人気ブログランキング | 話題のタグを見る
明けましておめでとうございます。

今日に至って、あけましてもないと笑われるかもしれませんが
なにしろ旧型人類なので、年の初めのご挨拶は、これから入らないと
なんとも、座りが悪い(笑)

本年もどうぞよろしくお願いします。


今年の私は「年女」です。え?何回目かって?
それは・・・もう何回目でもいいじゃないですか。それぞれ
皆様の思う回数と、私の願う回数で(笑)


私は午年の獅子座という「意地と見栄」を、両手に抱えているような
運勢に生まれております。

そして、今んところ、そのままの道を突き進んでいるような気がします。


今朝は、やしきたかじんさんの訃報を聞き、昨夜はテレビの健康志向
番組を見ていて思いますが、人の死は誰にも、ある種平等に訪れます。
遣り残さずに死にたいなんて、それは無理です。
人間は死を自由にはできません。人は自分で思うようには死ねないのです。


この私の諦観をあざ笑うかのように、医学は発達を続け、手術や遺伝子操作、
細胞変種、機械や機種の向上と、どんどん神の領域に踏み込もうとしています。
この努力があるからこそ、医学の向上という誉はあるのでしょうが、
私の意識はこことは違うところで、この医学の発達を見つめています。

上手く表現できないので、お読みいただいた方の中には、不快感を
持たれたり、嫌悪感を抱かれたりすることもあるかもしれませんが、
できる限り、正直に自分の死生観を言葉にするなら
「神には逆らうな」と言うことでしょうか。

私は個別にどの宗教に染まっているわけではありません。
むしろ「無神仰人間」というほうが当たっているでしょう。
親もそうでしたから、無宗派としては筋金入りです(笑)

でも、そんな私でも、初詣には神仏にお参りもしますし、もちろんお賽銭も
供します。
おみくじや運勢も引いてみますし、苦しいときの神頼みもします(笑)


その私が、思うのです。
いろんな技術を駆使して、卵子と精子を操って、全く別の母体に受精
させたり、末期の患者を全身管通して苦痛の中だけで生きながらえさせたり
また、患者自身がそれを望んだりと・・・・それは神の領域に土足で
踏み込んでいるようなことではないかと。


もちろん、個々にそうしなければならない理由はあるでしょうし、
それまでも否定するつもりはありませんが、私が私らしく生きて
死にたいと願ったとき、それは叶うのかと、ちよっと心配になってきました。


でも、その時はもう自分では何もできないのだからそれでも仕方ないと
割り切ることはできるのですが、唯一の望みは、痛みと苦しみからは
できる限り早く開放して欲しいということです。
たとえそのために、死期が早まろうともです。
どれくらい?・・・と尋ねられたら「うーん。半分くらい」と、答えて
おきましょう。

もう、どんどんと死が近づいてきます。
身近な人間を次々と亡くした今は、死が怖くなくなっているような気がします。
向こうに行けば、逢える人たちが増えました。
もちろん、逢いたくない人もいますけどね(笑)

年賀状にプリントされた、知人のお子達もみんな大きくなりました。
この子たちの将来に、もう責任は持てないけれど、田舎の片隅で秘かに
応援するくらいはできます。

こんな世の中にした責任の一端を詫びながら、キミらの覇気のなさを
嘆きながら、私の一年はまたこうして明けていくのです。

by sala729 | 2014-01-08 12:17

<< 徒然というのはこんなこと?    今年はこれで・・かな? >>