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 さて・・何からはじめましょうか・・・

 一旦中止すると、再開を継続するというのはなかなか難しいもので、しかも、有り体に言えば
この業界も、所属の団体も、なかなかに厳しい状況の中、わが社も御多分に洩れず、厳しい嵐の中に放り出されました。

 一個人の努力など、木っ端のように弄ばされ、沈んだり浮かんだりを繰り返して、厳しい今を
生きてきました。

 けれども、今になって思い返せば、これはわが社だけの問題ではないことは、今ののドロ沼
日本経済が物語っていることは・・そう、これもいまだからこそ言えることで、そのときには、現状の嵐をやりすごすことで精一杯でした。

 と、これは表向きの事情でありまして、だからといって、ブログ一本書ける時間もないかと、言えば、そんなこともなく、ただ怠惰に時間をやり過ごしていたのでは?と、問い詰められると、
回答に困ってしまうのです。
ようは、生来の「怠け者」てはないかと、突っ込まれたりしたら、かわしようがない人間であることは間違いありません。

なにしろ口癖が「めんどくさい」なんですから・・(笑)


そこで、一大決心の方向転換を考えました(我ながら、ちょっと大袈裟すぎて、恥ずかしくもありますが・・)

もう、決め事はやめて、思うが時に思うがままを綴ろうと・・
内容も社内に限らず、もうおもいつくまま、そのままに・・・

・・・・・恥ずかしながらうまれて以来、性格はそのままではないかと、旧知の人たちに太鼓判押されるわたくしが、今更、どうのこうの言ったとて、変わるはずもなく、それを期待するはずもなく、もう死ぬまでこのままで生きるしかありません。



ながながと「能書き」垂れ流してしまいました。
と、いうことで、今日は、背景も変えてみました~





ところで、昨夜のことですが、ちょうど一年ぐらい前に、夫の浮気で調査した、まきさんから電話がありました。
まきさんは、28才。田舎の旧家のお嬢様でした。祖父も父も地元の有力者。兄も姉も堅い仕事について、地元では一目置かれる家柄です。
でも、まきさん自身はそんなお家に反発して、高校時代から遊び歩き、20才そこそこで
ナンパで知り合った現在の夫と結婚しました。

夫は隣町の出身で、夫の両親はまきさんの家柄を考えると、不釣合いとこの結婚に難色を示しましたが、最後には折れて、一応は両家の祝福を受けて結婚したのです。

ところが、最初の不幸は夫の借金でした。
会社をクビになったのに、それを言い出せず、毎月お給料をサラ金で調達していた彼の、借金がパンクしたのは当然のことでした。

それでもそのときは、夫の母親が、まきさんの両親には内緒にしてくれと整理してくれました。
まきさん自身も、うわべは賛成していながら、その実けっして夫のことを認めない実家に知られたくはありませんでした。

そして生まれた長男には心臓に病をもっていました。
二年後に生まれた次男は、自閉症児でした。

そして、その一年後、彼は浮気に走ったのです。
あるファミレス系のレストランの店長という立場の彼は、彼以外その殆どが女性という職場です。

そこで、バツイチ子供二人の女と、浮気にはまりました。



この調査はもちろん成功しています。
証拠写真もばっちり撮っていますし、相手女性の身元も全部判っています。
このときも、彼のお母さんは協力してくれました。
お父さんには内緒でねと、資金援助もしてくれました。

そして、彼も女のあまりの暴走ぶりに怖れをなしたのか、昨年の秋には一旦別れたようでした。

そして平和が・・・・訪れてはこなかったのです。


秋になって、長男の容態が悪くなりました。
心臓病に起因する病気とのことで国立病院に入院することとなりました。
当然、母親であるまきさんはつきっきりになります。
24時間ずっと・・です。夕方の二時間だけ、下の子を見てもらっている実家の母と交代して、
自分は実家に夕飯を食べに帰ります。

こんな生活が一ヶ月続きました。
そして、最近、まきさんは、夫が殆ど自宅に帰ってないことを知りました。

この間、夫は一度として病院を訪れたことはありません。
夫の母は、まきさんの実家には「仕事が忙しくて、なかなかこれないんです」と言い訳していますが、まきさんには
「あなたが、気が狂ったみたいに、あの子の浮気を責めるから、こうなったんよ。」と、責めるようになりました。


ぱっと見は、華やかな顔立ちで、お嬢様育ちのわがままが顔に貼りついている感もあるかな・・と、言えないこともないまきさんですが、感心なところもあって子供たちの誕生日には両家の親を招いて誕生パーティを開いたり、どんなに夫が浮気しょうが、決して離婚するとは言いません。
彼女は彼女なりに精一杯、家庭を守ろうとしているのです。
でも、性格が見て見ぬふりを許さないのです。


聞けば、入院費はかなり高額なのだそうです。
子供は無料とばっかり思っていたのですが、それは保健医療に限り、珍しい病気や、希少な病気には保健薬が効かないので、負担が大きくなるのだそうです。
しかも高額療養費というのは、まず自己負担があってその四ヵ月後くらいでないと還付されないのだそうです。
三ヶ月入院したときは150万かかったそうです。

「一円でも倹約せんといかんときやのに・・子供もパパって言ってるのに、一度も逢いに来ないんですよ。あいつ。サイテー」
大きな両目の下に深い隈をつくって、まきさんはさびしそうに笑います。

「でも、よかった。うちのお母さんにもこの話まだしてないから、ずっと溜まってたんですよ。ここで話したら、なんかすっきりした。」
涙でにじんだ目尻を指で拭っていましたが、その細くて長い指の先にはもちろん色も光もなく、
少しだけ血が滲んだヒビワレが、痛そうに傷口をぱっくりと開けていました。


これは仕事ではありません。
もちろん、そんな悠長なこと言ってられる環境ではありませんが、この状況のまきさんには、
調査料金は無理だとは判っています。

ただ、この母子にかかわった大人の一人として、母子がどうしたら幸せに生きられるか、今より
ちょっとたけでいいから、幸せな時間を持つ事が出来るか・・・それを考えてあげたい気持ちで一杯でした。


国立病院の古い建物を正面にした駐車場にはまばらに車が並んで、見舞い客がヘッドライトを
こちらに向けたり、消したりしています。
ここは、子供たちの専門病院です。軽症の子はいません。
閉ざされたカーテンの僅かな隙間が、チラチラうごくのは、子供たちが、父や母かきてくれることを待ち望んで覗いているのでしょうね。

・・・・・・今夜の帰り道は、寒くて長い一本道のような気がします。。。。

by sala729 | 2008-12-20 12:42

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