父と娘 仕事の話
2012年 03月 12日
いくらなんでも、こう連日の親子喧嘩ブログを続けていたのでは
書いているほうはもちろんですが、お読みいただいている方たちも
いーかげん、うんざりしているかと・・(笑)
そこで久々の仕事のお話を一話・・・(講談師ではありません。念のため)
中原義雄さん(仮名)は今年で80才になります。
再婚した奥様が認知症になり、現在は奥様が入院中の病院と自宅を
行ったり来たりの毎日なのだそうです。
この中原さんの先妻の一人娘が、萩原厚子さん。現在53才です。
厚子さんが嫁に行ったあとで再婚したとはいえ、厚子さんと継母の
仲は、悪くはありません。
記憶の飛んだ継母が、時々思い出したように
「あっちゃんは元気かいね?・・・またいじめられとりゃせんかいの?」と
中原さんに問いかけるのだそうです。
厚子さんは20年ほど前に、職場結婚をしました。
地方銀行に勤める堅実な夫と、小さな菓子製造業の夫の両親。そして夫の
実兄との5人暮らしは、息苦しくはあるものの、義理の間です。
それなりの心遣いで暮らしているもの・・・と、中原さんは信じておりました。
厚子さんにも二人の子供ができて、それまで専業主婦だった彼女は、子供たちが
幼稚園に入るとすぐ、地元の製造業にパート勤務に出ました。
もちろん、夫には報告しておりますし、出勤の前には義両親にも話はしています。
そしてその初日。
自転車で職場に向かい、お昼を迎える頃です。
いきなり見慣れた自分の家の車が、勤務先の庭先に突っ込んで停まったかと
思うと、運転席からは夫が、助手席からは義父が降りてきて
「おりゃあ、誰ぞぉ。うちの嫁を働かせよるんはぁ~」と
それはそれは罵詈雑言。
いたたまれない気持ちで、夫と義父を制しても、二人ともに聞く耳持ちません。
ほどなく現れた経営者にも食って掛かります。
間に入って、厚子さんは平謝りに謝って、その場で辞職。
二人に引きづられるように自宅に帰りました。
勤めに出ることはあらじめ言っておいたのに、なんであんなことをするのかと
問い詰める厚子さんを義父が平手打ちにして
「なに言うとるかぁ。お前らの食い扶持くらいは、和明(夫の名)が、稼い
どろうがぁ。なんで仕事に行かなぁならんっ。」と、大声で叫びます。
夫は隣で、妻が父に殴られても怒鳴りつけられても、感情のない目で
厚子さんを見ているだけだったそうです。
確かに真面目に働く夫ではありますが、生活が楽なわけではありません。
実家の菓子製造業も思わしくなく、借金を重ねています。
兄は仕事もせず、当然生活費も入れず、子供を含めていまや7人になった
この世帯を、夫一人の給料でやりくりするのは、これは至難の業です。
厚子さんがパートに出たいと思ったのも、無理からぬことではあります。
そうやって妨害されたため、厚子さんはしばらくは働くことを考えない
ようにしていましたが、やがて子供の修学旅行の積み立て金や、習い事の
お金が捻出できなくなりました。
そこで、もう一度と思って、まず夫にパートのことを相談しました。
夫は何も言いません。
舅に言うには、勇気を奮い起こすことができず、あきらめました。
こっそりと何日かでも続ければ、ああは言うものの、なし崩し的に勤められると
彼女は考えました。
しかし・・・・
それは甘い目測でした。
勤めの初日。もともと銀行員だった厚子さんは経理の飲み込みも早く
半日の説明で、ほぼ理解はできていました。
お昼時になって、誘われて同僚とお昼に出ようとしたその時、玄関先で
聞きなれた怒声が響きました。
「あっぅこぉぉ~ 何しとるんじゃあ」
このとき、厚子さんはもうこの家を出ようと決心したそうです。
襟首を掴まれて、引きずられるように家に帰った厚子さんは、夫に
離婚を申し出ました。
すると、それまで彫像のように黙ったままの夫が、顔を真っ赤に染めて
「何、言う取るんやぁ。お前はっ。わしゃ、離婚なんぞせんぞ。
絶対にせん。」と、叫びます。
義父が怒鳴り始めると、義母も義兄も決して傍に寄ってこようとはしません。
夫は傍にはいるのですが、何一つ反論も反抗もしません。
義父はこの家の絶対的権力者なのです。
この後、厚子さんは何度も家出を試み、そのたびに連れ戻され、行く先で
罵倒され、暴力を振られが続きました。
もうこの頃には中原さんにもだいたいの事情が判っておりましたので、
厚子さんを庇って、何度も夫に離婚を懇願しましたが、一切聞き入れては
くれません。
子供たちも段々に大きくなり、そんな父と母を冷ややかに見るようになりました。
昔気質というか、中原さんにも、厚子さんにも、調停に申し出ての離婚
という選択ができませんでした。
そして、とうとうある日突然に、厚子さんは中原さんにも何も言わず
家を出てしまいました。
その厚子さんの行方を捜して、やっと一安心の中原さん。
何日か後に、訪問することを電話で約束したと、嬉しそうに報告して
くださいました。
こんな時代です。
たった一人で暮らす厚子さんに、どれだけ心を痛めていたか・・・
そしてま、今も頑強に離婚届けを拒否し続ける夫に、今回は弁護士さんを
介して、協議を進めることにしました。
取り戻すには、長い長い年月がかかりましたが、今頃、厚子さんは
継母の枕元で、そっと白くて長くもつれた髪の毛を、優しく梳っているに
違いありません。
書いているほうはもちろんですが、お読みいただいている方たちも
いーかげん、うんざりしているかと・・(笑)
そこで久々の仕事のお話を一話・・・(講談師ではありません。念のため)
中原義雄さん(仮名)は今年で80才になります。
再婚した奥様が認知症になり、現在は奥様が入院中の病院と自宅を
行ったり来たりの毎日なのだそうです。
この中原さんの先妻の一人娘が、萩原厚子さん。現在53才です。
厚子さんが嫁に行ったあとで再婚したとはいえ、厚子さんと継母の
仲は、悪くはありません。
記憶の飛んだ継母が、時々思い出したように
「あっちゃんは元気かいね?・・・またいじめられとりゃせんかいの?」と
中原さんに問いかけるのだそうです。
厚子さんは20年ほど前に、職場結婚をしました。
地方銀行に勤める堅実な夫と、小さな菓子製造業の夫の両親。そして夫の
実兄との5人暮らしは、息苦しくはあるものの、義理の間です。
それなりの心遣いで暮らしているもの・・・と、中原さんは信じておりました。
厚子さんにも二人の子供ができて、それまで専業主婦だった彼女は、子供たちが
幼稚園に入るとすぐ、地元の製造業にパート勤務に出ました。
もちろん、夫には報告しておりますし、出勤の前には義両親にも話はしています。
そしてその初日。
自転車で職場に向かい、お昼を迎える頃です。
いきなり見慣れた自分の家の車が、勤務先の庭先に突っ込んで停まったかと
思うと、運転席からは夫が、助手席からは義父が降りてきて
「おりゃあ、誰ぞぉ。うちの嫁を働かせよるんはぁ~」と
それはそれは罵詈雑言。
いたたまれない気持ちで、夫と義父を制しても、二人ともに聞く耳持ちません。
ほどなく現れた経営者にも食って掛かります。
間に入って、厚子さんは平謝りに謝って、その場で辞職。
二人に引きづられるように自宅に帰りました。
勤めに出ることはあらじめ言っておいたのに、なんであんなことをするのかと
問い詰める厚子さんを義父が平手打ちにして
「なに言うとるかぁ。お前らの食い扶持くらいは、和明(夫の名)が、稼い
どろうがぁ。なんで仕事に行かなぁならんっ。」と、大声で叫びます。
夫は隣で、妻が父に殴られても怒鳴りつけられても、感情のない目で
厚子さんを見ているだけだったそうです。
確かに真面目に働く夫ではありますが、生活が楽なわけではありません。
実家の菓子製造業も思わしくなく、借金を重ねています。
兄は仕事もせず、当然生活費も入れず、子供を含めていまや7人になった
この世帯を、夫一人の給料でやりくりするのは、これは至難の業です。
厚子さんがパートに出たいと思ったのも、無理からぬことではあります。
そうやって妨害されたため、厚子さんはしばらくは働くことを考えない
ようにしていましたが、やがて子供の修学旅行の積み立て金や、習い事の
お金が捻出できなくなりました。
そこで、もう一度と思って、まず夫にパートのことを相談しました。
夫は何も言いません。
舅に言うには、勇気を奮い起こすことができず、あきらめました。
こっそりと何日かでも続ければ、ああは言うものの、なし崩し的に勤められると
彼女は考えました。
しかし・・・・
それは甘い目測でした。
勤めの初日。もともと銀行員だった厚子さんは経理の飲み込みも早く
半日の説明で、ほぼ理解はできていました。
お昼時になって、誘われて同僚とお昼に出ようとしたその時、玄関先で
聞きなれた怒声が響きました。
「あっぅこぉぉ~ 何しとるんじゃあ」
このとき、厚子さんはもうこの家を出ようと決心したそうです。
襟首を掴まれて、引きずられるように家に帰った厚子さんは、夫に
離婚を申し出ました。
すると、それまで彫像のように黙ったままの夫が、顔を真っ赤に染めて
「何、言う取るんやぁ。お前はっ。わしゃ、離婚なんぞせんぞ。
絶対にせん。」と、叫びます。
義父が怒鳴り始めると、義母も義兄も決して傍に寄ってこようとはしません。
夫は傍にはいるのですが、何一つ反論も反抗もしません。
義父はこの家の絶対的権力者なのです。
この後、厚子さんは何度も家出を試み、そのたびに連れ戻され、行く先で
罵倒され、暴力を振られが続きました。
もうこの頃には中原さんにもだいたいの事情が判っておりましたので、
厚子さんを庇って、何度も夫に離婚を懇願しましたが、一切聞き入れては
くれません。
子供たちも段々に大きくなり、そんな父と母を冷ややかに見るようになりました。
昔気質というか、中原さんにも、厚子さんにも、調停に申し出ての離婚
という選択ができませんでした。
そして、とうとうある日突然に、厚子さんは中原さんにも何も言わず
家を出てしまいました。
その厚子さんの行方を捜して、やっと一安心の中原さん。
何日か後に、訪問することを電話で約束したと、嬉しそうに報告して
くださいました。
こんな時代です。
たった一人で暮らす厚子さんに、どれだけ心を痛めていたか・・・
そしてま、今も頑強に離婚届けを拒否し続ける夫に、今回は弁護士さんを
介して、協議を進めることにしました。
取り戻すには、長い長い年月がかかりましたが、今頃、厚子さんは
継母の枕元で、そっと白くて長くもつれた髪の毛を、優しく梳っているに
違いありません。
by sala729 | 2012-03-12 15:52