気の弱い男というのを「女の腐ったような・・」と、よく表現しますが、これは明らかに性差別的表現と怒りはするものの、だからと言って「男の腐ったような・・」と、言い換えると、なんだかその人が少しマシに思えてくるのですから、やはり、非難を轟々と浴びようとも、あえてこんな表現をつかわないといけないことはあるのだな・・と、感じることが多いのは、この職業のせいでしょうか。



2年前に30年以上連れ添った妻を亡くし、池垣さんが淋しかったというのは判ります。
田舎から出てきて歯を食いしばってきた30年であったのでしょう。気付いたときはもう末期癌だった奥さんは、入院して一ヶ月もたたぬまに、あっけなくお亡くなりになったのです。

そのあと、30歳をすぎた未婚の息子二人と暮らしていましたが、なんとも味気なく、淋しくてしょうがない。
それで、近くの同郷の工務店の会長に、その淋しさを切々と訴えました。
会長はオン年81歳。一代で築いたという、社員2名の工務店は息子に譲ったものの、まだまだ矍鑠たるもので、現場指揮は取る、打ち上げでは浴びるほど酒を飲む、社長の息子を処かまわず怒鳴りつけるといった、ホンネをいえば、「少々困った元気すぎるご老人」ではあります・・(溜息)


その江田会長の提案で、池垣さんは中国女性専門の結婚相談所に入会しました。
江田会長いわく、もう若くない、まじめだけが取りえの池垣さんでは、今の日本の女はよう扱わん・・・と。
しかも、二人の大こぶ付きなのだから、そんな日本の女がいるはずがないと。。。


半年後、池垣さんは玉青という44才の中国女性と結婚しました。
玉青は、一度日本の男性と結婚していたこともあり、日本語も堪能で、なにより年相応の落ち着きがありました。はじめは・・・・・。


玉青が嫁に来て半年がすぎて・・・
彼女は中国に残してきた子供を引き取りたいと、池垣さんに訴え、呼び寄せました。
19才の息子は、日本にくるとアリメクリェーターになりたいと、専門学校に通います。
その授業料を稼ぎたいと玉青は仕事にでるようになりました。
24時間スーパーで働いているからと、深夜に帰るようになり、そのうち帰らなくなり、里帰りすると言っては、二週間も音信不通になる・・・・

これでは、いくら鈍感な池垣さんとはいえ、おかしいとは思いますよねぇ。
自分に隠れて浮気をしているのか。それとも、風俗の仕事をしているのか。。。
疑い始めたら、あれもこれもと不審の種は出てきます。
池垣さんは、不審で一杯になり、江田会長に相談しました。

そしてその結果、調査をするということになったのです。



まずは玉青が池垣さんのところに帰る日を狙って素行をしないとなりません。
これがやっかいでした。
玉青は毎晩自宅に帰るわけではないのです。
しかも、狭い住宅地の奥まったところにある自宅は、張り込みにも、とても不利な地形です。


そんなこんなのなか、やっと玉青の仕事先が判りました。
バスと私鉄を乗り継いで6番目の駅を出てすぐの、中国マッサージ店・・・
マッサージとは名ばかりの、立派な(?)風俗店です。
女の子は、彼女を入れて4人。玉青はその中でも、もちろん最年長です。


その報告をした時の池垣さんは飛び上がらんばかりに喜びました。離婚を覚悟の池垣さんは少しでも自分に有利な情報が欲しいのです。
そして「こうなったら、徹底的にやってくださいよ。その店のことや、お客、ぜんぶ調べてくださいや。」
池垣さんはやる気です。もともと、自分でもバタバタと動く方ではありました。
玉青の留守に彼女のスーツケースを開けてみたり、携帯を覗いたり、パスポートを調べたと・・。
私のところにも、何度、電話がかかってきたことでしょう・・。


そこで、調査は継続することになりました。
もちろん、料金は発生しますから、その旨はお伝えしています。

その二日後の日曜日
けだるい午後のことでした。
池垣さんからの携帯呼び出しが響きます。


「あ、池垣です。あのな、ワシがいろいろ相談し取る会長がちょっと電話代われと言うんで代わりますわ。」と、突然の申し出。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・急に変わられたって話すことはないですよ。依頼者以外とはお話できないんですから・・・と、いう暇もありません。


おいこらっ!
な、なんだこりゃあ・・・開口一番・・おいこらとは・・・(苦笑)

「おまえなぁ、興信所ならちゃんと報告せんかいっ。あの嫁はどーなっとんぢゃあ。」
あきらかに江田会長は酔っ払っています。
しかも、ぐびぐびと、飲み続ける音までが鮮明に聞こえてきます。

「お話は依頼者さんとしかしないことになっています。あなた様にお話する必要はありません。」
こういうときは、私って。。。ほんとに慇懃無礼を絵に描いたようになるらしく、相手の気持ちを逆なでするのが天才的にうまいのだそうです・・・←それってほめてるかぁぁ???(苦笑)


「なんやとぉ。こらあっ!お前、ワシを誰やとおもうとんぢゃ。アホ抜かせ。ワシャな、池垣のこと
よーしっとんぢゃ。相談も受け取る、そいできいとんじゃ。言わんかいっ。アホボケ!!」
「あなた様が依頼者をどうご存知なのかは、わたくしには判りません。とんでもない中国女性と結婚をすすめたのが、会長さんということは伺っておりますが。」

「なんやとぉ。ワシが紹介した言うかい。あのクソ嫁を。オマエナァ、言うてええことがあるんどぉ
。」
「あら、そーですか。私は依頼者さんからは、会長が結婚勧めてくれたとお聞きしてましたけど。」
「うぐっ・・す、すすめたんちゃうわい。池垣が嫁さん死んで可哀想やったからやのぉ・・・ええいっ。うるさいわい。ええかぁ。わしの目誤魔化そう思うても無駄やで。わしゃ池垣とは違うぞ。
お前らみたいな、ドアホアには騙されんぞぉ。」

「そんなに大きなお声でなくても聞こえます。会長さんおいくつですか?81才?
そんな大きな声でお話してたら、お体に触りますよ。普通の声で私、聞こえますから。」

「うるひゃいわい。お前、わしのことアホにしとんやろ。このくそボケ、舐め取ったらあかんぞぉ。
おなごのくせに、このぼけが!!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まぁ、なんと品の悪い「会長さん」ですこと。
それにまぁ、昼間からお酒飲んでのこの口の汚さ、言葉の下品さ・・・・今まで誰も注意する
人がいなかったのかしら?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、いうあきれた思いを閉じ込めはしたものの、江田会長の罵詈雑言は続きます。



「いいかげんにしてくれませんかっ。依頼者さんならともかく、なんのつながりもないあなたから
、アホだのバカだのと言われる筋合いはありません。黙って聞いているつもりはありませんけど
いいかげんなしてくださらないのなら、テープとってますから(嘘ですが・・笑)セクハラで訴えますよっ。」

なんやとぉ!!おぉ。やれるもんなら
やってみいや。おどれなんぞなんも怖ないわ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、そりゃそうでしょ。怖くはないですよね。さんざんこれだけのこと言ってるんですもの(笑)

「そうですね。池垣さんと代わってくださいませんか?あなたとお話しても無駄です。」

「くっそぉ、気ぃのつおい女子やのぉ。お前、年なんぼぢゃ?」
「お答えする必要ありません。」
「なんでや?お前、興信所やろ?興信所なら依頼者に自分のことぜーんぶさらけ出すのが筋っちゅうもんやないか?わしゃそうしてきたで。今までずーっとな。」

「そーですか。私はそんなことしてきたことありませんし、第一、あなたは私の依頼者さんじゃありませんし。」

「ほんまに気の強い女やな。お前、離婚して何年や?亭主は何しとったんや?」・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?????????????????????????

「お前、子供が三人おるやろ?男が二人と女がひとり。どや?あたっとるやろ?わしゃこれでも
占い30年やっとんぢゃ。」


「そうですか。残念ですけど、全部はずれてますね。もう一度、お勉強しなおす必要があるみたいですね。でも、お時間がもう足りないかもしれませんね?」

「うわっはは~~はっきり言うのぉ。おもろい女や。」

「お褒めにあずかって光栄ですが、わたくしは会長さんとお話する気はないのです。池垣さんと
代わっていただけませんか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんな会話が2時間近く
続きました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
江田会長の横で、池垣さんがハラハラしながらあちこちしている様子が目に浮かぶようです。
(笑)(笑)(笑)




でも、結局は、池垣さんは次の調査を断ってきました。
自分はやりたいけど、会長がそこまでしてどうする?と、言うのだと。

もうとっく50も越えた池垣さんが、自分の妻のことを自分のお金で、自分の意志で調査しているのに、とやかく口を挟む、81才にも困りものですが、自分のことを自分で決められない50男にも、愛想は尽きます。

それにしても、このコンビ・・・今までもこんな調子でやりすごしてきたのでしょうね。
これでよく、今まで生活してこられたものだと、妙に感心してしまいました。。。
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by sala729 | 2009-01-27 12:42 | Comments(2)

そもそもの電話からして、「ヘン」ではありました。

「あのですね・・姪がドロボーなんですよ。」と、甲高い声で訴えてきた雅代さん。
促しもしないのに、勝手に話はすすみます。

「21歳の大学生なんてすけどね。うちの権利書と、子供のクレヨンと英語積み木を盗っちゃったんですよ。」
権利書とクレヨンと積み木・・・・なんだか質の悪い「三題話」みたいでしょ(笑)

「年末にね、泥棒が入ったんですよ。うちにね。それで警察に来てもらったら、おまわりさんが
言うには、合鍵で入ってるから、こりゃ身内ですなって言われて、私はっと気がついたんですよ。義姉がね、自分の娘にやらせたんだって。」

・・・・・それにしても、21歳が積み木にクレヨンって・・・

「で、警察はこれ以上立ち入れないからって帰っちゃったんですよ。でもね。私、心配で心配で・・うちはもともとは三世代同居の家で一階が両親、二階が義姉家族、三階が私たちだったんですよ。でも、義姉が出て行って、でも姑は義姉にみてもらいたいもんだから、二人で組んで
私たちを追い出そうとしてるんですよ。なんとか、姪が忍び込んでいるところの証拠を押さえたいんです。」

・・・ま、確かに尋常な話ではないです。
でも、相談者は話をしているときは興奮していることも多く、お会いして話を聞くと、そーいう
ことかと納得することも多いので、お会いすることになりました。



暖冬とはいえ、雪の舞う日は昼間といえど寒いです。
その中で、まず30分待たされました。
お約束の時間というのに、インターホンを鳴らせど、携帯を鳴らせど、応答なし・・・。

あきらめかけて、帰ろうとした私の横を白い車が・・・
「あぁ。ごめんなさい。子供が寝たので30待ってください。」
これも仕方ないでしょう。子供には往々にあることです。

そして、30分して電話をすると、自宅の車庫に止めた車の中にいるといいます。だからそこに来てくれと・・・
なぜ??
自宅がまずいなら、自宅車庫の車では同じことでしょうし、第一自宅で1才の子供さんを寝かせているなら、屋内でないと心配でしょうに・・・と、思いつつ車庫に向かうと、私をみとめた車がするすると動いて「さ、早く、乗って」と、雅代さん。

反射的にドアを開くと
「今から、犯人の自宅に案内します。」
「え。は、犯人って、まだ証拠もなにもないし、第一調査するかどうかも決めてないのにぃ・・・」
と、いう言葉はあまりに真剣な雅代さんの横顔が拒否していました。

車でぐるっとまわって「あれ、あれです。あのブルーの壁の二階家。」
って、それは彼女の自宅から一軒おいての位置にあるのです。

そして、再び車は動いて、児童公園の前の道でとまりました。
「ここで話しましょう。」
「子供さんはそのままでいいんですか?」
「ええ。いいです。一時間は起きません。そういう子です。」と、妙にきっぱり言い切ります。

目深にかぶったワイン色の帽子と、失礼ながらかなりくたびれたウールのスラックスはところどころが玉になっています。
化粧ひとつない顔は、健康的な小麦こがし色で、大きな目が絶え間なく動いて、私の中で
「危険信号」が点滅しています。

「これ。これです。これが積み木のカタログ。これ盗ったんですよ。自分がね。教材に使うつもりなんですよ。教育学部だから。ほんとにもぅ。。」
憤懣やるかたないといった口調の雅代さんはカタログを開いたまま早口で話し始めました。

「私たちは再婚同士なんですよ。あの家は前の嫁さんが建てたんです。でも、一年もしないまに
離婚して出て行ったんです。建てたときに、土地はおじいちゃんのだから、建物のローンは主人にしたんです。
で、両親が三万、義姉が七万、お家賃としてうちがもらうことになってたんです。ローンは十万ですから。でも、私、義姉とはどうにもあわなくて喧嘩が絶えなくて、取っ組み合いしちゃったんです。それで義姉は出て行きました。あてつけみたいに、すぐ近所に。
うちのローンなんだから、出て行ってくれって。」

・・・・?????・・・・・・・・・・・・・・うちのローンたって名義はそうでも、実質、雅代さんたちの支払分はなしですよね?

「でも、ローンは主人名義なんですよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだけど、でも支払はしてないでしょ??
「でも、ローンは主人なんですよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(はぁぁぁぁ・・・・・・)

「姑は義姉に見てもらいたいから、おじいちゃんの土地を贈与するっていうんですけど、それを
生きてるうちに主人のものにしてもらいたいと弁護士さんに相談にいったんです。」

「そんなことできるとは言われなかったでしょ?」

「そーなんですよ。権利書、持ち出されてますからね。」

いえ・・そうではなくて・・・・(溜息)


「いま、ローンはどなたが?」
「おじいちゃんですよ。舅。だって、主人はリストラにあっちゃったんですよ。でも、両親にも出て行ってもらわないと、いけないですよね。あのうちは主人のローンですし・・・」

・・・・・・むむ・・・・・これは話続けるのはヤバイかも・・・・

と、私が思ったときでした。
なんだか、いやな気配を感じてふと後ろを見ると、音こそださないものの、ミニパトが赤い警告灯をくるくるとまわしながら、背後に止まり、若い女性のおまわりさんが下りてきて、運転席のドア
を叩きます。

「ここは、車両乗り入れ禁止です。入口に看板ありましたけど見ませんでしたか?」

「へ??」
戸惑う私を尻目に雅代さんはなれた様子です。
「ほんとにもう、このへんの人はなんでも通報するんだからぁ・・」と、言いながら下りていきます。
そして、パトカーに乗り込みました。なにやら話をしています。
そっと周囲を見ると、木立の陰から、こちらを見ている人影がふたつ、みっつ・・・


あ!・・・気づきました。
雅代さんこそ、町内会の「注意人物」だったのでしょう。
その一挙一動が注目されて、通報されたのでしょう。

・・・・・それにしても、自宅のすぐ裏のこの公園のこの道が車両通行禁止なんてことは、知ってるはずですよ。現に毎日この公園に子供連れてきてると言ってたのですから・・・。



10分ほどして彼女は帰ってきました。
そして、おもむろに私に微笑み返すと
「私、やっぱり調査やめます。これって、神様がしちゃいけないって言ってるんだと思います。だから、ここで降りてください。また、気が変わったら電話しますから。」

「へ??」
あまりの身勝手なセリフに私の思考がついていきません。
しかし、この危険信号女からは少しでも早く離れたいと、本能が急かせます。
私が車から降りると、
「では」と、一言残して、雅代さんは走り去りました。


呆然と立ちすくむ私を気の毒そうな目で見る、女性お巡りさんに、半端な言葉をかけられたくなくて、何事もなかったかのように歩き始めた私の心の中は、
30分まった時に、そのまま帰っていればよかったと、後悔でいっぱいでした。

・・・・・・本当にこんな試練の日もあったのです・・・・・
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by sala729 | 2009-01-24 22:36 | Comments(2)

その時、少女はたまたま学校を休んでいました。
お腹が痛いといって休んだのか、風邪をひいたといったのかは、もう覚えてはいませんが、半分くらいは「ズル休み」であったことは、確かです。

いじめにあっていたとか、そんな明確な理由はなかったのですが、その頃はちょっと気分が乗らないと「お腹が痛い」とか「だるい」などといって、学校を休むことがありました。

父親も母親も一応は心配するのですが、当時はどの家も貧しく、共働きでしたから、そんな少女を置いて、病院に連れて行くこともなく、仕事に出ていました。

そんな環境を小学生でありながら、上手に利用していたのですから、あんまり感心しした子ではなかったと、今更ながら赤面する思いです。

そんな少女が布団のなかにもぐりこんで、みかんを食べながら、漫画の本を開き、つけたままのテレビニュースに見入ったのは、その日が「ケネディ暗殺の日」であり、世界初の衛星中継が
初めて日本に送られてた最初のニュースがそれだったのです。

もともと、少女はあまりテレビを見ない子で、どちらかとうと「本の虫」だったのですが、さすがに
一日中うちにいると、読む本もなくなり、時間を潰すために、テレビをつけていたというのが
本当のところなのですが。。

今から思えば、とても荒い粒子の画面に、音もなく衝撃が走り、黒い服のケネディ大統領がのけぞって、反動で白い服のジャクリーヌ夫人の胸に倒れゆくシーンは、まるでアメリカのテレビドラマそのものでした。

まだ小学3年の少女にはことの重大性はよく判らずとも、今このシーンを見ている小学生は
そう沢山はいないという妙な優越感が、ざわざわと湧き上がってきました。

当時の小学生です。今よりも情報も少なく、日本の社会も今ほど批判的でも、厭世的でもありませんでしたから、ケネディ大統領という名前しか知らなくても、とても偉大な人が亡くなったんだという単純な嘆きがこみあげてきました。

その日のそれ以降は、本を開く気にもなれず、ずっと何度も何度も流される同じシーンを見続けていました。

そしてそれ以来、少女の中には「ケネディ大統領」という人はヒーローになりました。
彼の伝記を読み漁り、彼が第二次世界大戦に従軍して傷を負い、その傷がのちのちの彼を苦しめたと知ると、日本人として彼に申し訳ないなんて、訳の判らぬ謝罪の念をいだき、ジャクリーヌとのなれそめに心をときめかせたりしたものでした。
大きくなって、そのころより、もっともっと「本好き」になるまでは・・・。

誰でもそうですが、成長するということは、信じていたことが裏切られたり、物事には裏と表があることを知ったりして、それまでの価値観が、がらがらと崩れていくことがあります。
少女の、ケネディ大統領に対する、純粋な憧れと尊敬も、まさしくその成長禍の渦に巻き込まれていったのでした。

ジャクリーヌが、アテネの富豪オナシスと再婚し、その息子のスキャンダル。そして、ケネディ家の数々のスキャンダル。
極めつけは、彼自身のセクシー女優との不倫。その死についての黒い噂。

確かに、政界というものは、日米を問わずそういうものでしょうし、清濁の中を泳ぎきったものだけが、賞賛されるのではありましょう。




今日、朝からずっと、オバマ大統領就任式の模様がテレビに流されています。
アメリカ国民は、熱狂的にこの大統領を賞賛しています。
失礼ながら、決して優雅とは思えない逞しい、ファーストレディも、時代の要請なのかもしれません。
年若いスピーチライターの「宣誓文」は、力強く、共感と支持をあらたにします。
オバマ氏は、リンカーン大統領を、敬愛しているそうですが、見ていて、なかなかに気持ちのいいシーンではありました。
願わくば、この大人になったかつての少女の期待が、そう崩れることなく続いてほしいとは思います。
かつて、子供だった時代とは違います。
大人として、抱いた「共感と敬意」は、そう壊されたくはないものです。



もっとも、前日のわが国の国会中継では野党の長老議員に、悪し様に「漢字が読めんだろう。
こんな文章は書けんだろう」と、迫られて、苦笑いしていた首相の悪人顔がちらつきました。
お年寄りの言うことだからと、余裕の苦笑いのおつもりかもしれませんが、今までの
経緯を考えたら、これはとても「余裕」とは思えないですね。

日本の首相ともあろう人が、漢字が読めない。文章がかけないと迫られているなんて・・・
失望以外のどんな感情もわきあがってきません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その夜に
あの熱狂的なアメリカの激情を思うと、なんだか淋しく、情けなくなりませんか?



40年以上前、日本の田舎の片隅の少女が、アメリカ大統領の死にショックを受けたような
そんな衝撃が、今の自国にありえないと思うと、少女の自分がとても愛しくなるのは、ただの
センチメンタルでしょうか?


そんな、昔に行きつ戻りつした、昨日、今日の相談員でした。。。
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by sala729 | 2009-01-21 17:29 | Comments(0)

自分のことを、赤裸々に告白するのは、とても恥ずかしいことだけれど、反面、誰かに自分のことを伝えたいと思う時もあるのです。

ここで言うのもなんですが、自慢にするのは、もっとなんですが、私は自分の子育てに、「
揺るぎない自信」を持っています。
でもそれは、今、もう30才になろうかという息子と、1才の子の親となった娘の二人の子供が、立派な子とか、出来のいい子とかいうわけではありません。

私は、自分が母になる判ったときに、「自分のやりたい子育てをしょう」と、決めました。
そのころは当然若かったですから、経済的にもラクではありませんでしたし、まだまだ、嫁だとか家だとか、そんなしがらみが息づいていた30年前の田舎のことです。

でも、人の意見に左右されてやったり、自分が思うとおりにやらなかったことで、思ったような結果が得られなかったとき、それを他人のせいにはしたないと思っていました。
なにより、「あのとき、ああしなければよかった」という後悔だけは絶対にしたくありませんでした。
同じ、よくない結果が出ても、自分が選択した結果なら、それはそれで人に左右されたという後悔が残るということはありません。

もしも、この子が一生寝たきりになっても、私が一生世話をすればいいことですし、もしも命を落とすようなことがあっても、その責任は、自分が背負うべきで、あのとき、誰かに任せなければ・・なんてことは、絶対に思いたくないと・・。

私たち夫婦は、若くして父と母になりましたので、「落ち着いた親」ではありませんでした。
もっとはっきり言うなら、余裕というものがありませんでした。
夫は、ガキ大将が子分を従えるように子供に接し、私は子供に一目置かれる親になりたいと思い続けていました。
いや、それは今も思っています(苦笑)

いつかは、子供に抜かれたいけど、それがくる日は一日でも先がいいなんて矛盾したことを考えています。


子供が立派に育ったかどうかは別にして、自分の子育てをしたという達成感が、私に「子育ての自信」を植え付けています。

極論を言えば、私が自分の育てたいように育てた子供が、もしかりに犯罪者となったとしても、
それも私の責任ですし、社会に受け入れられない人間に育ったとしても、誰のせいでもない、私の子育ての間違いです。

でも、いま彼らは平凡でも、ひとにも、私にも迷惑はかけず、自分の人生を生き、自分の暮らしを営んでいます。
私は、それで満足ですし、それで十分な達成感を得られます。



こんなことをここに披露するのは、単なる「自己満足」にすぎないのですが、わが娘が、今1才になった自分の子の子育てに迷った時、自分が自信過剰の母に育てられたということで、
多少の自信をそこから得られたらいいかも・・・なんて思ったりもしています。

私はいつまでも「最強の母」でいたと望み、今は大人になった彼らは、やれやれと思いながら
その包容力で、私のその地位を揺るがせずに置いていてくれることを、私は知っていますが
それを知らん顔していてこその私です。(笑)

「この親にしてこの子あり」・・・あんまり褒め言葉とも思えないのですが、この言葉がなんだか
心地いい、私たち母子は、ちょっと「ヘン」かもしれません(笑)
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by sala729 | 2009-01-20 22:32 | Comments(0)

「いやぁ・・みんなはやめとけ、やめとけ言うんですわ。」
外は小雪がちらついているというのに、中屋さんは額の汗を、喫茶店のお絞りでぬぐうと、にやりと笑いかけてきました。

うえっ・・やなタイプ
と、思いつつも、真面目で勤勉な相談員は、そんな思いをおくびにも出さず、名刺を差し出しました。

「は、先生、よろしゅうお願いしますわ。」
慇懃無礼とはこのことです。

確かに仕事柄「先生」と呼ばれることはあります。
でも、それは、いわば「占い師」とか「人生相談回答者」みたいな、イメージでそう呼ばれるのです。それなりの、いい年のおじさんから「先生」と呼ばれるのは、なんだか、胡散臭くて、ちょっと抵抗を感じる、真面目な相談員でした。

「それで、ご相談は?」

「それがですね。実はお恥ずかしい話なんですが、この年で、初めてソープランドに行ったんですわ。三ヶ月前に。
私は、市内の旋盤工でしたんですが、父親が死にまして、田圃を売った金ができたんで、仕事やめたんですわ。そいで、送別会のときに、初めて、ソープランドやらに行ったんです。」

それは、たまにはある話で、それまで勤勉に働いたご褒美と思えば、そう糾弾するような話とは
思えません。


「そこで、みららちゅう子と知り合いました。みららは、29です。いい子なんですわ。バツイチで
子供ひとり育てとると言います。
あんな商売して、ほんまなら、子供やバツイチの話なんてしませんやろ?
それが、私には話しやすいんやと言うて、次から次へと話してくれますんや。

そいで、毎晩通うて、延長続けて、前までは真ん中どころのみららの成績が、先月は二番になりました。そうですな・・かれこれ400万くらいはつぎ込みました。

ところが、最近になって、ちょっとみららの言うことに、つじつまが合わんことが出てきました。
そうなると、それが気になって、夜もおちおち寝れません。
そいで、周りに相談したら、そんなん調べるなんてやめとけと言い寄ります。
金をどぶに捨てるようなもんぢゃと・・・。

みららには、ようけ買うちゃりもしたんや。洗濯機や、掃除機、加湿器や、空気清浄機・・」

なんだか、話の割には「小粒」の買い物ですね。(笑)


中屋さんは結婚もしていますし、孫もいます。
今更、みららと、どうのこうという気持ちはありませんが、騙されたくはないとおっしゃるのです。

どんなに延長しても、一緒には帰ってくれないみらら。
一度、別れ際に、みららのこと引き寄せていた、あの若い男。
どんなに言っても、住所は打ちあけないみらら。
そして、「来月は一番にして」と、おねだりしてくるみらら。



何をどうきいても、典型的な、風俗嬢の「客あしらい」でしかありません。
でも、それでも中屋さんは調査をしたいと言うのです。
「みんなアホやといいます。そいでも、知りたいんですわ。」

もう、こんなモードに入っている人を止めることはできません。
しかし、これ・・一歩間違えたら、ストーカーですよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「よー判りました。よー判りました。ほんなら、これちょっと相談してきまっさ。」
「相談ってどなたに?」
「友達ですがな。嫁には言えませんやろ?がっはっはは~」


この、軽さ・・アホさ・・軽率さ・・・
これでは、手を組めませんねぇ。


案の定、時間をくれと言い出し、翌日の朝・・


「やっぱりやめときますわ。なんや、あほらしなってきましたわ。」
翌日のまだ陽も上がらないという、6時すぎの電話での、ノーテンキな声。


こんなおぢさんが、まだまだいるのですよね。
無責任にヒラヒラと生きて、突然の遺産相続で、ちょっとした「小金持ち」になったとたんの
「フーゾク遊び」・・・・
そして、フラフラと、心変わり。。。

これって、格好悪すぎない?
大人として、あまりに格好わるすぎ。

若いものの無礼や、無知を、こんなおぢさんがいると知ったら、糾弾なんてできやしない。


大人よ・・・
・・・・・・・大人よ・・・・・
呼びかけて気付きました。自分が何も語る言葉を持っていないことを・・・・
なんやかやと言っても、私もその「大人」の一人であることに変わりはありません。

本当に人の「生き様」とは難しいものです。
私だって、日頃「見栄と意地で生きている」と、公言してはばかりませんが、意地と見栄を
支える矜持」だけは、なくしたくないものです。

しみじみと、木枯らしの街を窓の外に見ながら、自分に言い聞かせていました。
・・・・・生きるって、難しい・・・・・・

勤勉な相談員には、またひとつ、人生の問題点が増えたようです。。。。

(相談員の前に、
勤勉と真面目という冠をつけることが、すでに人生誤まっているんじゃないですか?←カゲ
の声)
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by sala729 | 2009-01-16 16:24 | Comments(0)

数寄屋の門をくぐれば、敷石が連なって、離れまで続いています。
白木の引き戸をひくと、ほのかに伽羅の香りが漂って、浅学の私にでもこの屋の主の佇まいが
判ろうというものです。

松岡みのりさんは、綺麗な銀髪の髪を揺らして、頭を振りました。
「どうして、こうなったのか、本当にわかりません。なんであの子が・・」

みのりさんのご主人は、一代で製造機械の会社を興し、その技術力は地方でありながら、東京はもちろん世界にも通用しょうかというほどのものがありました。

そのご主人が亡くなられて13年。、暗中模索しながらその礎を受け継ぎ、やっと一人前になった長男に社長の座を譲って三年。
ご主人の十三回忌も終わったばかりのことでした。

どうも武彦さんの様子がおかしいと、長男の嫁から相談を受けた時には、驚きよりも、やっぱり・・という思いのほうが先だったと言います。
みのりさんは、思い返せば、嫁よりも私のほうが、武彦の浮気に気付いたのは早かったと思いますと、さみしそうに眼を伏せられました。


武彦さんは、東京の有名大学を出て、父親の跡を継ぐべく地元に帰ってきました。
そこで、中学時代の同級生だったお嫁さんと再会して、結婚。
二人の女の子がいます。
子煩悩で愛妻家で、いつも家族四人で動く「仲良し家族」でした。


その、武彦さんの単独行動が多くなり、帰宅が遅くなり、出張が増え・・・と、浮気行動パターンそのままに進んでいくのです。気付かないわけがありません。

でも、お嫁さんも、信じたくない思いが強すぎて、現実逃避していたのでしょうね。
みのりさんに相談に行ったときには、もう夫婦の寝室は別になっていました。


みのりさんは武彦さんを呼び出して問い詰めました。
すると・・

「ええ。お母さん、僕には他所に女がいます。バツイチで、彼女にも子供がいます。」と、苦しげに打ち明けました。
亡父の十三回忌のあとで、精進落としと会社の人たちといった夜の店で知り合ったといいます。

「それは水商売の人ってこと?」
「いえ、違います。彼女は昼間は事務やっているんです。でも、それだけでは生活できないんで、夜アルバイトでその店にいるんです。」

・・・・・それも、水商売に変わりはないでしょうに・・と、思いましたが思いつめた表情の武彦さんには言えませんでした。


「それで、その人は、どこのなんという人なの?」
「それは・・それは勘弁してください。全部、ぼくが悪いんです。彼女が騙したわけでも、誘ったわけでもないのです。」

「そういうことじゃないでしょ。あなたにだって妻も子もいるのよ。香苗さんには悪いとは思わないの?」
「も、もちろん、香苗には悪いと思います。香苗のことは好きですよ。真帆も七穂も大切だしかわいいですよ。でも、彼女のことは、ほんとに僕が悪いんです。」
うつむいて、こめかみに汗を浮かべる武彦さんを見ていると苦渋の中でもがいているように見えたとみのりさんは言います。


「あなた、彼女に悪いというけど、どうする気なの?別れるの?
香苗さんには、うち明けるの?」

武彦さんはうつむいたままです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうなんですね。彼はやはり「お坊ちゃま」なんです。
育ちがよくて鷹揚で、優しい彼は、誰にでも好かれます。
誰に対してもやさしいです。
でも、切り離すことができないのです。
二つは得られないから、どちらかをと、選択することができないのです。
とくに、相手から思いを寄せられたら・・・・・


「いいかげんにしなさいよ。あなたは男として、夫として最低ですよ。女と別れられないなら、この
家を出て行きなさい。会社も捨てなさい。
私は株主として、あなたのこと解雇します。公私が分けられない男に、お父さんの大事な会社を
任せるわけにはいきません。
会社は香苗さんに任せます。子供たちも、香苗さんと私で育てます。
あなたは、その女に責任とりなさい。家も会社も捨ててね。
子供たちには、私が話して聞かせます。」


俯いた武彦さんの肩がブルブルと震えています。
泣いているのか、それをこらえているのか、判りませんが、みのりさんは母としても、会社の創立者の妻としても、武彦さんのこの優柔不断を許すことができませんでした。


その夜、香苗さんを呼んで、事の次第を話しました。
夫のことを信じていたいがために、目をつぶっていた香苗さんも、みのりさんの決心に驚きはしたものの、従わざるを得ませんでした。


それ以来、武彦さんは、いつも思い悩んだ顔をしています。
リビングで娘たちに逢っても、会話もなく、いつも思いつめたようなしぐさで接します。
そして、ある日、香苗さんは武彦さんの上着のポケットから、心療内科の診察券を発見しました。
彼が女と家庭のことで、悩みぬいていることは、誰の目にも明らかです。

なぜに彼が女と切れないのか。
その理由を武彦さんは言いませんので、誰も解決の方法が見つからないのです。


みのりさんは、武彦さんに厳しいことを言いましたが、それも母なら、もう一方で解決の道を探したいと思うのも母です。
武彦さんの浮気相手を探し出して、どんな人で、なぜ武彦さんが別れられないのか、それを
知りたいと、相談のお電話がありました。



恋は・・・お金ではありません。
損得ではなく、思いの深さです・・・・

でも、心からそう思っているのは、もしかしたら武彦さんだけかもしれません。

そんな、損得のない恋は、たいていは、大人になる前に経験するもので、家庭を持ち、社会的立場を持ったころには、ほとんどの人は、そんな恋はないことに、気づいているものです。


見送ってくださったみのりさんの、残り香が夕暮れの空に漂ってとけていきました。
冬の夕暮れは冷たくてさびしいです。
またたく星さえ、凍えて震えているように見えます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この恋は、罪深いですね。
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by sala729 | 2009-01-13 23:05 | Comments(0)

毎朝起きて、テレビをつけると、ヨーダーかETかみたいな顔を酒焼けで真っ黒にした国民的司会者といわれるおぢさんが、「正義の味方」をきどりながらパネルを一枚づつ裏返しています。

時には、与野党の議員さんたちが、ずらりと並んで、なぜかヨーダーおぢさんに媚びるようなコメントを繰り返しています。

いやはや、まったく・・・日本の国はこれからいったいどうなるのでしょうか???

漢字の読めない首相は、日々発言を撤回するような言葉を並べていることに、きっと自分で気づいていないのでしょう。
なにしろ、マンガしか読まないとのことですから、長いセンテンスは解読不能なのかもしれません。

「定額給付金」・・・これも、もうホントに支給されるのかしら?・・なんて思っている人はあんが多いかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これ、もし支給されたら、あなたはどうします?



私はこのことずっと考えていました。
12000円は確かに魅力的です。でも、個人の12000円になんの力があるでしょう?
これを、消費活動の一環にするなら、提灯大臣が話しているように、たかだか「てっちり」か
「カモ鍋」に代わるぐらいのものでしょう。

本当に困っている人は、もちろんすぐには使わないでしょうし、そうでなくても、高額所得者は辞退してほしいと言われ、受け取るというと、「矜持がない」とまで言われてまで、カモ鍋食べたいとは思いませんよねぇ。
もちろん、私が所得制限にひっかかるはずもなく、資格は十二分にありますっ。

そういった、マンガ首相自身がなぜか今は、受け取るようなニュアンスの発言していますけどね。


・・・・・私ですか?
・・・・私は一旦は受け取りますよ。煩わしい手続き踏んででも・・・

そして、それをしかるべき機関に、自分の気持ちを書いた手紙を添えて、寄付したいと思います。
一度は受け取り拒否しょうかとも思ったのですが、それでは投票場に行かない棄権と同じじゃないかと、ふと思ったのですね。
それなら、たとえ自己満足であっても、一旦は受け取って、それに自分の気持ちを記して、社会に返還しょうかと・・・・


そうです。「貧乏人の矜持」ですよ。
笑わば笑ってくださって結構です。
でも、この二兆円、新聞にあったように、待機児童のためにとか、エコ学校にとか、そういう先のことに使う・・というのにも何かひっかかりを感じるのです。

もちろん将来は大事です。子供も大切です。
でも、このお金は、「今を生きるためのお金」のはずです。
私は、今のために使ってほしいですね。
そして、現実にはどう使われるかはわからなくても、こう使ってほしいという意思表示はしておきたいですね。

高額所得者でなくても、議員さんでなくても、大企業の経営者でなくても、それなりの「矜持」は
それぞれに持っているものです。
それを、マンガ首相にとやかく言われたくはないですよねぇ(笑)


なんて、思いつくままに書いたものの、「おれは欲しいよ。もらうよ。」と、小声でつぶやいた家人
に、「その時は、私にもごちそうしてね。」と、あくまでも、自分だけがいい恰好したいと、見栄を張っていることに気付いています。

でも、それでも、私はやっぱり、意地と見栄で生きていたい・・・と。。
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by sala729 | 2009-01-09 23:55 | Comments(1)

いやはや、こんなことってあるのですねぇ・・・

初出も終わって、なんとなく前のリズムを取り戻した7日の朝のことでした。
始業もそこそこに、かかってきた一本の電話。

それは11月に家出をして、お正月を目前にした12月の末に自主帰宅した、中原庄司君のお母様からでした。
「Aさん・・・ま、また、庄司が・・庄司が家を出たんです・・・・」

彼が帰ってきたとき、自分で帰ってくる所謂「自主帰宅」は、家族にとってはありがたいことに違いないのですが、これは実は、安心してはいられないのです。

家出というのは、何にせよ本人に「理由」はあるはずで、自主帰宅するということは、それが解決していないままに帰ってきたということなのです。
それと、自主帰宅することで、本人の罪悪感は希薄です。
家族に心配をかけたという、自責がないことが多いのです。

それが判っていましたから、帰ったと聞いても、こちらは安心できず、しばらく様子を見ていますと、お母様にはお伝えしていました。
しかし、お母様は、年末年始のお休みに自分も入るので、もう見ていただかなくていいですと、
かたくなに仰って、(これもよくあることです。帰ってきたことで問題が解決したのに、家の周り
を、探偵さんにうろうろして欲しくない・・と、いうことらしいのです。
もちろん、そんなことはありませんよ。本人にも周囲にも判らないように、張り番するのは当然ですから・・)

しかし、依頼者さんがかたくなに、いらないというものを、無理やりというわけにはいきませんので、心残りのまま、解除していました。



それが・・・
だから、お母様が言いにくいのは、よく判ります。
でも、私たちも仕事ですから、「あのときに、ああ言った、こう言った」などと、言う気はありません。


早速、中原家に向かいました。

タイル職人のお父様も、今日まではお休みとかで、私が着くまでに、何度も駅やパチンコ店を
行ったりきたりしていらしたようです。

私が宅についてすぐ、携帯がなりました。
みればOリーダーからです。車に乗せてもらってきましたから、Oリーダーは私が宅に入ったことは確認しているはずです。
なのに電話をかけてくるなんて・・・と、訝しく思いながらも電話を取りました。

「いま、帰ったろう?」と、第一声。
「え?・・いいえ、どなたも帰られませんけど。」
「そお?。今、自転車に乗った若いのがそっちに向かって走っていったけど、それじゃないかな?」
「え???・・・で、でも、どなたもいらっしゃいませんよ。ノックもチャイムもありません。」


それだけで、私はいつものように、状況の把握に努めました。

お母様の話では、

お正月にはいつも田舎に帰るのだけど、今年は帰らないというと、おじいちゃんのほうがうちに来たんです。おじいちゃんは、庄司が家出したことを知ってましたから、心配で顔見に来たんですね。
でも、年寄りですから、まぁ、いろんなこと言いました。
仕事せにゃあいかんとか。仕事せんと結婚もできんし、結婚せん男は一人前やないと。
私たちは、またあの子の気持ち逆撫でして・・と、思いましたが、おじいちゃんに言っても判らないので、黙っていたんです。
庄司は黙って聞いてました。ほんとに何も言わん子ですから、何考えてるのか判らないんです。そうこうしているうちに庄司は自分の部屋に入って、おじいちゃんたちが帰るときも出てきませんでした。

私も、まだ気がついてなかったんですけど、そのとき、もう、庄司は家を出ていたんです。
財布から、お金を全部だして、免許書も保健証も、サラ金のカードも出して・・小銭しか持っていないはずです。服も、フリースのチェックのパーカーとジーンズだけで、自転車に乗っていきました。それが、昨日の昼過ぎのことです。。。



それから、お父様は、駅やパチンコ店、ネットカフェ、ゲームセンターと探し回ったようですが、どこにもおらず、思い余って私に電話をかけてきたらしいのです。

正直言って、これはまずいかも・・と、思いました。
お金を持たずに出た家出ほど、怖いものはありません。
それは、もう何も求めないということですから・・・。
たった一泊とはいえ、一月の夜は寒く、今朝からは冬の雨がしとしとと、糸を垂らしています。
冬の雨は、細くとも、しんしんとその冷たさを体の芯にまで感じさせていきます。
お父様やお母様のご心配も、もっともでしょう。

「しばらく、様子を見ていれば、ある程度の行動のヒントはつかめていたかもしれませんね。」
言うまいとは思っていても、私もつい残念で、終わったことを繰言にしてしまいます。

しかし、この状況をそのままほうりっぱなしにはできません。
しかも、机の引き出しからは、前回の家出の足跡とでも言うようなメモが出てきて、それには
前回泊まったホテルの名前や、部屋番号に続いて
「東尋坊」「足摺岬」への行き方・・などと書いたものまで出てきました。


「これは、すぐに対処したほうがいいですよ。申し訳ないですが、この状況では、よいことは思い浮かびません。」
親の気持ちをえぐるような気もしましたが、それを斟酌している余裕は、この状況ではありませんでした。


「それが・・Aさん。実はもう、うちにはお金の余裕がないんですわ。あのあとから、仕事がめっきり減ってしもうて、今年も明日から二日行ったら、もうそのあとは今のところ何も入っとらんのですよ。」と、お父様が苦しげに言葉をえらびます。

お母様も、黙って俯いています。


去年後半のこの救いがたい不況は、確実にこうやって、人々の生活を脅かしているのでしょうね。もちろん、他人事ではありませんが・・・。

Oリーダーと相談の末、ともかくなんとかしましょうと、すぐに捜索に入ることにしました。
私たちのこの心意気に、お父様もお母様も、できる限りはすると、応えてくださいました。
電話で、すぐに現場指示をだすと、一旦帰社するからと、中原家を出て、10分もしないまに・・・


「Aさん!!。庄司が、庄司が見つかりました。家の角の壁に座って・・・」と、お母様・・・
思わず、Oリーダーと顔を見合わせます。。。



そうなんです。
やっぱり、最初のOリーダーの電話は正しかったのです。
庄司君は、帰ったものの、自宅に入れず、家の周りをうろうろとして、私が帰るのを見送る
お父様の視線の端に、ちらっと入ったのだそうです。



・・・・・そう、これはこれで一安心です。最悪の状況は免れたのですから、・・・・。ながい距離を
えんえんと、ご自宅まできての結果に、脱力感はありますが、それでも、悪い結果よりは
何倍マシかもしれません。


それにしても、「おそるべしOリーダー」
もう、現場から離れて、何年になるかは、しかとは知りませんが、一目で彼を見抜くとは・・。

みなさんは簡単に思っていらっしゃるかもしれませんが
あずかり写真一枚で、本人を確定するのは、かなり難しいです。
写真はその人の全てを写しているわけではありません。
角度や髪型、服装によっても随分イメージは変わるものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それを一瞬に見抜いた・・(しかも、Oリーダーは各件を把握はしていますが、担当している
訳ではないので、写真もしっかりと見ているはずはないのです。・・・・)

・・・・・・おそるべし・・・本能・・・・
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by sala729 | 2009-01-08 12:27 | Comments(0)

2009年が始まりました。
みなさま、あけましておめでとうございます


旧年中のご愛顧を心から謝し、本年もどうぞよろしくお願いいたします。


さて、2008年の暮は、「天中殺」と「大殺界」と「仏滅」が、そろい踏みで来たかのような出来事のオンパレードで、これだけ来りゃあ、もういいだろう、と、開き直って迎えた新年です。

特に、もうすぐ年末のお休みというときに、一人暮らしの父親が体調を崩し、何といっても高齢(
84才です)の独居老人ですから、そのままにしておくわけにもいかず、おおよそ10年ぶりくらいに訪ねて行きました。

私は当時は珍しい一人っ子で母も12年前に亡くなり、世間の常識で鑑みれば、父親の面倒を
みていなければならない状況なのですが、幾多の事情があってずっと離れてくらしておりました。
その父の状況は、私の気性と父親の性格を知り尽くした、私の息子と娘が、気にかけてくれており、彼らが様子を見ては、報告してくれていましたから、状況はタイムリーに把握しておりました。

それでも、どうにもならない状況が訪れるのは時間の問題で、それがたまたま今きた・・という
ことなのでしょう。


でも、ここで父との確執はさておいて、私は、日本の・・というかこの地域の・・なのかもしれませんが、福祉の対応と内容には、驚きもし、感謝もいたしました。
テレビや新聞で見ると、病院のたらいまわしや、ディケアサービスの不備、対応の未熟などが
掲載されない日はない、と、言っていいほどですが、少なくともこの一週間で私が対応した、
医療機関の方、ディサービスのソーシャルワーカーさん、介護士さんたちの、親切で温かい
対応には頭が下がりました。本当に立派です。
いろいろと、お世話にもなりました。ありがとうございました。


とはいえ、まだすべてが終わったわけでもなく、父は私のことを「悪魔の娘」と思っているらしく、
また、私もそれらしく振舞うので(苦笑)これからしばらくは、自分の気持ちを騙したり、奮い立たせたりしながらの日々が続くことでしょう。

この確執は、昨日、今日に始まったわけでなく、そのひとつひとつ書き連ねれば、とても一夜や二夜で終わるはずもなく、留飲は下がるかもしれませんが、相手が反論できない自分のブログで一方的に糾弾するのも、なにかフェアとはおもえず、何より、内々のことを赤裸々に書くほどの勇気もなく、こんな半端な言葉を並べただけの「愚痴」になってしまったのですが、
少なくとも、原因の半分は私のこの「意地と見得で生きている」性格に問題があるのでしょう。

でも、それはもう、今更は治りません。
これが私の生きる指針ですから、たとえ親といえど、子といえど、これを変えることはできないでしょう。




お正月早々、本当にこんな話の幕開けで申し訳ありません。

でも、いやなことが続いたからこそ、それを2008年のものとして、新しく生まれ変わりたいという
気持ちの現れかもしれません。



私のなかには、仕事と、それ以外のふたつがあって、家族はその「それ以外」に嵌っています。
私は仕事の中に、自分を見出し、そういう私を家族は、彼らなりに理解して受け止めてくれて
いるようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うーん・・なんだか、うまく自分の気持ちを「言葉」にできないですね。書いても、書いても、気持ちが届かない・・


私流にいえば
「私は自分が一番大好き。だから、私のことを、好きなあなたがすき」と、家族には伝えています。


この数日の間に、私は「子供」になったり、「大人」に戻ったりと、いくつかの時間を行き来したようです。
それは、たぶん誰にでもあって、それを上手に行ったり来たりできる人が「世間を知る常識ある人」と呼ばれるのでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は、下手ですねぇ。いつも時間に乗り遅れているようです。
今日も、きっと明日も・・・・。
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by sala729 | 2009-01-01 01:12 | Comments(3)