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最近の書評で「オリンピックの身代金」が、よく取りざたされています。
いままさに、格差社会の極みのような状況の中、それは40年前にもあったのだ!・・みたいな
書き方ですね。

これは年代の差なのか、性格の差なのかわかりませんが、私はそうは思いません。
やっぱり、現代のほうがずっとずっと「甘ったれた時代」です。

私はこの時代、子供でしたよ。もちろんね。
でも、子供なりに社会も生活も、親たちの努力も怠惰も、受け止めていましたし、ある意味、達観も諦観もしていまたね。それは私だけでなく、当時の多くの子供たちがそうでした。

私の生まれ育ったところは、瀬戸内海に囲まれた気候だけは穏やかな、でも土地柄は典型的な田舎の町です。
この本の主人公、島崎の家ほどには貧しくもないけれど、かといってもちろん裕福なはずはありません。
しかも、田舎のこまっしゃくれた口先だけの小学生には、島崎のような明晰な頭脳があるわけでなく、東大というのは名前だけしか知らず、もちろん自分の知っている人に東大卒の人なんて一人もいない時代でした。


オリンピックのひとつのエピソードとして、記念硬貨のシーンを読み進んだとき、うちにもあった
貧しい思い出がよみがえってきましね。
・・・甦るったって、ほんとは忘れたことなんてなかったのですが・・・

我が家にもありました。記念硬貨。
100円と1000円。当時、両親がどうやって手に入れたかは知りませんが、自慢げに見せてくれました。
ところが、2.3か月して、学校の授業で、急に彫刻刀が必要になり、朝になってそれを言い出しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

我が家にはその朝、彫刻刀を買う100円がありませんでした。


父親は、ぶつぶつと陰気に呟きながら、母はなんとかしょうと財布やタンスをかきまわしても、
ないものはありません。
今にして思えば、その日だけ友達に借りるなどしてしのげば、次にはいくら当時とはいえ、小学生が使う彫刻刀です。100円くらいはなんとでもなります。

でも、中途半端なわがまま一人っ子の私はそれができなかった。言えませんでした。もういい・・
と。
すると父が、本当に苦虫をかみつぶしたような顔で
「あれ持ってこいっ。」と、母に命じました。

母は一瞬ほっとした顔をして、茶ダンスの上の抽斗から、あのオリンピックの100円硬貨を出してきました。
私も一瞬、それを見せた時の自慢げな父の顔を思い出しましたが、それでも内心の
「あるじゃないっ」って気持ちは隠せず、お礼もも言わず、そのお金を黙ってうけとって、学校に行く道すがらの文房具やで、彫刻刀を買いました。

当時は学校の近くにはおばあちゃんがやっているようなそういう文房具や何軒かあって子どもたちはノートや消しゴムを登校途中にそこで買って行っていました。


我が家のオリンピック記念硬貨は、こうして私の「彫刻刀」になりました。
でも、そのことを、父は何度も何度も、残念そうに
「あれがいまあったら、とんでもない値打ちになったのに」と、繰り返しました。

そのたびに、なんて「女々しいんだろう」と心で軽蔑しながらも、このことは私の中でずっと堆積したままでした。
その、彫刻刀は、中学になったときにはもうすでに、どこに行ったやらわからなくなっているというのに、うちの父と娘は、お互いに水と油のような性格の内側に、このことを内包していたのでした。



なんて、こんなこと、誰にも話したことはないのですが、思わずここで「告白」しちゃいました。
これが、ブログの魅力なのか、本の凄さなのか・・・



さて、格差社会についてですが、あの時代の格差と今の格差は、やはり大きく違うと私は思いますね。
第一、あの時代のマスコミは、失業者たちにこんなに優しくはなかったような気がします。
こんなに、かわいそう、たいへんと、口々に甘い言葉で近寄ってはいませんし、
政府がなんとかしろ。自治体が手を差し伸べろ。
仕事も家もないなんて!

・・・・・・おっしゃる通りです。
仕事の家もなくなったら大変に決まっています。
でも、でもね。
批判を覚悟であえて言いますが、派遣や臨時という名がつく仕事というのは、そういうものなのではないですか?
もちろん、志にかなわずそういう仕事をしてきた人もいるでしょう。でも、正社員の道を自ら閉ざして、自由な時間を選んだ人だっているのは事実ですよ。
そして、志かなわずの人はもちろん40年前もいました。

そしてそういう人たちは、あの本のように、建設現場のタコ部屋で、過酷な労働か失業かという狭間で生きていたのです。
そしてあの時代、親もなかなか助けてもやれませんでした。
田舎に帰ってきても、耕す畑もありません。


でも、今はどうでしょう?
高度成長期やバブルを経て、あの時代の親たちよりは今の親はゆたかです。
仕事にない若者は、田舎に帰れば?
農業の自給率が落ちている今、これはテコ入れのチャンスではありませんか?
親に頭をさげて、お世話になり、力を蓄えて、それからまた都会に出て行けば??

「もう今月35円しかない」と、テレビで訴える、サラサラと洗髪のいき届いた茶髪の若者の手には携帯電話がいじられ、派手なスタジャンで、放映されても、同情できないのは私の心が歪んでいるからでしょうか?

自分のことは自分でする。
できないときは、親に頭を下げて、協力をお願いする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここから始まるはずなのに、
解雇という言葉が発せられたとたん、みんながマスコミが「かわいそう!」と、取り囲む。

でも、そうやって、取り囲んだテレビ局のキャスターたちも、コメンタテターたちも、彼らとは別側の岸で話をしているんですよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それを、私らの世代は「憐み」と呼び、そうされることは
恥辱でしたけどね。


社会やマスコミは、この泥沼の経済社会を糾弾しなければならいないのは当然です。
政府も早く、なんらかの手を打ってください。
でも、格差社会の若者たちよ。君らも、もう一度自分と自分の周りを見直してみなさいよ。

確かに社会は悪い。政治もひどい。総理大臣も信じられない。
でもね、それはどの時代も同じよ。

40年前の親の世代、祖父母たちの世代、その人たちもここから這い上がってきたのです。
あなたたちが「うるせい」とか「うざい」とか、避けている人たちは、いまよりも、もっともっと
大変な時代を知っています。

「オリンピックの身代金」・・・今と過去と、未来を考えさせてくれましたね。

あのとき私は、お友達の家で彼女のお母さんの手作りのおやつ(ドーナッツでした)を食べながら
入場行進見ていましたね。
そして、その画面よりも、「おやつ」とか「手作りドーナッツ」とかが、マンガや物語の中でなく、普通にある家庭というものが存在していることに感嘆していましたね。
もちろん、当時から意地っ張りでしたから、彼女やお母さんには気取られないように・・(苦笑)

by sala729 | 2008-12-21 08:41

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