まずはご報告をいたします。

 23日の「タバスコ入り赤ワイン」は、なかなかの美味だったらしく(笑)初口こそ「ぐわぉぉ~」などと、人とも思えぬ声を発しておりましたが、そのカクテルを仕込んだのが私と判ると、悔しいことに何もなかったかのように飲み干し・・・は、しませんでしたが、(^^)
流しに戻して、次のボトルの栓をあけながら
「あーあ。飲み残してた方でよかった。被害か半分で済んだ」と、へーぜんと、それこそ何もなかったかのように飲み続けたのでした・・・・く、くやしぃぃ


さて、今日のお話は・・・・

以前から時々はあったのですが、この半年くらいの間に目に見えて増えたかな・・と、おもわれるのが高齢の方からのご相談です。
しかも、恋愛も恋愛。愛憎からまる「連続ドラマ」のようなできごとの・・・(苦笑)



妙子さんは77才になったと仰います。
冬の篠つく雨を煩わしく思いながらも、手入れの行き届いた庭や、剪定の入った松が、妙子さんの境遇を物語っているようです。

晴れていたらきっと陽射しの暖かい応接間に座布団・・・(これもご愛嬌というものです)。
向かい合った妙子さんは皺こそ目立ちますが、黒のフリルのついたカット-ソーと藤色のカーディガン。
薄化粧の目元には、震えながら描いたと思われるアイラインまで入って、なかなかのお洒落な
婦人とお見受けしました。


「・・中田さんとは、独居老人の会で知り合いました。向こうも奥さんをなくして4年。私も主人がなくなって3年です。いえいえ、センセ(妙子さんは私のことをそう呼びます。面映いのですが、
どうしてもやめてくれませんので、今ではそのまま聞き流しています・・)
男と女の関係になろうと思うとったんやないんです。
ただ、そこで知り合って、帰りに中田さんが車で送ってくれて、そいから、時々買い物じゃ、会じゃというては車で送り迎えしてくれるんですよ。」

心なしか、妙子さんの頬はぽっと染まったようにも見えました。

中田さんというのは、同じ自治区の、男性の独居老人で79才。年があけると早々には80才です。
ところがこの中田さん、なかなかの「モテ男」さんなのです・・・(笑)


妙子さんは交際が始まってしばらくすると、中田さんの色々な噂を耳にするようになりました。
彼は自宅まわりの60才以上の女性にはみんな手をだしているというのです。
人妻、未亡人、年上(ったって、本人が79じゃねぇ・・・いったいいくつよ??)
そして80才以上の女性にはお金を貢がせ、それをもとに若い(ったって60代ですけどね)女性との交際に使っているというのです。

妙子さんはそんな噂を聞いて聞かぬふりをしていました。

「そいたらね。中田さんが今、つきおうているのはあんただけぢゃ。他にはだーれもいやせん。
ちゅうんです。センセ、私はね、中田さんが誰とつきおうとってもええんです。
そんでも、嘘はいやです。嘘いわれとると思うたら、そりゃ悔しいです。」

穏やかな妙子さんの顔が一瞬、ゆがみ「般若」の面差しを浮かべたのを私は見ました。

「それも、私らは秋口までは、やることはやっとりました。(やることって・・・や、やることって、
やっぱり男女の間でやることって、ひとつですよねぇぇ。。。。沈黙)
それがですね。秋からです。新しい女ができたんですよ。
同じ病院に入院していた、松江という女で、旦那もいるんです。トラックの運転手しとります。
気が荒いでしょうから、これが判ったら、おおごとになります。
松江は60前やと思います。
私は、他の女のことはどうでもええんです。もうみーんなしっとりますから。そやけど、この
松江のことだけは、どうしても中田さん言いません。

聞いても、、なにもありゃーせん。もう終わったがなと、はぐらかしてばっかりです。
終わっとりゃせんのです。
私はなんべんも、中田さんが松江を病院まで迎えに行ったり、家まで送ったりしたのを見ています。そいでも、何もないと言い張るんです。」

「見たって・・・それ、あとをつけたということですか?」

「そーです。」

「どうやって?」

「タクシーでつけました。運転手さんに頼んで、やってもらいましたけど、タクシーは上になんやら付けてますから、中田さんにはすぐに判ったみたいです。」


・・・・・・タクシーで追跡・・・うーん。過激というか行動的というか・・おそるべし妙子さんっ!!





そして、調査が始まりました。

ところがこの妙子さん、私たちが調査に入っているにもかかわらず、やっぱりタクシーで追い回しているのです。
毎回、現場から連絡が入ります。
「おばーさん、今日も変装して、同じタクシーで来ています。対象者の自宅まわりをぐるぐる回っています」と・・・(やれやれ・・・)

変装??・・・あぁ、変装ですか?
妙子さんの変装は、入れ歯を外して、紫の帽子を目深に被り、灰色の地味なズボンにすっぴん・・・うーん、心根は可愛いやら、痛いやら・・・。

しかも、
「今日も現場にきてましたね?」というと、
「あぁ。いっといたね。」と、シャーシャーと・・・笑
しかも、時には、中田さんが妙子さんを迎えに来て、二人で山道を登りつめて・・・あ、あの
車内で・・・・(きゃ・・は、はずかし・・・照、照)
「山道あがってましたね?」というと

「知らんよ。」と、自然体のおとぼけ・・・。

でも、私たちの調査を信じていないわけではないのです。
私の言うこともよく聞いてはくれます。
でも、自分に不都合になると、しらを切りとおすのです。

まぁ、生きてきた年季が違いますから、それはそれで騙されたふりをしてあげるのも、「優しさ」かな・・・などと・・・。


ところが、こんな有様ですから、何度入っても、結果がでません。
そりゃそうですよね。中田さんだって、妙子さんがタクシーて追っかけているのを知らないはずはありません。

何しろ、時々、じらしたり、怒ったり、優しくしたり、まさしく女心を手玉にとる「ドンファン中田」です。時たまのフォローで、妙子さんの心の奥の恋心を掴んでいるのだと思います。

しかも、おじいさん、おばあさんの恋は、病院や入院が必ず要素にあって時間が妙にゆっくりと
すぎていくのです。

そしてその中で、妙子さんの恋心はますます、燃え上がっていくのです。

妙子さんは最近の私との会話の最後には必ずこういいます。

「センセ、一回でいい。一回でいいから、中田さんとあの女が一緒のとこがとりたい。なんとしても取りたい。今の私の望みはそれだけです。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おそるべし、この恋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この仕事していて、老人が枯れてるなどと思ったことはないけれど、ますますパワーが増しているような気はします。
いま、30、40代でこれほど熱烈な恋愛をしている人が何人いるでしょうか?

今日も、薄化粧を洗顔クリームで洗い落として、すっぴんに入れ歯まではずして、妙子は行く・・
恋の搦め手になって、恋の奴隷になって・・・・妙子は今日も「灼熱」に生きる・・・・・あぁぁぁぁ。
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by sala729 | 2008-12-25 16:28 | Comments(2)

ほんとうは、今日、娘夫婦と1才をすぎたばかりのその子をまじえて、ホームパーティーをする予定でした。

もちろん仕事柄、急に私が不参加になるかもしれないということは、娘夫婦も了解済みのことで
私たちは、準備にいそしんでいました。
早くから、プレゼントの準備をして、ケーキやチキンの予約も済ませて、カーテンまで作り変えて(ま、これはクリスマスのためではありませんけどね・・笑)・・・
ところが・・・

ところがです。な、なんと、一週間前から咽喉が・・・と、思ったら
悪寒が・・・鼻が・・・声が・・・咳が痰が・・・と、風邪症状のオンパレード。
・・・・・・しかも、これまで一晩寝ていれば翌朝ケロリが身上の私であったはずなのに、
一晩寝ても、ふた晩寝ても、治るどころかますますひどくなるばかり・・・
この一週間、テッシュペーパーをパートナーに仕事にいそしんできました。

でも、今朝になっても、しっこい咳はおさまらず、
「R子(娘の名前)に伝染ったらたいへんやから、今日ははやめようよ。」という家人の意見を受け入れざるをえませんでした。

たしかに、子供より子育てママに伝染したほうがたいへんなことは私とて経験済のこと。


それにしても、この日のために、半徹夜して久し振りに握ったあみ針でつくったクリスマスカラーのベストは、彼の成長の早さに追いつかず、出来上がったときには、前ボタンをかければ「ぱつんぱつん」というサイズ。
しえも襟ぐりが浅いせいか、どうも首筋に触れる毛糸の感触が彼のお気には召さないようす・・・

あ゛ぁ゛---------------もおぉぉぉぉ何から何まで思い通りにいかない。。。


やけに晴れ渡った師走の休息日。
プレゼントの第一便を車に乗せて、娘宅にむかう家人の後姿をみていたら、なんだか急に
理不尽な怒りがむらむらとわいてきました。



この怒りを抑えるためには、なにかしなくては・・・


・・・・昨夜開けて、今夜のためにと、半分残している赤ワインの栓をこっそり開いて、静かに「タバスコ」を滴らせておきましょう。
(ふっふふ~私はアルコールは一切たしなみませんから・・笑)

「まぁ、しょうがないじゃないの」なんて、したり顔で言いながら、ワイングラスを傾けた時の家人のリアクションを想像したら、ぞくぞくと楽しくなってくる私は悪魔?
ま、なんと呼ばれてもいいですけどね。「悪魔」とでも「魔女」とでも
「意地悪ばばぁ」とでも、どーぞ、なんとでもお呼びっ!!
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by sala729 | 2008-12-23 12:43 | Comments(2)

最近の書評で「オリンピックの身代金」が、よく取りざたされています。
いままさに、格差社会の極みのような状況の中、それは40年前にもあったのだ!・・みたいな
書き方ですね。

これは年代の差なのか、性格の差なのかわかりませんが、私はそうは思いません。
やっぱり、現代のほうがずっとずっと「甘ったれた時代」です。

私はこの時代、子供でしたよ。もちろんね。
でも、子供なりに社会も生活も、親たちの努力も怠惰も、受け止めていましたし、ある意味、達観も諦観もしていまたね。それは私だけでなく、当時の多くの子供たちがそうでした。

私の生まれ育ったところは、瀬戸内海に囲まれた気候だけは穏やかな、でも土地柄は典型的な田舎の町です。
この本の主人公、島崎の家ほどには貧しくもないけれど、かといってもちろん裕福なはずはありません。
しかも、田舎のこまっしゃくれた口先だけの小学生には、島崎のような明晰な頭脳があるわけでなく、東大というのは名前だけしか知らず、もちろん自分の知っている人に東大卒の人なんて一人もいない時代でした。


オリンピックのひとつのエピソードとして、記念硬貨のシーンを読み進んだとき、うちにもあった
貧しい思い出がよみがえってきましね。
・・・甦るったって、ほんとは忘れたことなんてなかったのですが・・・

我が家にもありました。記念硬貨。
100円と1000円。当時、両親がどうやって手に入れたかは知りませんが、自慢げに見せてくれました。
ところが、2.3か月して、学校の授業で、急に彫刻刀が必要になり、朝になってそれを言い出しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

我が家にはその朝、彫刻刀を買う100円がありませんでした。


父親は、ぶつぶつと陰気に呟きながら、母はなんとかしょうと財布やタンスをかきまわしても、
ないものはありません。
今にして思えば、その日だけ友達に借りるなどしてしのげば、次にはいくら当時とはいえ、小学生が使う彫刻刀です。100円くらいはなんとでもなります。

でも、中途半端なわがまま一人っ子の私はそれができなかった。言えませんでした。もういい・・
と。
すると父が、本当に苦虫をかみつぶしたような顔で
「あれ持ってこいっ。」と、母に命じました。

母は一瞬ほっとした顔をして、茶ダンスの上の抽斗から、あのオリンピックの100円硬貨を出してきました。
私も一瞬、それを見せた時の自慢げな父の顔を思い出しましたが、それでも内心の
「あるじゃないっ」って気持ちは隠せず、お礼もも言わず、そのお金を黙ってうけとって、学校に行く道すがらの文房具やで、彫刻刀を買いました。

当時は学校の近くにはおばあちゃんがやっているようなそういう文房具や何軒かあって子どもたちはノートや消しゴムを登校途中にそこで買って行っていました。


我が家のオリンピック記念硬貨は、こうして私の「彫刻刀」になりました。
でも、そのことを、父は何度も何度も、残念そうに
「あれがいまあったら、とんでもない値打ちになったのに」と、繰り返しました。

そのたびに、なんて「女々しいんだろう」と心で軽蔑しながらも、このことは私の中でずっと堆積したままでした。
その、彫刻刀は、中学になったときにはもうすでに、どこに行ったやらわからなくなっているというのに、うちの父と娘は、お互いに水と油のような性格の内側に、このことを内包していたのでした。



なんて、こんなこと、誰にも話したことはないのですが、思わずここで「告白」しちゃいました。
これが、ブログの魅力なのか、本の凄さなのか・・・



さて、格差社会についてですが、あの時代の格差と今の格差は、やはり大きく違うと私は思いますね。
第一、あの時代のマスコミは、失業者たちにこんなに優しくはなかったような気がします。
こんなに、かわいそう、たいへんと、口々に甘い言葉で近寄ってはいませんし、
政府がなんとかしろ。自治体が手を差し伸べろ。
仕事も家もないなんて!

・・・・・・おっしゃる通りです。
仕事の家もなくなったら大変に決まっています。
でも、でもね。
批判を覚悟であえて言いますが、派遣や臨時という名がつく仕事というのは、そういうものなのではないですか?
もちろん、志にかなわずそういう仕事をしてきた人もいるでしょう。でも、正社員の道を自ら閉ざして、自由な時間を選んだ人だっているのは事実ですよ。
そして、志かなわずの人はもちろん40年前もいました。

そしてそういう人たちは、あの本のように、建設現場のタコ部屋で、過酷な労働か失業かという狭間で生きていたのです。
そしてあの時代、親もなかなか助けてもやれませんでした。
田舎に帰ってきても、耕す畑もありません。


でも、今はどうでしょう?
高度成長期やバブルを経て、あの時代の親たちよりは今の親はゆたかです。
仕事にない若者は、田舎に帰れば?
農業の自給率が落ちている今、これはテコ入れのチャンスではありませんか?
親に頭をさげて、お世話になり、力を蓄えて、それからまた都会に出て行けば??

「もう今月35円しかない」と、テレビで訴える、サラサラと洗髪のいき届いた茶髪の若者の手には携帯電話がいじられ、派手なスタジャンで、放映されても、同情できないのは私の心が歪んでいるからでしょうか?

自分のことは自分でする。
できないときは、親に頭を下げて、協力をお願いする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここから始まるはずなのに、
解雇という言葉が発せられたとたん、みんながマスコミが「かわいそう!」と、取り囲む。

でも、そうやって、取り囲んだテレビ局のキャスターたちも、コメンタテターたちも、彼らとは別側の岸で話をしているんですよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それを、私らの世代は「憐み」と呼び、そうされることは
恥辱でしたけどね。


社会やマスコミは、この泥沼の経済社会を糾弾しなければならいないのは当然です。
政府も早く、なんらかの手を打ってください。
でも、格差社会の若者たちよ。君らも、もう一度自分と自分の周りを見直してみなさいよ。

確かに社会は悪い。政治もひどい。総理大臣も信じられない。
でもね、それはどの時代も同じよ。

40年前の親の世代、祖父母たちの世代、その人たちもここから這い上がってきたのです。
あなたたちが「うるせい」とか「うざい」とか、避けている人たちは、いまよりも、もっともっと
大変な時代を知っています。

「オリンピックの身代金」・・・今と過去と、未来を考えさせてくれましたね。

あのとき私は、お友達の家で彼女のお母さんの手作りのおやつ(ドーナッツでした)を食べながら
入場行進見ていましたね。
そして、その画面よりも、「おやつ」とか「手作りドーナッツ」とかが、マンガや物語の中でなく、普通にある家庭というものが存在していることに感嘆していましたね。
もちろん、当時から意地っ張りでしたから、彼女やお母さんには気取られないように・・(苦笑)
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by sala729 | 2008-12-21 08:41 | Comments(0)

 
 さて・・何からはじめましょうか・・・

 一旦中止すると、再開を継続するというのはなかなか難しいもので、しかも、有り体に言えば
この業界も、所属の団体も、なかなかに厳しい状況の中、わが社も御多分に洩れず、厳しい嵐の中に放り出されました。

 一個人の努力など、木っ端のように弄ばされ、沈んだり浮かんだりを繰り返して、厳しい今を
生きてきました。

 けれども、今になって思い返せば、これはわが社だけの問題ではないことは、今ののドロ沼
日本経済が物語っていることは・・そう、これもいまだからこそ言えることで、そのときには、現状の嵐をやりすごすことで精一杯でした。

 と、これは表向きの事情でありまして、だからといって、ブログ一本書ける時間もないかと、言えば、そんなこともなく、ただ怠惰に時間をやり過ごしていたのでは?と、問い詰められると、
回答に困ってしまうのです。
ようは、生来の「怠け者」てはないかと、突っ込まれたりしたら、かわしようがない人間であることは間違いありません。

なにしろ口癖が「めんどくさい」なんですから・・(笑)


そこで、一大決心の方向転換を考えました(我ながら、ちょっと大袈裟すぎて、恥ずかしくもありますが・・)

もう、決め事はやめて、思うが時に思うがままを綴ろうと・・
内容も社内に限らず、もうおもいつくまま、そのままに・・・

・・・・・恥ずかしながらうまれて以来、性格はそのままではないかと、旧知の人たちに太鼓判押されるわたくしが、今更、どうのこうの言ったとて、変わるはずもなく、それを期待するはずもなく、もう死ぬまでこのままで生きるしかありません。



ながながと「能書き」垂れ流してしまいました。
と、いうことで、今日は、背景も変えてみました~





ところで、昨夜のことですが、ちょうど一年ぐらい前に、夫の浮気で調査した、まきさんから電話がありました。
まきさんは、28才。田舎の旧家のお嬢様でした。祖父も父も地元の有力者。兄も姉も堅い仕事について、地元では一目置かれる家柄です。
でも、まきさん自身はそんなお家に反発して、高校時代から遊び歩き、20才そこそこで
ナンパで知り合った現在の夫と結婚しました。

夫は隣町の出身で、夫の両親はまきさんの家柄を考えると、不釣合いとこの結婚に難色を示しましたが、最後には折れて、一応は両家の祝福を受けて結婚したのです。

ところが、最初の不幸は夫の借金でした。
会社をクビになったのに、それを言い出せず、毎月お給料をサラ金で調達していた彼の、借金がパンクしたのは当然のことでした。

それでもそのときは、夫の母親が、まきさんの両親には内緒にしてくれと整理してくれました。
まきさん自身も、うわべは賛成していながら、その実けっして夫のことを認めない実家に知られたくはありませんでした。

そして生まれた長男には心臓に病をもっていました。
二年後に生まれた次男は、自閉症児でした。

そして、その一年後、彼は浮気に走ったのです。
あるファミレス系のレストランの店長という立場の彼は、彼以外その殆どが女性という職場です。

そこで、バツイチ子供二人の女と、浮気にはまりました。



この調査はもちろん成功しています。
証拠写真もばっちり撮っていますし、相手女性の身元も全部判っています。
このときも、彼のお母さんは協力してくれました。
お父さんには内緒でねと、資金援助もしてくれました。

そして、彼も女のあまりの暴走ぶりに怖れをなしたのか、昨年の秋には一旦別れたようでした。

そして平和が・・・・訪れてはこなかったのです。


秋になって、長男の容態が悪くなりました。
心臓病に起因する病気とのことで国立病院に入院することとなりました。
当然、母親であるまきさんはつきっきりになります。
24時間ずっと・・です。夕方の二時間だけ、下の子を見てもらっている実家の母と交代して、
自分は実家に夕飯を食べに帰ります。

こんな生活が一ヶ月続きました。
そして、最近、まきさんは、夫が殆ど自宅に帰ってないことを知りました。

この間、夫は一度として病院を訪れたことはありません。
夫の母は、まきさんの実家には「仕事が忙しくて、なかなかこれないんです」と言い訳していますが、まきさんには
「あなたが、気が狂ったみたいに、あの子の浮気を責めるから、こうなったんよ。」と、責めるようになりました。


ぱっと見は、華やかな顔立ちで、お嬢様育ちのわがままが顔に貼りついている感もあるかな・・と、言えないこともないまきさんですが、感心なところもあって子供たちの誕生日には両家の親を招いて誕生パーティを開いたり、どんなに夫が浮気しょうが、決して離婚するとは言いません。
彼女は彼女なりに精一杯、家庭を守ろうとしているのです。
でも、性格が見て見ぬふりを許さないのです。


聞けば、入院費はかなり高額なのだそうです。
子供は無料とばっかり思っていたのですが、それは保健医療に限り、珍しい病気や、希少な病気には保健薬が効かないので、負担が大きくなるのだそうです。
しかも高額療養費というのは、まず自己負担があってその四ヵ月後くらいでないと還付されないのだそうです。
三ヶ月入院したときは150万かかったそうです。

「一円でも倹約せんといかんときやのに・・子供もパパって言ってるのに、一度も逢いに来ないんですよ。あいつ。サイテー」
大きな両目の下に深い隈をつくって、まきさんはさびしそうに笑います。

「でも、よかった。うちのお母さんにもこの話まだしてないから、ずっと溜まってたんですよ。ここで話したら、なんかすっきりした。」
涙でにじんだ目尻を指で拭っていましたが、その細くて長い指の先にはもちろん色も光もなく、
少しだけ血が滲んだヒビワレが、痛そうに傷口をぱっくりと開けていました。


これは仕事ではありません。
もちろん、そんな悠長なこと言ってられる環境ではありませんが、この状況のまきさんには、
調査料金は無理だとは判っています。

ただ、この母子にかかわった大人の一人として、母子がどうしたら幸せに生きられるか、今より
ちょっとたけでいいから、幸せな時間を持つ事が出来るか・・・それを考えてあげたい気持ちで一杯でした。


国立病院の古い建物を正面にした駐車場にはまばらに車が並んで、見舞い客がヘッドライトを
こちらに向けたり、消したりしています。
ここは、子供たちの専門病院です。軽症の子はいません。
閉ざされたカーテンの僅かな隙間が、チラチラうごくのは、子供たちが、父や母かきてくれることを待ち望んで覗いているのでしょうね。

・・・・・・今夜の帰り道は、寒くて長い一本道のような気がします。。。。
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by sala729 | 2008-12-20 12:42 | Comments(2)