各部屋の押入れも、隠し部屋も、もうひとつの隠し部屋・・(これ、私知りません
でした・・笑)も、すっきりしています。
ここで、かくれんぼしたら、大変です。隠れるところが多すぎ・・・

片方をゲストルームにして、もう片方を、ホビールームにしょうかと計画しています。
なにしろ、綺麗な表現をすれば、趣味多才。ありのままに言えば「気が多い」
私と家人ですから、ホビールームはあったほうが便利です。


と、今日はここまで・・
次は二階。そして一階・・と、順にしていかなければ、もちません。
漫画も出てきました。
全30巻とか50巻とかのコミック集。
亡夫の趣味です。
小島剛夕、池上遼一、弘兼憲一、本宮ひろ志、ちばてつや、かわぐちかいじ、
浦沢直樹。。。各氏の代表作をはじめ、まだまだ出るわ、出るわ・・
その上に、漫画で見る古典。漫画日本史、漫画源氏物語に漫画枕草子・・
こんなものまで、漫画で読まんでも・・・(溜息)


娘いわく、古本屋さんに電話したら、取りに来てくれるとかで、ひとまずこれらは
廊下に出しておきます。


ここでも、MEママは、大興奮。
ママと言ったって、こーんな子供の頃から知ってる子ばかりです。
そんな姿は、可愛いもんです。

その、私からこれば「ヒョッコママ」同士が、子供の幼稚園バッグの件で
話し合っています。
洋裁の得意なMEママはもう作ったらしく、お披露目していましたが、
なかなか上手です。デザインもパッチワークを上手に使って、オシャレな
バックと、うわばき入れ。コップ入れの三点セットがもうできあがっています。


わが娘は・・・と、見ると、製図も借りて、材料だけ揃えたら、MEママに
製作までお願いするとか・・・あららら・・なんと、情けない。親の顔が見たい
とは天に唾吐くわがセリフでしたわ・・・(苦笑)


あまりの情けなさに、思わず「私がするっ!」と、宣言したものの、20年ぶりの
ミシンに恐れをなしたのか、これ以上立ち入られたら、何を言われるかと思われたのか
娘に、まあまあと宥められ、一度は矛を収めたのですが・・・



その夜・・・
じつは、今、ちびギャングとME姫の間柄は、平穏ではありません。
我の出る三歳児同士ですからよく衝突します。
そして、いつもちびギャングが泣かされます。・・・それはいいのです。
子供のけんかはよくあること。親同士も知り合いですから、今は判り合っていて
「ほっとこうね。」と、言っているのだそうです。
それにも、問題はありません。しかし・・・


実は体格的にはちびギャングのほうが、ME姫より、頭半分近く大きいのです。
力も、本当はちびギャングのほうが強いのです。
本気になれば、たぶん泣いちゃうのはME姫です。

男だから堪えているのか、気が弱いからなのかはまだ判りませんが、親は
自分の子が愛おしくかわいいものです。
明らかに、体格がよくて、しかも男の子から、わが娘がいじめられていたら
決して、いい感じはしないでしょう。

いいえ、これは誰とも同じです。
今は、体格と性格が逆だから、「ほっとこうね」で、事がなりたっているのです。

それから、通園バッグにしても、洋裁の出来ない身でありながら、娘自身、
他の子と同じものは持たせたくないといいおるのです。
ましてや、洋裁に自信があって女の子の母親なら、もっと「同じじゃないもの」に
拘るのではないでしょうかね・・と、私は思うのです。

それを、お隣の子が、色こそ違え、まったく同一バージョンのものを、しかも
自分が作る・・・親同士の仲がいいときはいいですよ。
でも、もし何かトラぶったときに、きっと一度は後悔しますよ。
お願いしたこと、お願いされたことを・・・。


一度お願いしたことを、もはや翻すことはもうできませんが、わが娘には
それくらいの、想像力と、心遣いはして欲しいですね。
親しき仲にも礼儀あり・・というのは、ご近所づきあいの究極の極意であると
私は心得ています。


そして翌日、ショッピングセンターの手芸やさんで、私が見つけてきました。
というのも、娘も何度か行ったらしいのですが、あまりの種類の多さに迷いに迷って
決めきれず、私と行って決めようと思っていたというのを聞いて、もう、私が
決めちゃいました。念のため、写メでは送りましたけど。


どうしても、ME姫と同じバージョンは避けたい・・そこで、切り替えなしで
ポケット布を、別柄にして、そのポケット布で、うわばき入れとコップ入れを
作る・・・これだけでずいぶん目先が変わるだろうと・・
しかも、MEママにも、手数を余分にかけることもなかろうかと・・。


すると、電話口でちびギャングがぼそりと
「ボク、ママに作ってもらいたい・・」

意味が判ってか知らずかは不明ですが、この一言に娘は、発奮したようです。
仕方ありません。
裁断は私がしましょう。
そして、ミシンは、よろよろとでもあなたがかけなさい。
それが子供の期待に対する、親の答えでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうしてもダメな時のために
我が家の古いミシン・・一度試し縫いしておこうかな??(笑)
[PR]

by sala729 | 2011-02-15 15:18 | Comments(2)

昨日に続いて、今日も雪です。
それでも、だいぶ気温が上がってきたのか、霙のような重たい雨に変わっている
ような気もします。

今年は、私の住む地でさえも、こんなに雪が降り積もり・・もっともここは
例年公立高校の受験日には必ず降雪するというなんとも意地悪な「雪の女王」の
お振る舞いに、かつての私も泣かされました。もう何十年前のことでしょう・・ほほ~

こんな四国の穏やかな土地でさえこんな日があり、ましてや北海道や東北、北陸
裏日本(すみません、年がバレバレですが、この言い方が一向に直りません。でも
これは地域差別用語でもなんでもなく、単なる地域の別称にすぎないのですよ。
私達の世代では・・)の、雪害には、ただ驚くばかりです。

しかも、屋根の雪かきに、もう百人近い人が亡くなっていると聞けば、雪に遠い
国の私達には、想像だにできない事です。
それでも、ニュースに映る、雪深い里の人たちは、二階の窓から出入りし、
自宅前の通路に、山積みされて二階家まで届こうかとする雪の中で日々暮らして
いるのでしょう。

雪深い県の知事さんたちが揃って、国土交通大臣に「雪かき費用」の請願に訪れた
ニュースを見ましたが、大臣は「今後いくらかかっても、それは出します。」と
妙に力を入れた答弁をしている姿が放映されていました。


そりゃそうだ。特に過疎の村は、若者がいないので、お年寄りが危険を承知で
雪かきして事故にあっているケースが多いと聞いています。
こういう天災にこそ、税金は使うべきです。
同じ、日本の国に住んでいるなら、同等の安全と快適は、誰の身にも保障される
べきです。
と、頷いていたら、家人が
「でも、これって国道や県道の整備だけでしょ?民間の家の前の雪かき費用なんて
入ってないんじゃない?」と、ポツリと一言。


確かに、東北新幹線や上越新幹線が、雪で立ち往生したときも、公共交通機関優先と
そちらの復旧が先でしたね。
しかも、あの時は、沿線の住民が自分たちも雪で大変なときに、「炊き出し」をして
乗客に喜ばれたという記事もありましたよね。

もしも、私の思い違いならそれはその方がいいのですけれど、あの国土交通大臣の
太鼓判は、公道に限って・・ということなのでしょうか?

そんなに言うなら、財源はどーするのよ?と、民主党支持者さんに問われたら
私に名案がありますっ!!

子供手当てをいただいている、お父さん、お母さん。
あなた達の若い労働力を、ボランティアで還元するというのはどうでしょう?

子供は地域で育てるもの・・・その趣旨には私は全面的に賛成です。
そのために税金が投与されるのも、この際、目を瞑りましょう。
でも、それなら、地域の助け合いもあって然るべき。

月に一度でいいですから、子供達のスポーツ少年団のお世話するその一回だけを
雪かきや、お買い物のお世話に使ってみるというのはどうでしょう?
一回といっても、みなでやれば毎週ぐらいのローテションにはなるかと思いますね。
もちろん、バスを用意しなければいけないかもしれません。

でも、これこそが「地域で子供を育てる」ということではありませんか?
自分たちの子供を、地域が手助けしてくれようかと言うのです。
ありがたく受け取り、そしてまた自分たちのできることを、地域に還す。
これが本来の姿ではありませんか?

国土交通大臣殿

国道一本分の予算を、ボランティア輸送バス料金に当ててください。
そうすれば、もしかしたら、今とは違った形のコミニュティができるかもしれません。
子供たちにも、ボランティア意識を教えられるかもしれません。
子供手当てに懐疑的な、人たちからも、少しは賛同得られるかもしれません。
私は、何もせず、ただ金銭を貰うだけの援助でよしとしている日本人が
大多数とは思いたくありません。

与えられ、還元することで、人間社会は熟成していくのではないですか?
還すチャンスを、あげればもっと大っぴらに、子供手当てを受け取れて、懐疑や
後ろめたさを感じないで、享受できるという喜びを、若いお父さんやお母さんに
教えてあげてもいいと思いますけどね・・・



ところで、国土交通大臣のお名前・・なんでしたっけ?
覚えてないのは、私の記憶の減退?それとも、役者不足のせいで脇役人事だから?
・・・・・・・・・・なんて事言うと、また反論いただきそうですが、
それもよし。楽しみにしています(笑)
[PR]

by sala729 | 2011-02-12 14:42 | Comments(0)

今朝、起きてみると一面の、白、白、白
昨夜寝る前に、そっと寝室のカーテンを開けた時も、もうすでに積もってはいたのですが
今朝は、本当に何年振りかというほどの積雪で、我が家の前の空き地では、早起きのお隣の
小学生が、もうすでに雪だるま作りに精を出していました。

ベランダに積もった雪も、かなりな量で、誰も足跡を点けていない、純白の雪がまぶしく光って
いるのは、やはり美しいものです。


ただ、その日予定していたことが、すべて流れてしまったのは困ったことではあるのですが、
自然は人間の思い通りにはならない・・・と、いうことですね。


そんな休日のお昼前に、珍しくテレビに見入ってしまうことになりました。
日本テレビ系で10時30分くらいからだったと思いますが「津軽袰月ものがたり」
(参考までに、北津軽郡の、ほろづき、と、読む地域なのだそうです)

ここは、津軽半島の先っちょにある、いわゆる限界集落です。
88歳を最高齢に、老人ばかりの町で、ここに子供も若者もいません。
この街の四季を、和久井映見さんがナレーションして話が続くのですが、もちろん
津軽ですから、冬は厳しいですし、春はなかなかきません。しかも集落の背後が
山の斜面なので日差しが差し込む時間は短いです。
夏には子供たちが、孫たちを連れて帰ってきますが、お盆が終わると三々五々帰っていきますので
余計にさみしさが募ります。

午前中に二本だけのバスだけが頼りで、片側に荒波を受ける舗装の悪い道路を、走っています。


でも、ここの住人たちは、穏やかで、淡々と日々を送って、年老いた漁師も、農婦も、自分たちの
為だけの収穫はしません。
みんなに分け与えるために、若布を捕り、大根を育てているのです。
農婦は言います。
[息子も誰かに何かしてもらっているかもしれない。息子にあげてると思ったら、なんも
勿体ないとは思わない。」
漁師は言います。
[金に換えようなんて思ってない。みんなに食べてもらったら、それでいい。」


助け合って、補い合って暮らす日々。村の祭りも、細々とでも続けています。
そうした、無理をしない、足りないを知る生活が淡々と進んでいきます。

一人暮らしの、漁師は言います。
「80年以上をここで暮らしてきたんだ。ここがいい。」

過酷な土地に、子供を縛りつけたくなくて、町に出したものの、自分はここがいいと言う漁師。

彼の家の隣に、ここで育って、町に出て、停年を迎えてUターンした夫婦がいました。
彼もここで育ったから、ここに帰ってきたのです。



私はこの番組を見て、子供を育てる「土地」ということを思い返していました。
今、私が住むこの土地は、嫁いで亡き夫と二人で新しく築いた場所ですが、私の息子と娘にとっては
生まれて育った場所です。
息子は、今は東京で一人暮らしをしていますが、停年になったらここに帰ると、常々言っています。
本心かどうかは知りませんが、息子にとっての故郷のこの地は、決して居心地が悪くはないと
いうことなのでしょう。

娘も結婚して、一旦は夫の近くに住んだものの、結局この地に戻って、子育てをしています。
近くに、子供のころからのお友達がいることもありますが、この土地のひとつひとつを、彼らは
知っています。
どんなに、環境が変わろうとも、あの道を曲がったら、小さな祠があって、そこで小学生時代は
肝試ししたとか、あの川の曲がり口の草叢には、いつもザリガニがいたとか、あの家と、あの家は
誰々の家とか、そんな変わらないことが子供時代から彼らの中にはあるのです。

それはここで生まれ育ったからあるものなのですね。

私はここでは生まれ育ってはいません。
子供時代は何回も転居して、我が家は何処に行っても「よそもの」でした。
だから、私には、ここに帰りたいという場所はありません。

家人も同じです。
祖父母に育てられた佐賀も、それから移り住んだ西宮も、無条件で帰りたいと希求する場所ではないと
言います。
便利だから、西宮にという思いはあっても、ここで生まれて、ここで育ったからという本能的希求は
ないのです。


息子や娘と同じ感覚を持っていたのが亡夫です。
今のこの地は、私と二人で暮らし始めた場所ですが、それまで彼は同じ処で生まれ育っていました。
秋祭りに帰ると、太鼓台が実家の前に停まるのですが、そうすると、それが当然のように乗り込んで
太鼓を打ち始め、それを息子にもさせていました。
新しくその地域に住み始めた子供たちがいても、平気で順番をとばしてそうさせていました。

私は、よく大人げないと彼をなじったこともありましたが、なぜ非難されるのかと却って不審がられ
たりもしたものでした。今なら判ります。
そして、今はそれが、ちょっとうらやましくもあります。


今はそこに住んでいなくても、いつでも自分の場所がある処・・・・それを「ふるさと」と
呼ぶのでしょうか。




日本の高齢化は、これから加速的にどんどん進むばかりでしょう。
今は限界集落なんて言葉で表している、老人過疎村も増えるばかりでしょう。
でも、いま私はおもうのですが、子育てを一つの地域でしっかり続けると、その子はいつか
そこに帰ってくる・・・

袰月の漁師の隣家の人のように、わが息子のように・・(しっかりしたかどうかは不明ですが・・笑)
現実には帰ってこれないかもしれないけれど、帰りたいという希望は持っていてくれる。
それだけでいいではありませんか?


厳密に考えると、ものの善し悪しは紙一重です。
でも、人は土地に還る。その土地は、やはり生まれ育った土がいい・・のではないでしょうか?

窓越しにベランダの雪を見ながら、そんな土地を持っているわが子たちや、亡夫がちょっと
うらやましくなりました。

そして、一度この「袰月」なんて名前を持った、彼の地に行ってみたくなりました。
もちろん、雪の洗礼を受ける前に・・です。
[PR]

by sala729 | 2011-02-11 22:46 | Comments(2)

最近、自分のことが知りたいという、ご相談が増えてきました。
職場で・・ご近所で・・・学校で、人が自分のこと、どう思っているか、それが知りたい。
そういうご相談です。

もともと、あったのはあったのです。
ただ今ほど、沢山ではありませんでした。
鬱病が「現代の風邪」なんて、揶揄されていた頃は、そういう悩みを負うことが
繊細な生き方・・みたいな捕らわれ方もあって、「デリケートな人」と、いう括りに
入れてしまうことが多かったのです。

しかし、昨今のこの相談の多さは、そんな簡単な括りで、消滅してしまうほど簡単では
ありません。
複雑な人間関係に嫌気のさした人は、出勤を拒否し、職場を放棄し、近所への目を伏せ
常におどおどと、振り返りながらしか、前に進めなくなるのです。

そしてそれにも行き詰ったら、他人が自分をどう見ているか、それが客観的に知りたくて
知りたくて、たまらなくなるようです。


この調査は、微妙です。

でも、それを知ることで、大抵の場合、本人さんは安心できます。
思ったほど、酷く思われてはいないということが判るからです。
結果のひとつひとつを、思い詰めて、悲観的に捕らえる方もいらっしゃいますが
そう思える方には、まず調査をお預かりするときに、そうではないことを
説明しておきます。

結果に対して、脚色することはできないし、創作することもありません。
ですから、あなたの思い通りの結果でないこともあるかもしれません。
でも、それはそれで落ち込むだけなら、なんの意味もないことで、そう思われているなら
ではどうするか?

そう考えるのでなくては、調査の甲斐も、意味もないこをお話しておきます。

人が自分をどう見ているのか、それはいつも、誰しも知りたいことだけれど、
結果を生かすも殺すも、当人次第ということを忘れてはなりません。



まことに余談ながら、私は「他人の目」を、気にするタイプではありません。
「人は人」と、割り切って生きていける方だと思っています。
でも、だからと言って、人の目無視して生きられるかと問われれば、それはそうでは
ないのです。

「他人の目」は、意識しなければならないと、私は思っています。
人からどう見られるか・・それは大事なことです。
それを知って、その上で自分の次を考える・・・そうてなくてはならないと
思っています。
他人の目を意識するからこそ、自制することができるのです。

・・・・・(身内の目も、ちょっと意識して・・と、つぶやくのは誰っ!?)


今日の、一人暮らしの彼は、大きな体を俯き加減に、とぼとぼと歩いていました。
家族も身寄りもなく、さびしい時間の漂うだけの自宅に帰り、これからの長い
長い時間を過ごすのかと思うと、ちよっと可哀想な気がします。


珍しく、そんな思いを抱きながら、帰る道は・・・明るい。
我が家へ帰る道は、明るい・・・そう思うと、なんだか家族が大切に
見えてくるものです。
(願わくば、一日でも二日でも、その思いが続いてくださいますように・・by家人)
[PR]

by sala729 | 2011-02-08 16:48 | Comments(0)

昨日、節分が終わったせいか今朝はなんだか、暖かく「春の訪れ」を、体感した
心地よい一日の始まり・・・・の、はずでした。

しかし、最近の我が家は(・・というよりも、私がと言い換えた方がよいのかも・・)
常に戦闘モードなので、一触即発の危機は四六時中という状況になっています。

私はもともと、他人には任せられない性質で、なんでも自分でやらないと気が済まない。
他人のやったことが気に入らなくて、後から手出しするくらいなら、初めっから
自分でやったほうが「まし」と、心得ている人間ですので、周りはさぞや
「えらい迷惑」と、思っているかもしれません。


しかも、今は家人も巻き込んでの、起業ですからその「殺気」たるや、生半可では
ありません。
事業パートナーとの、軋轢や、不信、行き違い、思い込み・・それらのすべてと
家人の担当する部門との、齟齬が日々、爆発しているといった状況が
現在の「我が家」です。


確かに、少し「気の毒」と、思いますが、私の気性は隠していたわけでもなんでもなく
「私は身内とは仕事はしない。」と、口癖のように言っているのは、家人も子供等も
よく知っているはずです。

他人のミスは許せても、身内のミスは許せないって・・ありますでしょ?
それを百も承知で、同じ稼業に身を置いたからには、私のすべてを受け入れて
貰わなければ、仕事も生活も成り立ちません。

ストレス溜まって、部屋中に物を投げ散らかしたこともありました(笑)
悪し様に、罵ったこともありました。
でも、それをここに告白するのは、私の多少の自省でもあるのです。

たとえ、理は我にあろうとも、諭して論ずるというのが「大人の姿勢」では
あったと、今はチョッピリ思います。

これから永遠の先のことは判らないけれども、私と家人は、たぶんこうして
ともに生きていくのかなと、思うこともあります。
その準備もしています。

でも、それがいつ覆るか判らない、不安と緊張・・・これもまた混在しているのも
確かです。




私は「確かなことはない。」というのが、持論ですから、今が永遠に続くなんて
思ったことは一度もありません。
そして、変化の中で、どう選択するかとか、泳ぎきるかとか、捨てるか、拾うかとか
そういうことを、繰り返しながら、振り返って「今がシアワセ」と、思って生きていたい
のですね。

今のところ、私は確かに「今が一番幸せです」あの頃に戻りたいなんて、思ったことは
ありません。
そういう番組は好きですけれど(笑)

そして、この「今が一番幸せ」を、キープし続けるために、私の今日と明日はあると
思っていますから、そんな私を、パートナーに選んだ家人には、

どんなに辛くとも、悲しくとも、切なくとも、理不尽であったとしても、それは
自分の中で受け止めて欲しいと思いますし、そうでないなら、その覚悟がないなら
私とは暮らせないでしょう(笑)


私は決して、控えめな人間ではありませんから、仕事上で、事業パートナーとも
これから何度も、衝突も、猜疑合いもあるでしょうが、これは私が受け止めます。

だから、私が投げた健康器具が、床を凹ましたり、ボールペンがあなたの二の腕に
ミミズバレをつくったりしたくらいで、ぶつぶつ言うのはやめなさい。

私が本気になれば、返す言葉は百でも二百でも出てきます。
そうなったら、引くのはあなたですよ(ふっふふ)


私は自分の選択に、絶対の自信を持っているって言ったでしょ。(大笑)
[PR]

by sala729 | 2011-02-04 12:48 | Comments(2)