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その奇妙な電話が鳴ったのは、三日前です。
思い詰めたような、くぐもった声で、お話されるものですから、聞き取りにくく、失礼とは思いつつ何度も、聴き直して、やっとお逢いする時間が決まりました。

一向に晴れ上がる気配もない空模様を恨めしく思いながら、相談室でお待ちしていると、芳恵さん(49才・仮名)は、雫の滴り落ちる前髪を気にしながら、おずおずと入ってこられました。
だいぶ緊張されているようなので、とびっきりの優しい声で(・・と、自分では思っているのですが、これがまた身内には、気味が悪いと評判がよくないようで・・)
「雨がなかなか上がりませんね。」と、世間話から入ってみました(^^)

「あの、あの、私・・・」
ところが、芳恵さんはすぐに本題に入ろうとします。


30年前、芳恵さんは、ある大学に入ったばかりでした。この大学は偏差値も高く、名前を言えば誰でも知っているような学校なのですが、実はこれは芳恵さんの本意ではありませんでした。彼女は、別の芸術系の大学に入りたかったのですが、芳恵さんの家は彼女が4才の時に
両親が離婚して、母は女でひとつで苦労して育ててくれました。母親は自分になんの資格もないのでこんなに苦労したから、娘にはぜひ・・と、この大学に固執して、芳恵さんは、その母に
逆らうことができず、入学を果たしたのですが、一ヶ月、二ヶ月とたつごとに、芳恵さんの中
には、あきらめた芸術大学への思慕が膨らんできて、どうにも抑えきれなくなっていました。

そして、それが原因で、田舎から電話をかけてくる母と、何度も何度も喧嘩になったそうです。

母の気持ちや期待はよーく判ります。私もそうしょうと思ったんですけど、でも、周りみていたら
みんな楽しそうに、学生生活を謳歌してるのに、自分だけがなんでこんな思いで学校続けないといけないんか・・と、思って・・・・と、芳恵さんはつぶやきます。

それは、双方もっともなことだと思います。
45年前です。今よりも、もっともっと「シングルママ」が子育てしにくい時代に、4才の子供を抱えて、なんの資格も技術もない女性が生きていくのは、それは本当に大変だっただろうと思います。
わが子には、そんな思いをさせたくないという母親の強い願いも判ります。そして、幸か不幸か娘は、そんな母の期待に応えるだけの、学力を持っていたので、母親としては、「最良の道」を
選んだものと安心していたのでしょう。
それが、突然の叛意を告げられたら、母も逆上することでしょう。

芳恵さんいわく、それはそれは口汚い罵りの投げ合いになったそうです。
母と娘というのは、ある種「あわせ鏡」ですもの、相手の仲に自分をみつけたら、それがまた悔しくて、恥ずかしくて、相手に対して容赦しなくなります。


そして、毎夜のそんな争いに疲れ果てた、芳恵さんは、母親を困らせてやろうと、精神病のふりを装うことを考え付きました。
今考えれば、他愛ないこと・・・と、私は思いました。
もちろん、当時の芳恵さんも、他愛ない発想からはじめたことでした。

そして、ある日
下宿近くの公立病院の精神科に受診しました。
ただ、当時はまだ「精神科」は今ほどの、世間的認知はなく、精神科=○チガイと、後ろ指指されていた時代です。芳恵さんも途中で怖くなって、投薬も貰わず、逃げるように帰ったといいます。
そう・・たった一日だけの受診でした。

ところが、数日後、芳恵さんが帰宅すると、下宿のおばさんが「今日、あんたに警察から電話が
かかってきたよ」と、知らされました。

田舎から出てきたばかりの18才の少女です。「警察が・・」というおばさんの一言が、胸に刺さりました。
そして、すぐに何日か前の精神科受診と結びつけてしまったのです。
・・・・・・なにかの事件があって、それが私と結び付けられたんだ。私が、精神病だとおもって
いるから・・・と。。。
18才の芳恵さんの胸は、不安で張り裂けそうになりました。
(自分は警察から精神病の犯罪者だ疑われている)・・・そう思い込んでしまったのですね。

芳恵さんは、早々にその下宿を引き払いました。
そして、おびえて大学生活を終えると、母の待つ故郷に帰ってきました。

その後、皮肉なことに、取得した資格を使うこともなく、現在の夫と結婚し、子供はいませんが
専業主婦として、穏やかに暮らしています。表面は・・・・。

あの30年前の思いは、芳恵さんの中では風化していませんでした。
大学を卒業しても、田舎に帰っても、結婚しても、あの思い出は、彼女に付きまとっていました。

自分ひとりの心の奥に、ずっと無理やり蓋をねじ込んで、押しつぶしたままでいました。

でも、その蓋がいつ壊れるか、いつ外れるか、彼女は不安で不安でたまりません。
そして、今度はこの30年の月日の重さが彼女を押しつぶしそうになります。

いま、このことを夫が知ったら、私のことを嫌いにならないだろうか?軽蔑しないだろうか?
母が私のこと責めないだろうか?・・・と。

そして、思い余って、かけてきたのが先日の奇妙な相談電話だったわけです。
たしかに、そのとき仰った「電話だけでは・・・上手く話せません・・」という意味がよーく判りました。そうですよね。お逢いしないと、こんな心の簸まで判るはずがありません。

私は、当時の芳恵さんのことを調べてみませんか?と提案しました。
どんな結果がでるにせよ、30年前のあなたのことを、その当時回りにいた人たちがなにも知らなければ、それでいいじゃないですか?
知らないということは、なにもなかったことと、同じです。今回の場合はね。

もし、なにか知っていたとしても、なにをどう知っていたかを、芳恵さん自身が把握していれば
なにも知らないと疑心暗鬼に陥ることもないでしょう?

「夫に知られないでしょうか?」
不安げな芳恵さんに、連絡は携帯でします。あなたがご主人に告白しなければ判ることは
ありませんと、微笑み返してあげました(・・ぶ、ぶるぶる・・こわっ←カゲの声)


こんなご相談もあるのです。
気のせい、考えすぎなんじゃない?と、笑い飛ばすのは簡単ですが、当人にとっては
とても重たくて、一生の負荷だと信じ込んでいるのです。
その負荷を降ろしてさしあげるのも、いい仕事じゃありませんか?

窓の外には水滴がびっしりと並んでいますが、芳恵さんは来られたときとはまったく違う表情で
帰って行きました。
こんなとき、小さな喜びが私のなかにも、ひっそりと灯ります。

明日は晴れたらいいなと思いながら、向かい側の歩道を見ると、透明の傘をさした芳恵さんの後姿が足早に角を曲がって行きました。時刻は17時をすぎています。
これから、彼女は夫のために、夕餉の支度を急ぐのでしょうね。
・・あなたの小さな幸せはきっと守られますよ・・・そう声をかけてあげたい背中でした。。。

by sala729 | 2006-02-21 11:38

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