わたくしは、今年で大台を越えます。(この大台が何十代なのかは、皆様の
ご想像にお任せしますが・・・と、いうより皆様にはあまり興味のないこと
ではないかと考えます)

そこではたと考えた・・と言う訳ではないのですが、常々考えていたことを
周りの者たちに、少しづつ披瀝しましたところ、これが賛否両論、喧々諤々。
ま、当たり前なんですけどね、私の提言で多くの人が「それはいいっ!」と
賛意を示してくださったことは、自慢ではありませんが、今まで一度もありません。

それを承知でまたまたここで披瀝しょうとしているのですから、懲りないというか
反省が足りないというか・・・数多のご意見は耳から逃して、ちよっと
お聞きくださいますか?←やっぱり、言いたいんじゃんと笑う家人を一瞥して
話は続きます。


自らの余命を顧みた時、おもいたったのですが、すべての人に、60才時点で
「希望生存年数申告制」を賦課してみてはどうかと思うのです。
例えば「あと10年」でも「20年」でもよいです。
それはその人それぞれの理由と条件があるでしょうから。

でも、そうやって余命を区切るとまず一番に自分の現在の手持ちのお金を
計画的に使うことができます。
日本の多くの高齢者が溜め込んだ財産を使えないのは、自分があといくら
生きるかが判っていないからです。
もしも・・の、不安が大きすぎて使うべき時に使わず、爪に灯を点すように
暮らして、結局はアホ息子や、極道娘たちに濡れての泡の、始末の悪い
遺産を残すことになるのです。

もし自分があと10年と決めたら、クルーズにだって、南極にだって、
外国で生活するという選択だって、多くの人ができます。
自分のしたいことをし尽くして、幸せな人生の閉じ方ができるのでは
ないでしょうか?

でも、人間だからそんな上手いこと10年では死ねなかったら?と
びんぼーリアリストの家人は問います。
その時は「痛まず、苦しまず、長く考えず」に、死ねる選択ができるように
法的整備を整えておきます。

世の中には、もう十分生きた。このまま幸せに死にたいと思う人も、案外
多いと思いますよ。
そしてまた、この方法が現実化したら、その数はさらに増えるでしょう。
そして、宣告時間は優先されますので、その間に死に瀕する病気や怪我に
なった場合は、公費で最大限の手当てを受けられます。


もしも、希望年数に達したとき、まだ生きていたと願うなら、それはそれで
ありですが、その時には公的扶助はもちろん減額されますし、自分の財産の
相続は禁止されます。すべて公的財産として没収され、それはこの後の、
このシステムの継続のための資金として使われます。


家人はう~んと考え込みますが、この案、最初に聞いた人はみんな「いやぁ
そんなぁ」と嫌悪感を見せるのですが、何度かぶっていると、段々感化される
のか(笑)・・・それもありかもと言うこともあるのです。(もちろん
一部ですが・・)

自分のお金は自分で使う。
消費が増え、経済は回り、残された親族は相続で余計な争いをしなくてすみます。
しかも、自分のお金で自分が楽しく暮らすのですから、誰に遠慮もいらず
幸せな最期が迎えられるでしょう。
今流行りのエンディングノートも、具体的に書けますよね。

こうして、準備して死ねるというのは、もしかしたら人生の一番の幸せでは
ないかとさえ思います。


ここまでいうと、更に家人が
「でも、そういう人に限って、あっという間に突然死ぬんだよね。」とぽつり。
確かにそれは、判ります。

いずれにしても「死」は、私達人間の力など、とうてい及ばない処に厳然と
あるものなのです。
一人で生まれて、一人で死ぬ。これが人の運命です。
でも、そのぎりぎりのところまで、自分の行き方をプロデュースしていたい
というのが、妄想おババの本音です。
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by sala729 | 2014-02-17 15:10 | Comments(0)

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