今月も押し迫っているというのに、しかもこんなにお暇状態だというのに
昨日も、私・・映画に行って参りました(笑)
昨年末に予告編を見てから、絶対に行こうと決めていた「ハンナ・アーレント」
今月22日から、お馴染のソレイユで始っています。


話は、1960年代にナチの残党アイヒマンが、イスラエルのモサドに
捕縛されるところから始ります。
アイヒマンといえば、私などでも知っているかの悪名高きSSの指導者の
一人で、彼がユダヤ人の搬送を指示していたという人物です。

当然、捕縛と裁判は全世界の注目となり、特に世界に散らばるユダヤ人たちの
憎悪と興味は、アイヒマンに注がれます。

その裁判を傍聴したいと、望んだのが、ハンナ・アーレントです。
彼女自身がユダヤ人であり、収容所経験者であり、脱走者、亡命者であった上に
現在はなにより、米国で教鞭を取る哲学者でもありました。
彼女は裁判のすべてを傍聴し、そしてその書評をアメリカのマスコミに発表
します。
「アイヒマンのやったことは、彼個人の罪問題ではなく、人類の問題であって
普通の人間が、組織や社会の流れの中で、その流れに従うことは誰にでもある。
また、ユダヤ人の中にも、その指導者的立場の人間でありながら、ドイツの意向に
逆らえずに、結果的に協力した人間もいた。」と、ざっくり言うなら、こんな
論旨です。

ユダヤだけでなく、全世界は「反ナチ」ですから、この論評は大きな波紋を
呼びます。
アメリカのどこでもいる平和主義者たちからは非難され、イスラエルからは
狙われ、何より自身のユダヤ人の友人たちからも、非難され排斥されます。


当時、ユダヤ人の指導者も協力者などということを言う人間はいなかったらしい
のですが、これは真実と私も思います。


と言うのも、私の好きな映画に「ソフィーの選択」というのがありますが、
これが名作というのに、どこにもビデオがない。
何の理由からか判らなかったのですが、待ちに待って昨年、wowowで見て
感動しましたが、この中にもソフィーの父が、(確かユダヤ系のポーランド人)
結果的にドイツの協力者のようなことをしていました。
とても、下世話な言い方をすれば「同胞を売っていた」のですね。

今になって思い返せば、このシーンなどが、何かの権力にひっかかって、
ビデオ化が進まなかったのかもしれないと、ほぼ確信しています。



ハンナは、自分を非難する人たちと学生を前に、朗々と自説を述べます。
若き学生たちは、その熱い言葉を受け入れられるのですが、学生に混じって
公聴していた、彼女の古い友人は、どうしてもそれを受け入れられず去り
大学の関係者たちは彼女から距離を置こうとします。

この映画に結末はありません。
自説を曲げない事で、得たものもあれば、失ったものも多いことを知らされる
だけです。
でも、失っても、それでも言わなければいけないことや、曲げられないことが
あることを静かに、強く訴えてきます。
ラストで彼女の夫のハインリッヒが「こんな結果になると判っていたら、
君はこの論評を出すことを辞めていたか?」と尋ねると、しばし時間を置いて
彼女は一言「いいえ」と答えます。

子供のいない彼らにとって、かけがえのない友人達を失っても、訴えなければ
いけないことや、その立場の人間はいるのです。


日本もかって、戦前、戦中は、国や組織の煽動に多くの人たちは迷いなく
乗っていたではありませんか。
そして、戦後になっての掌返しを、かっては多くの人たちが経験してきた
ではありませんか。

組織や国家の前では、個々の人間は本当に無力です。

その中で、どうすれば自分は自分らしく生きられるのか・・久しぶりに
そんな蒼い論争を自分の中にふつふつと感じた映画でした。

これだから、映画はやめられません(^^)
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by sala729 | 2014-02-25 12:10

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