梅も、桃も、桜も季節を待ち焦がれ、春爛漫のよき季節がやっと
足音高く訪れようとしています。
・・・なんて書き出すと、卒業式での保護者代表の謝辞の始まりかと
錯覚なさる・・・なんてことはありませんよね(笑)

かく言うわたくしは、保護者代表の謝辞を当日、あらかじめ学校に
提出していた本文とは、全く別の謝辞を述べて、先生方をあたふたとさせた
「前科者」ですけどね。

型どおりの、美辞麗句が我慢できず、どうせ私に依頼したのだから、型どおりの
文など学校も期待していまいと思ったものの、前々日になって、あらかじめ
あいさつ文を、見せていただきたいとの学校の申し出に、プツンと切れちゃったの
です。若き日のわたくし。(^^)

もちろん、それを今でも微塵も後悔はしておりませんが、この季節になると、
いつも思い出すのは、楽しかったから?なのでしょうか・・。


早いもので、我が家のチビギャングも、一年生がもうすぐ終わります。早いものです。
一度、公開参観日に見に行きましたが、30年前のわが子が
タイムスリップしたようで、面映いばかりでした。


そして、昨日一年生最後の懇談に行った娘の話を聞いて、わたくしの中の
意地悪虫がまた、うずうずと蠢き始めました。
チビの成績が、国語はともかく算数に問題あり!・・・なのは、よーく判りました。
家系というか遺伝子というか、本人の意志とは関係ない事情もあり、止む得ぬことも
ありますが(笑)一年生で、躓いてはちと、かわいそうなので、春休みは、親も
ちよっと気合入れねばならないでしょう。

それより驚いたのは、昨今の学習事情です。
テストを何枚しても、自分がクラスのどの程度にいるかは全く判らず、ましてや
ほかの子が、どんなものなのかは皆目です。

○○さんが賢い・・なんてことも知りません。
全く、我関せず・・・の、世界なのだそうです。

しかも、テストとなると、子供たちはランドセルをパッと広げて横にすると机の角に置くのだそうです。
そうやって囲んで、テストに入るのだそうです。
そして、問題は先生が音読してくれるのだと言います。

聞いた、わたくしは愕然としました。
・・・・なんと、今の学校はこんなことに成り果てているのだ。
ランドセルで周囲を隠して、先生の音読でテスト開始。
結果は自分が100点でも、60点でも、10点でも、自分がクラスの
どの位置にいるかは判らない。
比べようがないということなんです。

もう救いがたい、エセ平等主義。
競うこと。争うこと。勝敗の重さと苦さを知ること。
これは子供の頃に養わなければ、大人社会の重さに耐えられません。
予防注射と同じなのです。


なのに、テスト方法は、じめじめとした個人エリアを確立して行う。

学校は、とうとう、じっとり濡れたこらえ性と覇気のない大人を作り上げる工場に
成り果てたかと思いましたね。

そして、こんな方法でテストをしていることを知っている親たちが、
何も言わないのを不思議に思いました。

わたくしなら?
絶対に申します。はい。絶対にです。

一年生のテストに、ランドセルで覆ってまでする必要があるでしょうか。
テストは不正をしないという前提で行うものです。特に一年生は。
誰が見ていても、見ていなくても、不正はしない。
自分の意志で、しないということをやり遂げる。

先生は、ランドセルで机を覆ってテストをする風景を異様とは思わないので
しょうか?

わたくしは親ではありませんから、チビの全責任は負えません。
でも、ババにはババの、大人には大人の責任が社会にはついて回るものです。

親たちが何も不思議に思わなくても、学校に遠慮していようとも、子供の
教育に無関心であろうとも、わたくしは、わたくしの小さな責任の名のもとに
一度は先生にお聞きしたい。

こんなテストのやり方は間違っていませんか?・・・と。
かつて、自分の小学生時代、わが子の小学生時代を慮っても、こんなやり方は
どう考えても適正とは、わたくしには、思えないのです。
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by sala729 | 2015-03-23 12:16

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