先日、世界一の棋聖(呼び名は正しいかどうかはちょっと判りません)が、
コンピューターに負けましたというニュースを食卓で見ました。

韓国の棋聖氏は、本当に悔しげにコメントしていましたが、氏のお気持ちは
少し判ります。
わたくしなどが、多少判ってもなんの助けにも、ならないことは承知も承知ですが
彼の表情の更に深いところの疵を思えば、たとえ敵対する韓国の(いや、これは
日本の国がということではありませんよ。わたくしの個人的好き嫌いの問題
ですので、サラッと流してお聞きください)人間であっても、思わず深く抱きしめて
あげたい母のような感情が湧いてきました。

もっと個人的に思うなら、こんな勝負になんの意味があるのか?
価値があるのか?
コンピューターに、よりヒトに近い複雑な思考回路を作り上げるためにと
言うなら、造るのは悪くはないでしょう。より高度にと思うのは、製作者の
望むところでしょうから。
でも、それを試すのに、斯界の第一人者を相手に選ぶ必要がどこにあるのかと
わたくしなどは思うのです。

それぞれの世界での第一人者というのは、余人にはできない事を成し遂げて
ここに至っているわけです。
その努力や精進は、それぞれであっても、勝敗だけでないそういう総合力の上に
ある地位であり、権威であると思っています。

それを勝敗だけで競わせて、一人者の誇りと気概を傷つけて、なんの意味がある
のでしょうか?


こうして「どうだ?コンピューターすごいだろ?」という押し付けニュースに
わたくしは辟易し、そして恐れます。決してそう遠くない先の時代に生きる
わが子孫達の行く末を・・・・


コンピューターたちは確実に人間の仕事を奪い、蔓延り、一握りの人間と
かれらは増長してゆきます。
まるで、手塚治虫氏などが描いた「機械社会」が、現実そのものとして
出来上がる日は、もうそう遠くではありません。


わたくしの孫は、今小学2年です。
この子が大人になった時に、この子が生きていけるのかどうか、今わたくしは
とても心配です。
機械と仕事や地位や能力を争わなければならなくなった時、この受身の
脆弱な人間たちが、戦っていけるのか?
勝ち残れるのか?と、思うと、絶望感しか湧いてきません。


機械と戦ったとき、受身の人間から負けていきます。なににも抗わず、ひょっと
したら自分が負けたことも気づかず、撤退して消えていくかもしれません。
能動的な人間は、一度は戦ったり、工作したり、抗います。そして負ける・・
これなら、機械の世界はその分だけ、ちょっと先になるかもしれません。

今、日本は、いや先進国は、少子化と騒いでいますが、これはある意味天の采配
ではないでしょうか?
多くの仕事を効率と利益のためだけに、機械に任せて、人間を不必要にしたのは
誰ですか?

いらないなら、出生率だって落としても問題はないと、神様が思し召しても
それはけっして、間違った判断ではないと、わたくしは思っています。


これからの20年、30年先を見るのは、とても怖ろしいです。
わたくしなどは、もうリタイアしているか、もうこの世にいない
かもしれませんが、わたくしの子孫たちが、機械に使われていたり、
機械に生きる場を奪われて、流浪の民になっていたりするのを見るのは
辛いです。

人は楽しく生きなければ、生きてきた甲斐がないと、孫たちに教えたい
わたくしは、これから彼らにどう生きろと教えればいいのか・・

受身でない生き方。それを探していかなければ、あなたは機械の奴隷よと
言ってみました。
彼はわたくしの顔をじっと見て「あーちゃん、本の読みすぎ?」と
聞いてきました。

あ~口が減らないとこだけは、どうやら確実に家系を継いでいるようです。
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by sala729 | 2016-03-17 12:21 | Comments(0)