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「いやはや、ほんまに困っとんですわ。」

向かい合うなり、眉間の皺を最大限に寄せて、藤田暢男さん(仮名・67歳)は
私に訴えかけてきました。
日曜日の昼下がりの郊外の喫茶店です。もともと個室風になっていますが
この時間帯にお客はまばら。
他人の耳目を気にする必要はありませんが・・・それにしても藤田さん・・
声が大きい(^^;)


話はこうです。

一週間前のこと、夕方に藤田さんが畑仕事から帰って、農機具の片付けを
していると庭先で車の停まった音がしました。
もともと先祖伝来の土地に7年前建て替えた自宅ですから、敷地はかなり
広いです。

かがんだ腰を伸ばして庭先を見ると、見慣れないタクシーが停まって、
これまた見慣れない小柄な老女が一人、両手に紙袋三つを引きずるようにして
こちらに向かってきます。


「あーーーきぃーーーーおぉぉぉぉ!」
小柄な体からは想像もできないような大きな声で藤田さんを呼びながら
駆け寄ってきた老女を見定めて、愕然としました。

その老女こそ、25年も前に音信不通となったままの二番目の姉、
村岡良子(仮名・83歳)でした。

女ばかり五人続いて、六番に生まれた長男が暢男さんです。
二人はもう早世しましたが、直ぐ上の姉は福岡に嫁ぎ、その上の上の姉は
未婚のまま、現在も暢男さんの家におり、認知症の進んだ身を
暢男さんが一人で見ています。

ちなみに暢男さんも、未婚のまま、現在に至っているそうです。

良子さんはその未婚の姉の上になります。

50歳をすぎて、15歳年下の大阪の旋盤工の男性と恋愛におち、
反対されて隣の県に駆け落ちした激しい女性です。
男性とは添い遂げたものの、その後も生活は安定せず、25年前に
当時まだ健在だった暢男さんの母と、大喧嘩になり、それ以来
ぷっつりと実家に足をむけたことはありません。


正直、暢男さんも良子さんの存在を忘れていました。
勤勉なサラリーマン生活を終えて、定年退職の後は、認知症の姉の世話と
実家のもつ田畑の世話で日々を費やしていた暢男さんです。
思い出す間もありませんでした。



「お、お前、どうしたんや?」
狐につままれたような顔になって良子さんを問い詰めると

「どうしんやとな?ここは、私のうちじゃけん、私にもここに住む権利は
あろーよ。」と、悪びれる気配もなく、良子さんは玄関に入り、
綺麗好きの暢男さんが磨き上げた廊下を、汚れた靴下のままペチャペチャと
歩きます。

「ま、まてやっ!。ま、まってくれ~」
廊下に続く汚れた足跡に、暢男さんの声が裏返ります。




・・・・・こうして、良子さんは暢男さんの家に入り込みました。
確かに、実家といえばそれは間違いないのです。
しかし、亡き父母からの相続はもうとっくに終わっており、古い母屋を
新しく建て替えたのは、もちろん暢男さんです。

しかも、認知症の姉、高子さん(仮名・80歳)のお世話も、もちろん
一切したことはありません。
「高ちゃん、あんたこんなになって・・・誰がしたんよ?」と
鼻白む科白を吐く良子さんを、暢男さんは呆然と眺めるだけでした。

帰ってきてからというもの、良子さんは家事一切はしません。
暢男さんが作るか、買ってきたお惣菜を平然と平らげ、洗濯機に
自分の下着や衣類を放り込むだけ。

帰って以来、客間を勝手に自分の部屋として使っていますが、掃除して
いるところを見たことがありません。

「お前も、ここにいるんならメシの仕度くらいせーや。」たまりかねた
暢男さんが言うと
「あー私のこといじめたなぁ~」と、暢男さんいわく、認知症のフリを
するのだそうです。

なぜ帰ってきたかを聞いても、話を逸らし、夫のことを聞いてもそ知らぬ
顔を決め込み、隣の県にあるはずの自宅の住所を聞いても、町名までしか
覚えてないと言うのです。
実家の所番地は枝番までしっかり言えるというのに・・・


そんな良子さんが、一昨日、熱中症で救急車で運ばれました。
幸い大事には至りませんでしたが、病院で支払いすることになって保険証が
ないことに気づきました。
本人に問いただしても知らぬ存ぜぬです。


ここは、とりあえず全額支払いしましたが、年も年ですしこれからも
何があるか判りません。
離婚したならしたで、実家を住所にして保険証の発行とか、いろいろな
手続きが必要になりますが、なにしろ本人が、自分の住所も言いませんと
保険証や、住民票などのことを言いますと、途端に認知症になってしまう
のです。


これには困り果てました。
そこで、なんとか姉の身元を確かめたいと、相談にこられたのです。




「もっていた紙袋の中は確認されましたか?」
「いや。絶対見せんのよ。寝るときも抱いて寝てますわ。」
・・・・想像するとちょっと笑えました・・・

いろいろお話をお聞きすると、なんとかなりそうです。
そこに、福岡のお姉さんから電話が入りました。


「うん。うん。そうや。今、話聞いてもらったわ。え?なんで?
そんなこと言うても・・・。・・・・・・・いや・・・・・・
そやけど・・・・・う、うん。・・・・・うん。判った。」

長い電話ですが、語尾が消え入るようなので、内容の察しはできます。

「すんません。福岡の姉が、探偵さんにはお断りせよと言いますや。」
「それはなぜです?」
「それくらい、あんたが自分でせんとどうするんやと、義兄にも叱られ
ました。親から貰った財産を長男がそんなことで飯潰ししたら、世間さまに
笑われるといわれました。」

・・・・・あらまたこれは大仰な・・・・・・・・


「失礼ですが、藤田家の当主はあなたですよね?福岡のお姉さまが口出す
ことではないと思いますが・・・」

「いゃー。そうなんですわ。仰るとおりなんでけど、なにしろこの67年間、
ずっと女に囲まれて生きてきましたやろ。今更、逆ろうてどうなるって
気持ちが先立ちますんや。そら、うちの姉たちは凄かったですよ。」

しみじみ語る藤田さんに、姉ばかりの長男の67年を思い浮かべると、
とても薄幸な男の生涯が見えてくるようでした。

がっくりと肩を落として帰る藤田さんに掛ける言葉もなく、私はただ
黙ってその薄い背中を見送っておりました。

by sala729 | 2013-06-18 16:01

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