ぼんやりとした灯りが遠くから、フラフラと近寄ってきました。
橋を渡りきった土手沿いの細道に、ぬっと現れた千賀子さんの手には古びた懐中電灯が。

真っ暗な土手の道を下りきって、板を二枚並べただけの簡易橋を足元のおぼつかない
懐中電灯の明かりだけを頼りに渡りきると、蔦と雑木林に囲まれた、千賀子さんのお宅に
たどりつきました。

かろうじて「中原」と読める、表札を横目に立て付けのよくない引き戸を開けると、
夫の中原昭二さんはすでに玄関脇の小部屋に待っていてくださいました。
相談員は、ひととおり会社と自分の紹介を終えると、本題に入ります。

この中原家の長男、一志さんが一人で暮らすアパートからいなくなってもう三ヶ月だそう
です。
一志さんは、某国立大学を卒業して、学習教材販売会社に新卒入社しました。
そこでの過酷な新入社員時代をようやくこなし、一人前になったとたん、貸金業法の改正
などで、個人ローンがなかなか成立しない時代に入り、彼の会社のような、高額の学習教材は
売れなくなりました。


もともと、教師志望の彼には、営業職は天職とはいえないまでも、教育に携わるという
意味で自分で選んだ職でした。
それを、両親になんの相談もなく、辞めてしまったのが一年前。
転勤さきから、戻ったものの、地元ではいやだと、離れたこの街に居を定めたのでした。

しかし、それからの彼は抜け殻です。
失業保険などはあっという間に、終わります。わずかの退職金と預貯金は羽が生えたように
なくなっていきました。

もちろん昭二さんも千賀子さんも、黙って見過ごしていたわけではありません。
男の子だからと、接触を控えようとする昭二さんを説得して、千賀子さんは何回も、
一志さんを訪ねています。
でも、そのたび、一志さんは迷惑げな声で「急にくるなよ。」と、入室を拒むのです。
それでも、少しのお小遣いと差し入れがあるんだけどと言うと、1、2分待たされて、部屋に
入れられます。


もともと、几帳面な性格ですから、部屋はいつもきちんと整理整頓されています。
そこで、2、3万のお金と、食べ物を差し入れて千賀子さんと一志さんは帰る・・
そんなことがこの一年に数回あったそうです。
そしてそれ以外にも、実家に帰ることは何度かあり、そのたびに昭二さんとは仕事の話を
していたそうです。

初めは静観していた昭二さんも失業歴が一年近くなるとさすがに、父として黙っては
いられなくなったのでしょう。
「この、電気店はどうや?」
「オレに販売員しろいうんか?」
「こっちの機械組み立ては?」
「おんなじことの繰り返しやろ?」
「そしたら・・・」
「もう、ええわいっ。仕事やら、自分で探しとる。親父になんかオレの気持ちが
 判るんかい?」

こんな会話の繰り返しです。
一志さんは、同世代の近所の子たちの中でも、一番の高学歴です。
来年は30才になろうかというこの世代。高卒の子もそれなりのキャリアを積んで、
仕事の一線に出ている子もいます。
肩書きが付いている子もいます。
そういう彼らに混じって、一志さんは働きたくはないのでしょうと、昭二さんも千賀子さんも思って
いました。


そんな中で、昭二さんの父親が亡くなり、葬儀には当然、一志さんも呼び戻されました。
田舎の葬儀です。運悪く友引も重なり、三日がかりの長い、長いセレモニーです。

昭二さんは長男ではないとはいえ、自分の親の葬儀ですから、三日間は仕事も休み老若の
親戚のお付き合いを余儀なくされていました。
もちろん、一志さんのことも話題になります。

親戚の年寄りというのは、本当にお節介なものです。高学歴の一志が、いつまでもフラフラ
しとるのは、親が悪いけんじゃと、長々とお説教をされ、千賀子さん共々、あっちで
ペコペコ。こっちでハイハイという日が続いていました。

そしてそれは、もちろん三日目にして参加した一志さんにも向けられました。

「お前はなぁ、いつまでもフラフラしとっちゃいかんぞ。じいさんもお前のことば、
心配して、心配して、頭痛めとった。」

・・・・ふん。嘘言うな。じいさんはもうボケとってオレのことなんて判らんかったよ。


「学歴があるから言うて、偉そうにしとったらいかんぞ。実るほど頭を垂れるちゅう
こともあるやろ?。ほんまに頭のええ人間は、そんなそぶり見せたらいかん。」

・・・・この叔父は自分が中卒やから言うていつも、こんなことばっかり言いよる。
学歴コンプレックスなら、そう言えよ。


「お前は、ほら、あの、あの、なんやったかの・・おぉ、あの、引きこもりとかに
なっとんやないか?銭もないのに、仕事もせんで、そりゃ人間の屑ぜ。うちの洋介たら
頭はほんまに悪かったけんど、いまは主任やからな。嫁ももろうて、来年は父親じゃ。
お前もがんばらんかいっ。」

・・・・息子の自慢かよ。中学時代、オレがどんだけ洋介に勉強教えてやったと
思うとるんや。アホ息子の親はやっぱりアホ親やな。



ひとつ、ひとつ心の中で反論するにしても、集まった何十人もの親戚たちから次々と
こんな言葉を浴びせられたら、それはいやにもなるでしょう。針の筵でしょう。
現に、一志さんは途中から、葬儀の席を退出して、また物議を醸し出しました。

そうなると、今度の非難の矢は昭二さんと千賀子さんに向けられます。
特に、千賀子さんは、嫁として、母としての資質まで否定され、葬儀のあとしばらく
寝付いてしまったと言います。

世間の人はうるさいものです。でも、他人は家の中まで入ってきて、ずけずけとは
言いません。
しかし、親戚というのは、やっかいな瘡蓋を無遠慮に剥がしたり、堅く閉じられた扉を
無理やり引き開けたりします。
そしてそれのことに、なんの痛痒も感じないことが多いのです。

しかも、葬儀というセレモニーは、これから49日の間、毎週本家に集まって、仏事を
しなければなりません。否応なしにその時はまたこの親戚たちと顔を合わせ、その
おおきなお世話を一身に受けなくてはなりません。


それらに疲れ果てた頃、一志さんのアパートの大家さんから、今月分のお家賃が未納と
連絡が入ったのです。

あわてて駆けつけると、部屋は相変わらず綺麗に整頓されています。
そして、そこで初めて、電気もガスも携帯も止められていることが判りました。
(水道はお家賃に含まれています)

千賀子さんは全身から力が抜けるようでした。
家具らしいものの何もない部屋の窓辺に、小さな水槽とその中に泳いでいる熱帯魚だけが
現実のもののように思えました。

それから三ヶ月。
一志はちよっと出ているだけで、すぐに帰ってくると言い張る昭二さんの意見で、お家賃は
親が払い続けると大家さんにお願いしていままですごしました。

しかし、何も進展も変化もありません。
そこで思い余ってのご相談ということになったのです。



実直な職人さんである昭二さんは言います。
「あいつは、プライドが高かったから、ここには帰れんかった。どんな仕事にも就けん
かった。あいつは、先生、先生と呼ばれる仕事がしたかったんや。」


ここで言う言葉は、溢れるほどあります。
でも、子供に家出をされ途方にくれる親の前に投げかける非難の声を私は持ちません。

うるさい親戚の容赦ない言葉のせいであっても、仕事のみつからないあせりであっても
それは彼が帰れば話せることなのです。
今は、一刻も早く、一志さんを見つけるだけです。
それが、私達の使命です。

そして、そのあと、彼の生き方やこれからを、一緒に探っていくのが親の使命です。
ぶっかっても、はじかれても、彼はここで生まれて、ここで育って自分という
人間を作ったのです。
そこから始まらなければ、彼自身の使命は果たされません。

残暑の日々はまだ続くようですが、昭二さんと千賀子さんの悔恨の日々はいつまで
続くことなのでしょう。

親はいつまでたっても親です。。。
[PR]

by sala729 | 2010-08-31 10:59 | Comments(0)

夏休み、最後の日曜日はどうすごそうか?
この歳になりますと、それは自分の頃の思い出ではなく、子供達がまだ小学生や幼かった
頃の思い出になってしまうことが、なぜか悔しい・・思い出も世代交代か??

前日に友人が自分で行って確かめてきた情報によると(もしも、ガセネタなんかだったら
どんな目にあうか知ってる友たちは迂闊なことは言いません。必ず自分たちで確かめてから
情報をくれますので、公安警察やFBIより、よっぽど確かです(なんとまた、オーバーな
・・・と、家人)


県境にある温泉付きの「道の駅」に、高原スイカがいまを盛りと転げまわっているとか・・
これは、行かねばなりませぬ。
なにしろ、この季節、ご飯よりも、スイカの私が、こんな貴重情報を見逃すことはできません。
子供時代に、朝・昼・夜とスイカを食べ漁って、なおも花火のあとまで手を出そうとして
いたという逸話を、母が子供にまで披露して、大笑いされた私です。
筋金入りの「スイカ狂」です。


狭い土地柄とはいえ、県境に向かうと、山は急峻でくねくねとのたうつ道は、向こうが
見えません。
私も家人も、どちらかと言えば、こういう山道走行は苦手です。

山肌には盛りをすぎたテッポウユリが、ところどころ群生して、山はどんどん深く
なって行きます。
小一時間ほど走って、目的の道の駅に到着です。
友からはあさ9時には着かないともうないよと、脅されてはいたのですが、日曜日の朝
なんでそんなに早く、起きられましょう・・・
到着したのは11時すぎ・・(--:)

それでも、産直品を並べる建物に行くと・・ありましたっ!!
子供の頭・・なんてもんじゃない。
森鴎外か正岡子規の頭ぐらいの大きさの・・し、失礼しました。明治の大文豪と俳聖を
スイカの大きさを比べるために使うなんて・・・私はあまりに失礼千万でございます。

でも、それくらいの大きさのスイカがごろり。そしてそれよりやや小さめが二つほど
ゴロゴロ。そして、さらに小さめが三つゴロゴロゴロ。。。


お店の方にお聞きすると、このスイカは大きいのから売れていくのだそうです。
今、スーパーや果物屋さんに並べられているのは、山形産や青森産ですが、ここは
そことおなじ時期が売れ時です。さらに一週間ほどしたら、もう少し奥の隣県をまたいだ
ところのものが出ます。

うーん・・さらに奥地のものも、あったのですね。。。知らなかった・・

迷わず、森鴎外さまを抱きかかえようとすると、家人が「ストップ!」
「あのさ、こっちにしない?」と、指差すのはナンバー2の大きさ。
なんであなたはそうなのよ???
一番大きい。一番美味しい。一番端っこ。一番小さい・・・

私はなんでも、一番何々・・が好きなのです。
なのに・・家人は何事も中途半端・・ええいっ”!!じれったいと思ったことが何度あった
ことか・・・(怒)



ところが、今回はあの森鴎外さまをひっくり返すと「ほら、これみてごらんよ。ここ。
薄茶にやけてるよ。ね。折角ここまできたのに、綺麗なほうがいいんじゃない?」

そう言われてみれば、一見「ふ」のように見える薄茶の禿げは気になります。
包丁いれて、ぐすぐずと崩れたら・・・それもいやだっ!!


しかし、この物産市、なかなか面白いです。
この地の特産品の「たまねぎ」は、もちろん買って帰ってこの夜のカレーにたっぷり
入れましたが、その美味しいこと。淡路の方には申し訳ないですが、決して負けず劣らずの
黄金たまねぎでした。
きゅうりやナスはもちろん産直ですが、なぜかそれらにまじってメキシコ産のハバネロ。
マレーシア産のパパイヤ・・・なんでこんなものが、糠漬けや芥子漬に混じって売ってるの?

ここいらでは「ポン菓子」と呼んでいる、パットライスの変形の「パット黒豆」
輸入・国産どちらでも・・と、妙に挑戦的な蜂蜜。
裏山の樫の木を切り倒してくり貫いたような工芸品。
かき餅揚げから、お赤飯、お餅、鯛の三杯酢・・そして極めつけは「猪肉」

まぁ、おもちゃ箱ひっくり返したような品揃えに、楽しい時間をすごしました。


ここは、古くから「湯治場」として隠れ里のような処でしたから、鄙びた温泉宿でもある
のですが、宿自体はもう古いのしか残っておらず、道の駅に便乗して作られた
共同温泉が、真新しいヒノキの香り一杯に、湯治客を迎えてくれました。

私達は用意もしていなかったので今回はパスしましたが、家族連れや、案外うら若い
お嬢さんのグループが何組か出たり入ったりしていたのを、うらやましげな視線で
追いかけていた私の連れのおぢさんは・・・アホ


隣接のレストランの、お蕎麦は隣町がお蕎麦の名産地域なだけに、うーんと唸るほど
美味しいです。添えられた、こんにゃくのお刺身や、山菜の味噌和えも、一味ちがい
ます。


で、ほいほいと喜んで帰ったら、娘から「昨日、直販所で、梨とピオーネ買ったから
持ってくわ。」と、連絡が入り、こちらも「スイカ切ったら半分あげる」と、物々交換。
レートは私に非常に不利なんですけど・・・。


こうして、今我が家には、梨とピオーネ。桃とスイカ。とうもろこし(ピュアホワイト)
が、あっちをゴロゴロ、こっちをゴロゴロ・・状態になっているのです。



夕方、久しぶりに来訪があった友人夫妻に、ちびギャングは、なんとか自己紹介を
こなし、友人に「おばちゃんに抱っこさせて」と、いう申し出には応え、なかなかの
社交ぶりに、いや満足、満足・・
しかし、友よ・・・あなたはもう「おばちゃん」ではないのだよ。
いや、おばちゃんでもいいけど、「おばーちゃん」と、呼ばれても、決して落ち込まぬ
ように・・(笑)



そしていつもと変わらぬ日曜日の夜は更けて、白みかけた空の下で新聞屋さんの
吐息が聞こえるような、そんな時間のことです。
私の枕元の携帯がね激しく鳴り響きます。

私  「はい。ご相談ですか?」

仕事の相談電話は24時間受け付けていますから、真夜中でも電話はかかります。
その多くが、酔っ払い電話やH電話、○○ガイ電話などですが、鳴れば出ないわけには
いきません。

私  「はい。ご相談ですか?」
相  「そ、そーです。こんな時間にすみません。朝、かけ直しましょうか?」

ここまでは、常識ある人かな・・と、淡い期待も持ちました。

私  「いえ。ご相談でしたらいいですよ。このままお話ください。」

相  「すみません。あの、ボク、ストーカー被害にあっとるんですよ。それも、男の。」

私  「はい?。あなたが男性からのストーカーあっている?。あなたは男性なのに?」

相  「そうです。サイトで知り合ったやつがボクのこと、女と思っていろいろちょっかい
    だしやがるんですわ。それをほっといたら、ボクのこと、アホやの死ねやのと
    そのサイトで・・・」

私  「あら、それはひどいわね。警察には相談しましたか?」

相  「そりゃしましたよ。そしたら、探偵さんとこに行け。そっちが早いといわれました。」


警察って、往々にして手間のかかりそうな相談者をこんな風にだまくらかして、帰えすん
ですよね。。。。  

相  「携帯番号判りますよ。名前は判らんけど。相手は芦屋生まれの神戸育ちなんや
   そうです。185センチで、78キロ。空手の有段者なんですよ。」

私  「それは相手が言ったことですよね?すべて自称??」

相  「そ、そーですけど、間違いありませんよ。ボクなんども罠にかけてますし・・」

私  「罠って・・」

相  「で、携帯番号わかってるんですけど、いくらかかるんですか?」

私  「それはお逢いしてお見積もりをお出しすることになります。」

相  「ええっっっ。なんで?なんで逢わないといけないだよぉ。オレはいくらかかるか
    知りたいだけだよっ。」

だんだん、壊れてきたか・・・


私  「ですから、それにはお逢いしてお見積もりをお出ししないと今はわからないんです。」

相  「おうっ。それなら今から逢ってくれ。」

今からって3時半だよ。・・・・・電話の向こうで、のどの鳴る音がします。
どうやら、お酒を片手の電話らしい気配がビシバシと伝わってきます。

相  「オレはよぉ、今からお前んとこ、儲けさせてやろうと思うとるわけよ。それを
    なんじゃあぁぁ。できんというのか??お前のところはぁぁぁ。」

私  「できませんね。このままでは。お逢いしないと話が続きません。」

相  「やかましいわぃ。相談電話無料と買いとるやないかっ。」

私  「無料ですよ。現にあなたはフリーダイヤルでかけてこられている訳ですし、
   なにひとつ、経済的負担はおかけしていない思います。


相  「おーそうか。できんというのやな。」



こんな謂れのない会話を30分。そして切ってはかかりで一時間半。
はい、びっちり遊ばせていただきました

・・・・ストーカーはあんたでしょっ!!!・・・・・・・・・・・・・








いますよ。こんなヤツ。
一年に何回かは、こんな夜中の酔っ払い電話には、悩まされます

こんなやからは必ず、途中でキレて、しかもある程度は話をきいてあげねば、何度も何度も
電話をかけてきます。
しかも、フリーダイヤルで(笑)

そうは知っていても、それともどうしようもないのか、それでも対応、間違えるんですよね。
今朝方も、あれやこれやで、電話は12回。
罵詈雑言の悉くを吐き散らかして、彼は電話を終えました。


やれやれ・・・折角の8月の最終日曜日にとどめが、これか・・・・

それにしても、酔っ払いぱいのパワーや恐るべし・・です。





















 
[PR]

by sala729 | 2010-08-30 10:38 | Comments(2)

昨日、今日は秋の気配を少しだけ届けてくれるような、そんな夜をすごしています。

のんびりと、息子が送ってくれた千葉の国産「チーズピーナッツ」をお供に、私はコーラ、
家人はオールドパーを片手に(田中角栄さんはこれ飲みすぎて頭の血管ぶちきれちゃった
んだからせいぜい飲みすぎないようにと、きつーい警告を残して息子は東京に帰って
いきましたけどね・・笑)秋の夜長の入り口を楽しんでおります。


昨夜は今、NHKの衛星2でやっています「文豪の描く怪談」・・ちょっとタイトル微妙
ですが・・・
その中の三話目。芥川龍之介氏の「鼻」をやっていました。
ちなみに一話目は川端康成氏の「片腕」
二話目は、見ていません。

「鼻」は、ご存知のとおり、あまり怪談というイメージはありません。
むしろ、滑稽と哀しさが織り交ぜになって、怖いという気がしたことはなかったのです。
それを、韓国人監督の(日本育ちでしょうか?とても流暢な日本語の若い監督さんでした)
切り口で、怪談仕立てにしている・・・というのが「売り」であったのでしょうが・・・

こんなに有名な話を、無理やり自分の解釈の中で見せようとするには、相当の技量と
才能が必要です。しかも、自分とは国柄を同じくしていない人たちに、それを
解釈してもらうには、自国の作品以上の理解と許容がなくては難しいと思います。

私は、はっきり言って、この作品、何も面白くなかった。
ただ、異形の僧を村人たちが、取り囲んで、小突きまわして、蔑んでいるだけにしか
見えないのです。
これは、怪談でもなんでもありません。
僧の苦悩も、異形の悲しみも苦しみも、何も伝わってこず、ただ古人の異形なるものへの
排他が醜く描かれているだけです。

文豪の・・の、タイトルに冠している割には、なんだか損したようなそんな時間が
すぎました。
四夜連続となっていましたから、今夜もあると思います。私の偏見と思われる
方はぜひご覧になって見てください。そして、私に作品の見方を教えてください。
私は、どれも録画していますので、改めて鑑賞することは可能です。



なんて、斜に構えていましたら、古い友人から電話が入りました。
もう、何十年の付き合いの友人グループの一人の娘が結婚したとかで、おめでたいと
言う話からはじまって、現在の心境・・・
私達の世代は微妙です。


彼女は、実の両親の介護をもう一年以上引き受けています。
母は痴呆が入り、父親は老人性のうつ病に罹患しているので、両親の介護が必要です。
父の代からの商家である実家近くには、親戚の家も多く、その分「子供介護が当たり前」と
いう目に見えぬ圧力がひしひしと感じられる日本のどこにでもある田舎です。
弟は実家の隣に居を構え、娘たちは大学進学で家を離れています。
弟嫁は教員をしており、嫁の実父も寝たきり生活をずっと続けています。
そんな親の介護に帰してもやれないのに、うちの親のこと見てくれとは言えないと、彼女は
弟と交代で親につきっきりです。

こんな状況なのに、介護認定は3。当然施設入居は順番待ちです。

「親が早くに死んだらそれは不幸で哀しいことだけど、長生きするってことは、こうなる
ことだから、これもこれで、哀しいわよね。」
彼女のこの一言が、私の中を右往左往しています。

彼女の言葉は、子供の本質を貫いています。
私の両親は、母は13年前に、父は二年前に亡くなりました。
一人っ子の私は、子供以外にはもう直系血族はおりません。
でも、その私よりも、いま父と母のいる彼女のほうが、ずっと可哀そうに思えるのは
私が非情だからでしょうか?



彼女は決してこの介護をやめたいとか、いやだとかは言ったことがありません。
自分の体調がどんなに悪くなっても、夫婦間が微妙にきまづくなっても・・・です。

親子には親子にしか判らない、さまざまな葛藤があります。
それは、誰に話しても、判ってもらえるわけではなく、自分だけが、親だけがしか
判りえないものです。
そんな中に入り込もうなんて、そんな不遜な気持ちはもうとうありませんが、一度
「もう少し手を抜いてみたら?」と、言ったことがあります。
そのとき、彼女は、うんでもいいえでもなく、ただ黙ってどちらとも取れる微笑を
返しただけでした。

それで、その話は終わりました。
私には入れない世界です。
私には、どうのこうのという資格のない世界です。


私にできることは、彼女がひととき、そのことから離れたときに、いつもの私のように
つまらないバカ話で今のこの時間だけを楽しめるようにと・・・それだけです。

厳しい現実の世界に戻り行く友に、かけてあげられる言葉はありません。
ただ、見守るだけなのです。
私が、そうしてもらったように・・・
[PR]

by sala729 | 2010-08-27 15:58 | Comments(0)

昨夜、浅田次郎氏の最新作「終わらざる夏」を読み終えました。
今年は、敗戦後65年目という節目からなのか、最近になく太平洋戦争に関したドラマや
新刊本・映画が目に付くような気がします。



浅田次郎氏の戦争作品には「日輪の遺産」という秀作がありますが(私はこの本で浅田氏の
本を読み始めるようになりました)聞くところによれば、これも映画化されるとかで、
楽しみではあります。

浅田次郎氏というのは、不思議な作家で、「キンピカ」や「プリズンホテル」なんて、
かつての、つかこうへい氏の作品をもっとコミカルに料理したような作品があるかと
思えば、「鉄道員」とか「地下鉄に乗って」や「異人たちの夏」のように、ちょっと
妖しくてヒューマンで、普通の感覚を持った人間ならホロリとくるような(残念ながら
私は普通の人間ではなさそうです)叙情的な作品。

それから、「蒼穹の昴」や「壬生義士殿」「日輪の遺産」などの時代と歴史をひとつの
流れにして絵巻物のように繰り広げる作品など、その守備範囲の広さには敬意を払いつつ
どうも、私的にはこの三番目のジャンルが一番自分好みではあると思っています。


もちろん、今回の作品もこの三番目に入るのですが、正直言って読後感は、「うん。
そうか。」・・・・・・
とても判りやすく張り巡らされた、伏線は予定調和のように、収まるところに収まるし
これは、浅田氏の今までの、小説家としての技法の集大成?と、思って読んでいくと、
また違った面白さはあります。

テーマは、終戦を軸に、通訳要員として応召される44才の翻訳家とその家族。教師。
大本営からの動員要請に、村人の一人一人の中から、応召対象者を選ぶ連隊の兵事係。
退役軍人から、召集兵までの各々の軍人。教師。女学生。そしてロシア人からドイツ人
まで出てきます。
そして、この物語には誰も悪い人は出てきません。ロシア首脳部は別ですが、回想でしか
登場しませんので・・
それぞれが立場に苦しむ人であり善人であり、正義の人であるのですが、そうは生きられない
矛盾がここには凝縮されています。


とてもいい作品だとは思います。人間味に満ちています。でも、これは綺麗すぎるし、正義
すぎると私は思います。
確かに、物語です。正義や倫理は人にはなくてはならないもので、この時代にそれを胸に
押し抱いて生きる人たちは、まぶしくも輝かしくもあります。

でも・・・
私達は、もう戦争の現実をいろいろな資料や物で知ってしまっているのです。
そういう私たちが、この本を読み終えると、とても爽やかな読後感と一緒に「御伽噺」
みたいな、そんな違和感が残るのです。



くしくも、今WOWOWで「パシフィック」という、トム・ハンクスと、スピルバーグ監督が
監修しているドラマがあります。
観ていらっしゃる方も多いと思いますが、太平洋戦争をアメリカ海兵隊側から見たドラマです。
これは、とてもリアルです。映像はもちろんですが、会話も、人間関係も社会の背景も
そのままに撮っています。
ドラマの冒頭で、トム・ハンクスがこう言っていました。
「我々は戦争ドラマを作ったのではない。彼らがこの戦争をどう戦い、どう生き抜いたかを
ありのままに映しているだけだ。」と・・・・
実在の海兵隊員三人がメインのこの戦争映画は、思わず息を飲むシーンや、目を逸らしたく
なるシーンに溢れています。
でも、これが現実であるということは、肌に伝わってきます。
小細工も、飾り気もない「真実」
これは、圧倒的な力で、その場に私を釘付けにします。


そんな作品を毎週見ている私には、この浅田氏の作品は物足りない。
「戦争ロマネスク」かと・・・・


もっとも、何事につけ、ひとつのものを同じ方向から見て判断するのは愚か者の選択と
常々高言しております私ですから、いろんなものを読むことは、悪いこととは思いません。

ただ誰かに、この本のお奨め処を尋ねられたら、今ならきっと「パシフィクと、同時に
読んでみたら?」と、付け加えるでしょうね。



本は面白いです。自分の世界もそうですが、次元を越えた世界とも繋がれるますし
自分の中に入り込んでいくことも可能です。

私は、決して本屋さんの回し者ではありません(笑)が、今この自由に自分の好きな本が
読める環境に心から感謝しています。
[PR]

by sala729 | 2010-08-24 11:07 | Comments(0)

もうすでに放映済みですから、見られた方も多いかと思いますが、私は昨夜、ようやく
全編見終わりました。なにって??

「スターウォーズ」です。
言わずと知れた、30年近い年月を費やして、エピソード1から6までを製作して
そのたびに世界中にファンを増殖させ、続く近未来映画に影響を与えてきた作品であると
私は思っています。

などと、偉そうに述べておりますが、実は私、エピソード4から6までは、亡夫の
お付き合い程度の鑑賞でしたから、殆ど記憶に残っておりませんでした。
ですから、今年の夏のWOWOW企画で、全編一挙放送と知ったときは、欠けた記憶の
ピースを嵌め込む・・ぐらいの気持ちでしたが、なんのなんの・・すっかり綺麗に
忘れていて(というより、たぶん最初から覚えていなくてというほうが正しいような気
がします。)新しい発見がポロポロでした。



その最たるものは、ご存知のように、この映画、エピソード1から製作されたもの
ではありません。
エピソード4から始まっていくというかなり変則的な順番で、当時はなんでこんな
ややこしいことを・・と、思ったものでしたが、今回1から順番に見て、やっと
その意図が判りました。

・・・・・ファンの方にはもう遅いっ!とか、今頃気づいたかとか嘲笑されそうですが
まぁ、聞いてください。



エピソード1から3までは、2000年に入ってから作られています。
一番目公開の4は1977年の作品です。
これ、続けて見て思ったのですが、エピソード1から3までは、共和国の豊かな文明と
洗練された社会の中で、みなが文化的で快適な生活を送っているのです。
もちろん辺境の地はありますし、異種人種はわんさか出てきますが、それでも
とても文化的な空中都市とその生活が、今の時代でも十分に未来的に描かれています。
その、文化的共和国が、帝国のために徹底的に粉砕され、志ある者が流されていくのが
未開の辺境の地です。
そこからがエピソード4の始まりです。


そうなんです。だからもともと、この映画は壮大な叙事詩として全編の骨子ができ
あがっているので、より近い近未来都市は、新しい時代に描くほうが現実的です。
30年かかって、1始まって、2000年に入ってあの1970年、80年の今から見たら
黴臭い近未来を見せられるよりは、ずっと効果的ですよね。

その製作者の意図が、今になってやっと判りました。
私の亡夫はこの手の映画が大好きで、もちろん公開のたびに、足を運んでいましたが、
残念なことに、半分は見ないで逝きました。
折角のこの機会に、私も改めて見たことですし、先で私が逝ったら、私がお話して
あげましょう(笑)・・・いらんと言うかもしれませんが、こう言っちゃなんですが
浜村淳さんとは、いくら厚かましい私でも言えませんが、私映画や小説のストーリー解説
なかなか上手ですよ。というか、評判いいんですよ。(・・さすがに自分で言って照れます)


でも、今回見てよーく判りました。
作り方の手法も新しいけれど、このあとに続く映画が、どれだけこの映画の影響を受けた
ことか・・・
インディジョーンズは言うに及ばず、あの、アバターだって、どうみてもここからアイデア
取ったのね?ってシーンは数々でしたよね。
キャメロン監督は、「もののけ姫」にオマージュだの、歌舞伎の手法だのと言っていますが
これって逆でしょ?
もっと以前に、ジョージルーカス氏は、黒澤明監督の影響受けてると言ってますし、
キャメロン氏が、ルーカス氏の影響受けないはずはありませんよね。


確かに、初め頃の放映分は、「子供だまし」的な要素はたっぷりでしたけど、以降
どんどんよくなっていく映画なんて、なかなかありませんよ。
パート2で、前作よりよかったというのは、エイリアン2しか、私は知りません。
それが、スターウォーズに関しては、どんどん進化して、よくなっているのですよね。

先人の苦労と努力が偲ばれますが、なかなかに楽しい6夜でした。


なーんて、今日はちよっと、映画解説者の気分でした。(笑)
[PR]

by sala729 | 2010-08-20 10:59 | Comments(4)

まだまだ、厳しいこの暑さは続くようで、ぢりぢりと皮膚の焼けるような音が耳元で
聞こえるような、そんな毎日です。

そして、その暑さと平行したかのように、熱中症の死者や、海山の遭難者の数は増えゆく
ばかりで、自然の脅威というものを実感せざるを得ない状況になっています。
そして、私のまわりにも・・・



先日、私達が楽しんだ「柏島」を、熱く語って薦めたのが、私の従姉妹夫婦です。

話が長くなるので、夫をハサミと呼びます。(美容師ですから・・)
従姉妹をモトネと呼びます。彼女は子供時代、とても無口でネクラ少女でした。口数も少なく、将来を
心配したものでしたが、今では美容師というよりも、手より口が物言う立派な(?)経営者に
なりました・・(ふ、ふふっ・・)
それで、元はネクラを縮めて「モトネ」と・・。
なんだか、怪談の主人公みたいな、ネーミングではあります。許せ、従姉妹よ。他意はないっ。


夫婦は、ハサミの友人家族と一緒に日曜日の夜中に出発しました。
そもそもは、この友人家族のお誘いで、昨年柏島に行ったのが、ものの始まりですから、
友人たちは少なくとも、今回で三回目以上ではあるはずなのです。


私達にリサーチしていた彼らは朝の8時には柏島に到着しました。
双方とも、子供は二人ですが、一番下が中学二年ですから、手のかかるのはおりません。
それぞれに、シュノーケルをつけて、漂っています。

たまたま、運が悪かったのは、この前日に台風が日本列島を通り過ぎていたので透明度が
通常よりも低かったということはあります。
これも、日頃の行い・・ではありますが(笑)

ハサミは体力に物言わせ、柏島大橋の橋桁近くを素潜りを繰り返していましたが、
知らず知らず、綺麗な魚たちを追って、奥深く潜っていったようです。
そして、もう少し・・と、ひと掻きしたとき、耳の奥でばぁ~んという音が・・・
しまった!・・・と、思ったときは既に遅く、ハサミの片方の耳の鼓膜は、綺麗に
木っ端微塵になっていたとのことです。

しかし、やっと休みの都合つけてきた夫婦です。
そんなことぐらいには負けません。・・・って、これって勝ち負け????
モトネは泳げない自分の身も厭わず、なんと救命胴衣を装着して、シュノーケルという
いでたち・・。

「ねーちゃん、それ、どーやったら下が見れるの??」と、娘は呆れ、私はその姿を
想像し、家人は同情し、そして三人で笑い転げました。

そんな中で、ハサミは友人夫に「あの橋桁の付近は、やっぱり魚多いよ。綺麗だし。」と
自分の耳のことも省みず、薦めまくると、もともとキライではないのでしょう。
その友人夫も、言葉を鵜呑みにして、じゃあ、行ってくると、身を翻していきました。

そして、それぞれがまた自分の世界に戻り、ふと気づいたとき、その友人夫がいない
ことに気づきました。
「あれ?まだ帰ってないの?」


さすがに暢気な、ハサミもちょっと不安になりました。
浜辺から、橋桁付近は目視もできるのですが、どう見ても、友人夫らしい人影は見えません。
「ちょっと見てくる」と、付近まで行きましたが、その姿がありません。


えぇぇっっ・・・・
これは一大事かも・・と、手分けして捜していると、モトネも救命胴衣のまま、捜した
ことでしょう。。。。


すると、橋からだいぶ離れた、かなりの沖合いで、救命ブイに必死で捕まっている友人夫の
姿を見つけました。

「どーしたのよ?こんなところまで?」
どこまでも、慌てないハサミです。

「いや、泳いでいたら、どんどん流されて・・そ、それでやっとこれに・・・」
友人夫は息も絶え絶えです。

「ま、よかったけど、一緒に泳いで帰ろうか?」
「い、いや・・もう、手足が、動けん。・・」

「ええっ!・・・そうなん?」
そうなん?って、動けないって言ってるでしょうに・・・ホントに慌てないヤツめ。。。


そこで近くを通るボートにお願いして、友人夫を乗せてもらい、浜辺に連れ帰りました。
しかし、友人夫はそこでもやはり手足が動かないと言い、体の自由が利かないと訴えます。
そこで、はじめてハサミは
「溺れたんだ。」と、気づきました。・・・遅いっ。早く気づけよっ。。。





まずは、救急車と119番をお願いし、島に一軒だけある診療所に運ばれました。

意識はありますから、経緯は自分で説明します。この頃には、友人夫も大分落ち着いた
ようで、喋る言葉に遺漏はないようです。

「うーん。水が肺にだいぶ入っちょるね。」
もう老境といえる医師が、聴診器を当てながら、ぶつぶつと独り言のように言います。
ポンポンと、手のひらを聴診器のように、友人夫の胸に当てて、叩いては、首を捻ります。

「うーん。判らん。わしじゃ無理じゃ。救急ヘリ呼んで、大阪に運ぼう。」

えぇぇぇっ・・(何回目のええぇぇ????)



驚いたのは、溺れた当の本人です。
確かに死ぬ思いではありましたが、時間が経つにつれて、気持ちも落ち着いてきましたし、
何より、意識はずっとはっきりしていますから、救急車も恥ずかしい思いで、診療所で
手当てを受けたら、すぐに帰れると思い込んでいました。


それが、へり搬送だなんて・・・
た、確かテレビでみた時には、搬送される人はみんな重症患者で、山下クンが冷静な
顔して酸素マスクなんかつけたりして・・・
あぁぁぁ・・・・・友人夫の頭の中は、ここにきて始めて真っ白になりました。




「長いこと、搬送しとらんから、手続き忘れた。ちよっと調べてくる。」と、老医師は
ぶつぶつと治療室を出て行きました。
・・・・・・・手続き忘れたぁぁ???・・・ち、ちよっと待てっ!
ヘリ搬送ってのは、緊急を要するときにするんじゃないのかぁ???
それなのに、忘れた?調べてくるって、それじゃ、間に合わんだろうっ!!!
ホントのときは・・・・(苦悩)


「お、おいっ。ハ、ハサミ・・あの医者、藪っぽくないか?」
「そんなことないよ。命助けてもらって、藪ってのはひどいんじゃない?」
「だって、オレ、オレもう元気だよ。それなのに、救命ヘリって・・それに、要請手続き
 忘れたって、そんなのアリ??」

「そういえば、そうよね。山下クンみたいなカッコイイ救命医が来て、ささっとヘリに
 乗せるのよね。それなのに、来ないし・・」と、モトネ。
「そうよね。どうせなら、山下クンみたいのが来てくれたら・・あぁぁ、あたし、
 どーしょう??化粧落ちてるし。。」と、友人妻。



どうしょうって、あなたの夫のことなんですけど・・・
それに、あなた達、テレビの見すぎじゃありませんか?

「そ、それに、第一これで救命ヘリなんて、カッコ悪すぎ・・」と、友人夫はしおれます。


確かに、子供たちの手前も、父としての威厳は今後なくなるでしょう。

シュノーケルで海を覗いてたら知らぬ間に流されて、溺れかけ、意識もあり話もできるのに
救命ヘリって・・・しかも、もしかしたらヘリが来たら、搭乗している医者に
「なんだこの程度で、呼ぶなんて。」と、言われでもしたら、父の威厳は地に落ちる・・・

しかも、この状態なら、きっとこうなると友人夫は確信しました。



「ハ、ハサミ、悪いけど、オレを連れて帰ってくれ。お願いだ。」
友人夫は、ハサミにすがります。
その手は力強く、踏ん張った足には、筋肉が盛り上がっています。


「そ、そうだね。死にそうにはないよね。でも、ボクたちまだ帰らないのよ。今夜は
 足摺で泊まるんだけど。」
「へっ??」


なんと、暢気な・・まだこの期に及んで、今夜は足摺で泊まろうとは・・・

「じ、じゃ、足摺まで連れてってくれ。明日はオレが運転するから。お、お願いだっ。」

ハサミとモトネは顔を見合わせ、友人妻とも協議して、その話に応じることにしました。


よくよく考えれば、このままヘリ搬送となれば、友人妻は一緒に行かなくてはならない
でしょうし、足摺では二人分のキャンセル料取られるでしょうし・・って、そんなこと
言ってる場合ではないでしょうに・・・(呆)

都合よく、友人夫も、少しふらつくとはいえ、もう歩けます。
老医師の説得は、この場合は妻が最適だろうと、友人妻が、バッグと引き換えに、しぶしぶ
引き受けました。


そして、なんとか、友人夫妻とその子たち、それに自分たち家族を引き連れて、
ハサミたちは、宿泊予定地の「足摺テレメ」に向かったのでした。




「いゃーあ。ほんとに大変でしたよ。」と、ハサミは笑い
「Aには、言わんといてね。また、一生言われそうな気がする。この話。」
・・・・・へへ・・実はこのモトネと、わが息子は、新造中の明石大橋の真ん中で
OOOOしたことがあるのですが、それを私が、誰彼となく話すものですから、子供に
対して親の威厳が保たれないと、常々家人に零しておったのだそうです。


もちろん、私には言いません。
そんなことすれば、かえって、火に油を注ぐということを、長い付き合いのモトネは
身にしみて知っておりますから・・・。


ところが・・・です。
家人がこの話、私にうっかり・・・(笑)

・・・・・今は、ブログというツールを持った私は、皆様に夏の海山への警告と共に
このハサミ夫婦の顛末もお伝えした次第なのです。(笑)(笑)(笑)



しかし、この程度のことで、懲りるような彼らではありません。
来年は、私たちのように、目の前の民宿に泊まる予定で計画を立てると、息巻いて
おりましたので、そのときには、また何か、エピソードがご披露できるかと・・

はい。みなさま、まだまだ暑いです。
本当に海・山にはお気をつけください。
                           
[PR]

by sala729 | 2010-08-19 11:37 | Comments(3)

お盆だからと言って、人の悩みが消滅することも解決することもありませんが、この時期に
相談電話が少なくなるのは事実です。
それが、ご先祖さまをお迎えするための忙しさのせいか、ひと時の安らぎ時間をご先祖さま
が、くださったのかは判りませんが、そんな中で受けた、西浜さんのご相談は、お気の毒な
限りでした。




西浜洋子さんは51才。結婚して30年だそうです。夫は13才年上で、今、末期の癌で
ある総合病院に入院しています。
余命も三ヶ月と宣告されており、ホスピスへの転院を、暗に勧められているそうです。
この、夫はバツ2で、洋子さんと結婚しました。

初婚の妻との間には二人の子供がおり、離婚時に子供を引き取った夫は、男手で子供を
育てる大変さに音を上げ、すぐさま再婚に踏み切りました。
夫は上場企業の管理職で、なかなかのハンサムです。
二人目の妻は、ひきとった子供を育て、夫に嫁しづきましたが、夫が浮気を繰り返し、
とうとう離婚に至りました。



そして、三人目に選ばれたのが、当時部下だった洋子さんでした。
もちろんバツ2であることは知っていました。
しかし、男の本質がどこにあるのか、子供を育てるのがどんなことかを理解するには
まだ若すぎたようで、気がついたら、三番目の妻になっていました。


結婚してからの夫は、それまでとは違う人間ではないかと思われるほどの変貌を見せました。
まず、給料から渡された生活費の中でやりくりしなさい。
足りなければ、それは自分でなんとかしなさいと言い渡され、本当に足りないときに
足りないと訴えても、夫は耳を貸さず、洋子さんは何度も実家に無心に行ったそうです。

夫は会社では、有能でハンサムな男気のある人というふうに思われていましたし
事実その噂を維持するための努力は、涙ぐましいものがあったと洋子さんは笑います。

結婚を後悔しはじめた頃、洋子さんは妊娠しました。
夫は、産むなとは言いませんでしたが、子供が一人増えても、二人増えても、生活費の
額に変化はありません。

年の離れた4人の子供を育てながら、洋子さんは経理資格を取り、介護資格をとり、
医療事務資格を取り、自分の仕事の範囲を広げながら、生活を築いていきました。
いつしか、夫からの生活費がなくても、普通に生活ができるだけのお給料を得ることが
できるようになると、そんな生活にも慣れ、出張、残業、接待と、夫が殆ど帰らない
生活にも、不満や不信を抱かなくなりました。


そんな中で、定年退職を迎えた夫が癌に倒れたのです。
夫は、わがままでした。発病してすぐは、長男の元に行くと、長男の近くの病院に
入院し、長男と喧嘩すると、次男のところへと、転々とその居住地を変えます。
洋子さんには何も言わずに・・・・

そして、そのたびに退職金やそれまでの預貯金を預け入れた、通帳をこれ見よがしに
長男や次男に見せびらかすのです。
そして、ことあるごとに「これはお前らにやる。洋子にはびた一文やる気はない。」と
吹聴するのだそうです。

そして、息子たちのところを転々としている間は、入院先の病院名すら洋子さんには
知らせず、言いたい放題、したい放題を繰り返していましたが、病状は確実に悪化して
いき、ある日、地元の総合病院から洋子さんのもとに、入院費用の支払い明細が
送付されて始めて、洋子さんは彼が地元に帰ってきたことを知りました。


そして、あわてて駆けつけると、その彼の枕元にはもう80才はとうにすぎている
であろうのに、濃い化粧に原色花模様のワンピースを着た、まさしく異様な風体の
老女が座っていました。


直接問いかけるのも、慎みがないと思い、黙っていると、老女は自分から名乗りました。
それによると、自分は夫のかつての部下、永瀬文世の母親だというのです。

更に続けて
文世は会社員時代に使い込みをした。けれど上司である西浜さんがそれをかばって
くれてことなきを得た。おかげていまも会社に勤めていられるし、役職にも就けた。
今度は、私達が恩返しをする番だから、こうして私が付き添いを努めている。
私がいるいる以上、奥さん、あんたはおらんでもいい。二人もおることはないから。
もう帰りなさい。と、なんの悪げもなく言い放つのです。

夫も病床から
「そうや。通帳はこのばーさんに預けて出し入れしてもらうから、お前には見せん。」
と、言い募ります。
もう30年、我慢していたとはいえ、洋子さんは情けなくて涙も出ませんでした。
その日は、そのまま帰りましたが、帰り際に弁護士さんに相談に行きました。
そして、弁護士さんを通じて、書類を整え銀行に支払い明細を見せてもらうと、
先週一週間で、毎日100万づつ、引き出されています。
夫の病状からみて、彼が単独で行くのは不可能です。
しかも、ATMは、夫のかつての職場の隣の機械です。

これは、誰がどう考えても、永瀬文世とその母がしている事としか、思えません。
そこで、洋子さんは銀行に、カードの紛失届けを出しました。

その夜、洋子さんは次男に電話をすると、次男は永瀬母娘のことを知っていました。
こちらにも何回か来たことはあるとも言いました。
どうやら、永瀬母娘と次男は、なにかを一緒に企んでいる様子が感じられます。


洋子さんは、さっぱりと言います。

「今までも、お金なんかあてにしてはいませんでしたから、もういいとも思ったんです。
 でも、悔しいんですよね。私の30年、なんだったのかと思うと・・。夫の死後争う
 ことはできます。弁護士さんにもそう言われました。でも、その前にこの永瀬という
 親子がどんな人間なのか知りたいんです。」


夫は、末期症状のため、痛み止めをかなり投与しているので、正常な判断ができないの
かもしれないと洋子さんは言います。
洋子さんとの間の二人の娘達は、お父さんなんて最初からいなかったみたいなもんだもん。
どーだっていいよと言います。

長男も次男も、少しでも自分にお金が回ってくるようにと、なにやら画策しています。
洋子さんは、夫がいつ死んでもいいと言います。
悲しくはないし、辛くもない。むしろ今までの呪縛から解き放たれるような気がすると
打ち明けます。


人は死にます。いつか、誰しも死にます。
その死に際に、連れ合いからこんな風に言われたら、その人のこと、可哀そうだと
思いますか?
死にゆく人に、ここまで言わなくても・・と、思いますか?


私は、どうせ死にいくなら、お金を持っていけるわけでもなし、心ならずであっても
妻の手をとり「ありがとう」と、言い残せたら、その方がよほど自分も安らかに
逝けるのではないかと思います。
そうすれば、後々、「いろいろあったけど・・・ねぇ。」と、笑ってもらえます。
このままでは、省みられるたび「あの人はねぇ」と、言われ続けます。
それでもいいと、開き直られるなら仕方ないことですが、80すぎたハデハデおばばに
手を取られて死にいくよりも、よほど美しい洋子さんに手を取られて逝くほうが
男としても、幸せではないかと、私は思うのですが・・・
[PR]

by sala729 | 2010-08-17 14:26 | Comments(0)

今日は65回目の敗戦記念日です。

テレビでは、いろいろな終戦特集が放映されています。私も昨夜、倉本聰さん脚本と、鳴り物入りの
ドラマ「歸國」を見ました。
設定は、斬新ではありましたが、ドラマチックな物語がオムニバスのように、次々と流れていくだけで
メッセージ性はあまり感じられませんでした。

私は、この類の物語は、ストーリーとしての出来云々よりも、メッセージ性こそが大事と思っていましたから
とても物足りなく思って結末を迎えました。




じつは、金曜日にブログで、長崎で被爆した、長崎大学放射線課教授(被爆時は助教授でした)永井博士の
ことを書こうと、半分ほど書き進んでいたのですが、途中で、自分の文の拙さと、考察の浅はかさに、愕然と
して、書き進むことができず、そのまま消去してしまいました。



私は、長崎の「如己堂」には、4回ほど訪れています。
もちろん、「長崎の鐘」も「この子を残して」も読んでおりますし、博士の出身地、島根県雲南市も訪れて
いますし、ルーツである、津和野の乙女峠も行きました。

私のような人間であっても、博士の強い信仰と、深い慈悲は感じ取ることができます。
そして、私のような狭雑な人間は、同じ信仰をいただく、彼の国がなぜ長崎に原爆を投下したのかと
いうとても原始的な疑問に至るのです。
彼の国が、日本の中で、長崎がその信仰を守るために、どれだけの血を流し、犠牲を払い続けたかを
知らないはずがありません。

それでも、なお、長崎に原爆を投下したその気持ちの底を私は見たいと思うのです。


あぁ・・・どう書いても、どう表現しても、この気持ちを文字に変換することができません。



私たちの世代は、親が少なからず戦争に関与しています。
私の父も、補充兵として満州に出征し、運よく終戦前に帰国することができた人間です。
母は、内地で空襲にあい、明けかけた町なかを逃げまとい、町の中心部の交差点に、数えきれない誰とも
見分けられない遺体が、うず高く積まれてあったと、私に一度だけ話したことがありました。


いま、その交差点は地下歩道になっていますが、生前、母は絶対にそこを通ろうとはしませんでした。
どんなに危険だと言っても、車の行きかう交差点の道を渡っていました。
そして、私に、絶対に農家には嫁に行くなと、繰り返し、繰り返し言い続けていましたね。
それは、戦争が終わって、何もかも失くした母たちが、たったひとつの着物を持って、農家にお米と
交換にいくと、足元を見られ、罵声を浴びせられ、物乞いでも追い払うような扱いを受けたことを、
決して忘れられないからでした。
母はその話は、何度も何度も繰り返し私に話して、いました。


私が子供時代には、夏休みと言えば、必ず戦争映画が上映され、学校の割引券でいつも観賞していました。
当時の映画ですから、CGがあるわけもなく、稚拙な戦闘シーンもありましたが、それを見て、私たちは
愚かな戦争を感じ取っていたのです。

テレビでも、特攻隊隊員の話や、原爆の子の佐々木禎子さんの話が、ドラマ化され、良いも悪いもなしに
戦争を考える時間はあったような気がします。


でも、それは年月とともに、減っていき、語り部と呼ばれる体験者さんたちは、お年を召して鬼籍に
入られる方も当然多くなりました。
私の父と母も、そうです。

ただ、母は私にしたと同じような話を、私の息子にも何度か繰り返してしていたようで、息子は
この地の空襲の様子を、見てきたように話すことができます。



時が流れて、若いころは、あんなに遵守することが平和を守ると堅く信じていた憲法9条も、
国際社会の流れを見ていると、改憲することもありかもしれないと、思い始めていました。
軍隊とは言わないけれど、平和を維持するためには、その抑止力としての、軍備は必要なのかもしれないと
考えが変わっていくのを感じてもいました。


でも、改めて永井博士の言葉に触れて
博士が幼い二人の子供に、信仰の尊さと必要を説き、人を怨むなと教え、その上で、「もしも、日本の国が
憲法9条を改正して、戦争をしないということを反故にしょうとした時は、最後の一人になっても、
それを止めてほしい」と、言い残した事実を目の当たりにしたとき、抑止力としての軍備というのは
言い訳でしかないのかもしれない・・・そういう心の声も聞き逃すことはできませんでした。


この時期には、必ず「愛国心」が俎上に乗せられ、それを培うためには、徴兵制度をという声があがり
ます。
確かに、いまの日本の若者たちの、大多数は頼りないし、愛国心ってなに?なんてへらへら笑って
聞き返されそうですが、それでも、やはり「徴兵制度」なんてものは、ないほうがいい。
女は、母は、わが子がそうなったらという前提でものを考えますから、それを思ったら、
徴兵制度なんてものは、ないほうがいい。

このへらへら君たちと、情けなく相手国に蹂躙されても、この国が消滅されても、わが子を徴兵という名の
もとに戦場には出したくないと思うのは、本能です。



もう一年以上前から、月に二回程度、NHKで放映されている、「証言兵士の記録」という番組があります。
私はこれをすべて録画しています。
自分が見て、そして次の時代の子が見て、そしてその次の・・・

言い伝えるには限界があります。
伝言ゲームのように伝えるよりは、折角の文明です。CDに残しておきましょう。
いつか、ちびギャングと一緒に、考えられるように・・・

彼らの世代が何を考え、何をしたいかを早く、知りたい思いにかられる終戦記念日です。
そして、今日も、外は蝉の声が、にぎやかにはかない命を叫び続けています。
[PR]

by sala729 | 2010-08-15 21:05 | Comments(0)

高速道路はお盆の渋滞がピークを迎えようとしています。
読者の、おりがみ様も、車で長の帰省旅に出てらっしゃる最中でしょうか?

ニュースを見ていると、高速1000円割引や、無料区間の設定などで、公共交通機関はお暇かと思えば
そうではないのですね。混むのがいやだからと、新幹線や飛行機の利用者も案外多いようで関係者さんたちは
少しホッとしているのではないでしょうか?



今日は12日。あの、御巣鷹山の惨事からもう25年です。
あの日、夕飯を終えてニュースを見ながらこんな大惨事になろうとは夢にも思いませんでした。
あの中の最年少の美谷島君は、うちの息子とはたった二才違いです。
決して他人事とは思えませんでした。

その二年後、息子が小学校の3年生で、一人旅をしたい(これは当時住んでいた大阪から四国の実家までの
間でしたが)と、言った時はこの事故のことが頭をよぎりました。
その後、息子はスカイメイト登録をして、子供時代だけでも、100回以上は飛行機を利用していますが、
おかげさまで今日に、至るまで何事もなくすごしております。

これもあの事故の犠牲者さまの尊い犠牲の上に、さらなる安全確認が進んだためだと・・私は思いたい
です。
今年も一昨日、息子は、あの日とは逆に、大阪・伊丹から東京に帰っていきました。(合掌)




私自身が、どちらかと言うと、宗教的教えを受ける環境におりませんでしたから、見よう見まねではある
のですが、この時期には、お盆拵えというものをささやかに行います。

私の住む地域は、田舎ですから簡素になったとはいえ、お盆になると、まだまだお盆行事をささやかに
取り行っている方はいらっしゃいます。

まず「新仏さん」と言って今年亡くなった方がいらっしゃるおうちでは、一か月前から仏壇の前に
色鮮やかな灯篭を飾ります。

これは、あの「牡丹灯籠」のような下置きのくるくる回る灯篭ではなくて、紙で作った蝋燭をたてる
頭の部分と、そこから長い紙がすそを引いて、表現はよくないですが、そう昔の「火星人」のイメージに
近い形のものです。
二年目、三年目とそれが金や銀に変わり、四年目に初めて仏壇前の灯篭は終わります。

でも、それとは別に、お墓には、その仏壇灯篭をぐっと簡素に小さくした灯篭を各家ごとに飾ります。
そのために、この地域のお墓の前には、水道管を利用した、灯篭釣りをどこも据え付けてあります。
最初にそれを見た、他地方の方は必ず「これなに?」と、聞かれますね。


これは、毎年11日ころから15日位の間に嫁ぎ先、実家とそれぞれに、何々家と墨書して置いていきます。
もちろんこの時がお墓参りですから、お掃除してお花とお線香を供えて、その他に「お盆団子」を供します。
このお盆団子は、団子粉を耳たぶくらいにこねて、茹であげたもので、黄粉と砂糖を合わせたものと、小豆の
粒あんをまぶしたものを二種類作ります。
これを仏壇とお墓に備えて、残りはもちろん、食べます(^^)
季節ものですが、これ、案外美味しいんです。

ただ、近年はお墓に食べ物を置いてはいけない規則になっていて、供えたら、帰りには持ち帰らなくては
いけなくなりました。
時節柄とはいえ、風情のないことです。
このお墓参りは、日中にすると「熱中症」間違いなしなので、たいていどの家も、早朝に済ませます。
ですから、お盆の季節の朝のお墓は賑やかです。
夜は夜で、灯篭の白い色とお供え花の色が、普段無彩色のお墓に妙になまめかしく、水木しげるさんも
真っ青という、怪しげな佇まいを見せます。


関東地方とちがって、こちらには「迎え火」がありませんから、当然「送り火」もありません。
キュウリやナスの馬も作りません。
本当に処変われば・・・と、いうものですね。


処変わればといえば、結婚した当初は、小さな風習のひとつひとつに馴染めなくて、イライラしたり
したものでしたが、いつしかそれは体の中にすっと入り込んでいくものらしいです。
私のように、訳あって主婦や嫁をリタイアした者でも、なんとなく覚えているものですから、継続というのは
おそろしいものです。

こちらは田舎ですから、田舎特有の親戚づきあいというのもあります。
夫が亡くなって以来、そっち方面はすべて息子が引き受けていてくれるので、私はラクをさせてもらっている
のですが、娘は妻となって三年目。そうはいきません。

婚家との付き合い。自分の父方との付き合い。それは相応に、そこにふさわしい付き合い方を求められます。
でも、求められると言っても、それは正面から、ああして。こうしてと指示されるわけではないのですが
その分、蔭でいろいろと非難され、やがてそれは巡り巡って自分のところに帰るという、意地の悪いしかえしを
受けます。

それは、相手方から見ると「常識知らず」と、いうことになるわけで、しかえしというのは、表現が
ちょっと過激すぎたかもしれません。

でも、嫁いだ以上、自分はもう一家の主婦であり、いつまでもA家の娘ではありません。
息子はA家の主として付き合っていますが、自分は自分で相応の付き合い方が必要になってくるのです。



なんて、面倒くさい・・・
はい。確かに面倒なことではあります。虚礼廃止と叫びたいかもしれません。
でも、それで今まで付き合いを継続してきた年上の親戚たちは、それを求めているのです。
けれども、彼らは求めるだけではありません。求めた以上、彼らも与えます。
そう、よーく考えてみると、これはとても合理的な、「ギブ&テイク」なのです。
とても、面倒で古臭い「田舎流儀」かもしれませんが、決して悪いことばかりではありません。

自分の子供を普段会えない親戚のおじさん、おばさんに見てもらって、成長を喜んでお小遣いを
いただく。
でも、いただいた以上は、応分のお返しを用意しておく。これは大人社会の常識です。
こういったやりとりを、めんどくさいと放棄してしまったら、本音とか建前が゛まだまだ生きるこの
社会を上手に生き抜くことは難しいでしょう。
親戚づきあいとは、そういうリハーサルをさせてくれる場なのかもしれません。

人とのつながりを上手に、扱えるようになったら、一人前です。
社会が、世の中が、仕事が、人間が嫌いになりません。
これはとても大切なことです。


リタイアした私が滔々と述べても、詮無いことですが、人間の先輩としては、言っておきたいと思っていました。
どんなことでも、覚えておいて損なことなどありません。
損をするなら、使わなければいいだけなのです。
それも、これも、知っているから、使う、使わないの選択ができるのです。



お墓用の灯篭に、A家と実家の姓を墨書しながら、お盆もなかなかいいものだと、一人ほくそ笑んでいる
私って、もう、妖怪の域に入ったのでしょうか???
[PR]

by sala729 | 2010-08-12 18:04 | Comments(2)

帰り支度を整えて、魚ご○ろさんでお聞きした道の駅に向かいます。

結果は前述しましたが、ところてんゲットのためで、書きましたとおり10個購入
しました。
発砲スチロールに氷をつめて10個並べて帰ろうとすると、入り口に、小さなザリガニが
ポリバケツに入れられて、10個100円という価格(・・これはザリガニにすれば
失礼な話で、いくらなんでも安すぎ。)

興味しんしんのちびギャングは覗き込みますが、もちろん手がでません。
私も、本当はいやなのですが、ここは教育的措置とばかり、えいっ!と、お尻のほうを
つまんで見せます。
すると、ザリガニ君って案外、体柔らかいのですよね。ぐぐっと身をそらしてその体より
も、大きなハサミを体をもった私の手、めがけて攻撃してこようとするのです。

思わず・・ぽとり・・
それを見ていた、息子が「あのねぇ、ザリガニはここを持つのよ。」と、頭と胴体の間を
指差します。
「でも、それならなおさら、挟まれるかもよ。彼らは思ったより、体柔らかい。」
「そんなことないよ。」と、言いながら手わ入れるものの、おっかなびっくりです。

小学生時代、学校帰りに道端の蛇を捕まえて、結んでいた悪ガキとは思えない
へっぴり腰です。
これが、大人になるということなのでしょうか・・・


「買って帰ろうか?」という私に即
「ダメ。」と、輪唱で応える家族たち。
「死んだら可哀そうでしょ。」

ふん・・なんだか判ったような言い方。
死んだら可哀そうだというなら、ここでこうして捕まえて売ってること自体可哀そう
じゃないの?
じゃ、虫取りも魚釣りもぜーんぶ可哀そうだということよね。
それでやめてしまったら、子供はどこで魚や虫に触れるの?

可哀そうかもしれないけど、はかない命があるってことを知るのは、ある意味必要
なんじゃないの?


・・・・・ほら、また始まったとばかり、家族は私のそばを離れ、地元産の黒糖アイスや
ゆずアイスを、それぞれに舐めています。

要は、みんな触るのが怖い・・・というのがホンネかな・・と、思いつつ、私もイチゴ
アイスをいただきました。


柏島から足摺岬までは、地図で見るとたいしたことはありませんが、約50キロ。
しかも、センターラインなしのアップダウンの道が続きます。
その上、このミニバンという車。坂道に弱い。ブレーキの効きは甘い。やっぱりロードカー
には不向きなのかも・・。

右手の海が消えて、ジャングルみたいな道路を抜けると、正面にはるかな水平線が
広がります。
道の左手は、金剛福寺。八十八番札所のひとつです。


車をPに停めて、足摺岬の入り口、椿の回廊に入ります。
両横から椿の枝が生い茂って、自然のトンネルになっていますので日陰ではありますが
なにしろ、夏真っ盛りですから・・・あ、暑い。。

しかし、絶景とはこのことか!
感激するばかりの青い空と白い雲。
碧い海と白い波。。。
この、青と白のコントラストの美しさは、その目で見て初めて体感できます。
絵葉書や写真でなお、力不足な感があるのは、その立体感ではないでしょうか?

実際に足摺岬の灯台から海に飛び込んで死ぬことは不可能です。
その前に、椿の林に落ちます。どんなに遠くに飛び込んでも、海には辿り着けません。

それでも、ここで海に抱かれるのか・・・という恐ろしくも美しい幻想に包まれるのは
本当です。
これは、あまやかな誘惑で、死ぬとか生きるとかそんなこと、普段感じたことのない人間で
あっても、その誘惑にかられると思います。


今時珍しい100円の望遠鏡を覗くと、散歩道の人の顔まで判ります。そうたくさんの人が
いるわけではないのですけれどもね。

私達が見ている間に、地元ボランティアに導かれた、高齢の方のグループがやってきました。
真ん中の立ち見台に上った、ちびギャングが降りられないでいると、70代と思われる女性の
方が、抱いておろしてくださいました。

「すみません。お手数おかけしまして。ありがとうございました。」


私がお礼を告げると、女性はにっこり笑って

「いえいえ。こちらこそ、いい思いさせていただきました。ありがとうございました。」

なんて美しい応対でしょう。
彼女も久しぶりに小さな子供を抱いたのかもしれません。
たしかに、子供は抱くと良い匂がします。
これは、エネルギーの素になるものかもしれません。英気・・というものでしょうか。
それは、誰の子であっても、二歳。三歳児は宝物です。

私には彼女の気持ちがよく判ります。
そして、そう言って、うちのちびギャングを大切に思っていただいたことに、心から感謝
いたしました。
とても、いい出会いでした。
旅はこんな出会いがあるから、楽しいですよね。

この立ち見台である方向を向くと自分の声が違って聞こえることがある。そのとき
願い事を声に出して言うと叶えられるというので、早速私も・・・
真似っ子の娘も、やってました。。(笑)


Pまで帰ると、息子は折角ここまで来たからと、金剛福寺に参拝に行くと言い出しました。
確かに目の前とはいえ、この暑さの中、また石段を何段も上がるのは・・・パス。
お寺の前のおみやげ物やさんで待つことにしました。

入り口のガラス戸を全開にしていると、自然の風が通り抜けて、涼しいこと。
エアコンもなく、自然のこんな涼やかな風を感じるのは、本当に久しぶりです。
おみやげを買って、息子とも合流して店を出ようとすると、入り口に大きな蝉が転がって
います。
たぶん、もう余命いくばくもないのでしょう。鳴きもしません。
時々、透明の羽をぶるぶると震わせるだけです。

ちびギャングは目を見張って、いままで見たどれよりも大きな蝉に釘付けです。
お店のおばちゃんが、これで持って帰りと、ビニール袋をくれましたが、もちろん手が
出るはずもなく、でも欲しくてたまらずといった顔で、私と息子を交互に見ています。

結局、おばちゃんのご好意を無にしては悪いからと一旦はビニール袋に入れて、Pまで
持って行き、Pの後ろの木立にさっと返してあげようということで意見が一致。





さて、再び車に戻ると、途中、薬局で「日焼け対策の薬」を購入してからは一路、四万十市
に向かいます。
四万十市は、言うまでもなく日本一の清流と呼ばれ、その透明な水は称えられておりますが
そこで獲れる、うなぎ、あおさのり、手長海老は、有名です。

お昼はうなぎにしょうかということになり、四万十のお店を検索。
でも、どれもなんだか、頼りない。そこで、路傍のTSUTAYAに車を停めて、家人が
リサーチに走ります。

その動きの軽さに娘がしみじみ
「うちのダンナさんにはないわね。あの身の軽さ・・・」

そして、いろいろリサーチの結果、四万十川の川岸にある、アメ○館に決まりました。
ここは天然うなぎが売りで、季節柄もぴったりだし、養殖はよくありますが天然は
そうそうはお目にかかれないので、一度は天然も食べておくのは悪くないと、決めました。
(じつは、私達はすでに一回、体感済み・・笑)


天然うなぎは、食感としては少し硬いです。そして、さっぱり加減です。
家人と息子はうな重を食べてましたが、やはり同じ感想でした。
二人とも、普段は入れる山椒を、折角だからと入れずに、そのまま味わっていました。

私と娘は、うなぎも付き、手長海老もあり、あおさのりもありなんて欲張った定食で
四万十を堪能しました。
個人的には、あおさのりのてんぷらは美味です。


おなかも満足して、再び車に戻り出発です。
今回はドライバーが四人いますから(うち一人は、季節ドライバーと我が家では呼ばれている
帰省時だけのドライバーですが)心理的には楽チンです。

黒潮町は片側がすべて海です。
海水浴客や、ウィンドサーフィンの人たちが、あげている歓声までも聞こえます。
波は相変わらず白く、細かく千々に砕けています。

黒潮町をすぎると窪川です。
ここの道の駅では「あぐりー窪川」と、呼ばれるアグリー豚の「豚マン」
地元ブルーベリーのアイス。

さすがに豚マンはパス。
アイスはもちろん、頂きました(笑)
土佐ジローのカステラなるものも購入しましたが、これは帰って判ったことですが
このカステラは、私たちが知っているカステラとは似て非なるものです。
かさかさと乾いて、歯ごたえのある硬さが感じられる食感は、カステラというより、私には
大阪名物「粟おこし」・・みたいでした。

須崎に入って、高速に乗ればもう人心地。帰ったも同然です。
それでも、南国SAでは停まります。
ここでは、娘婿用の「鍋焼きらーめん」を購入。


あっ!・・・そうそう、忘れてはいけないのは「いも天」です。
高知日曜市の名物で、食べながらあるくのですが、日曜以外ではここのいも天が一番
それに近いです。
私のかんじでは、たぶんベーキングパウダーを使っているんじゃないかと思われる
ふっくらとやや固め感のある衣と、さつまいもがなんだか相性がよくて、本当に美味
しいです。
うちの娘はこれが大好きで、しかも味にうるさい。
一袋はみんなで開けて、もう一袋はおみやげ用に持たせましたが、きっとあっという
間になくなったことではないかと思います。



高速を降りると、たまたま同じ時間帯に帰ってくる娘婿と合流。
ここで娘とちびギャングはお返しして、私達は従姉妹のところに向かいます。
従姉妹達は来週、柏島に行くとのことで、息子のシュノーケルと娘のシュノーケルを
貸してあげることになっていたので、もうこのまま行こうかと・・・

金曜日ですから、行った時はまだ当然お客様もいらしたというのに、従姉妹夫まで
出てきて、柏島談義に花が咲きます。
「来年も行くんだって」と、私が言うと
「うん。男の人はみんなそう言うらしいよ。」と、従姉妹。

やれやれ、これでまた、共通話題が増えたとばかり、家人のカット時間は長くなる
のでしょうね。



翌日の早朝から家人は車を洗い、車内に掃除機をあて、ピカピカに磨き上げて、娘の
ところに返しに行きました。



これで、柏島顛末は、ひととおり終わりました。。。
はい、とても楽しい旅でした。
息子の背中は東京に帰るまで、赤くはれ上がって、昨日、とうとう小さな水泡が背中に
びっしりできたと連絡がありました。
病院で飲み薬と塗り薬をもらって夜になると、皮がポロポロとむけ始めたと・・
しかるに
「今度の休みに、ラッシュガードみてくるわ。」という当たり、懲りてはいないどころか
来年も行く気満々のようです。(笑)

娘は・・言わずもがな・・というところでしょう。

家人は率先してますし、私は?と聞かれれば、悪くはないと思います。
いえ、きっと行くでしょう(笑)


のんびりとした時間を、一分、一秒と取り戻してくれる柏島時間を味わうために・・
きっと来年もこうして、「二度目の柏島」なんてブログをかいていると思いますよ。
[PR]

by sala729 | 2010-08-11 11:54 | Comments(3)